考える必要がないこと。 人はそれを幸福と呼ぶ。 1-2
利優の部屋の呼び鈴を押せば、パタパタと音が聞こえ扉が開く。
少し目線を下げれば、可愛らしい少女の顔が見える。
湯上がりなのか、湿気ている黒髪からは嗅ぎ慣れたシャンプーの匂いが鼻腔に入り、俺の顔を見て一歩前にきたことで少女の高い体温を空気越しに感じた。
「先輩っ! ……先輩、何のご用事ですか?」
嬉しそうな表情は、取り繕うように作った不満気な顔になり、けれど一歩前に進んだ距離は変わることなく、俺の近くにある。
気まずくなるかと思ったけれど、利優は歓迎してくれているらしいので、思ったよりも楽なように思う。
「ああ、大したことじゃないんだが……」
「ん、ここでは何ですから、中どうぞ。
女の子をはしごするなんて、いい身分ですね」
「……友人だろ」
「どちらかが好意を抱いていたらあれだと思いますよ。 多分先輩の今の行動を見てたら大半は二股野郎だと思いますよ」
そう言いながらも部屋に通されて、利優の匂いのする部屋に入り、リビングに置かれているドライヤーを一瞥してからソファに腰掛ける。 隣に利優が小さく座り、言葉とは反対に、利優にはそう思われていない大半ではない方であることを感じ、小さく口角が上がる。
「先輩、鈴ちゃんとはどうでした?」
「普通だな」
「……いっつもそれですよね。 ん、ボクには言えないようなことをしてたんですか?」
「いや、普通に友人らしい会話をしただけだ」
利優は少しだけつまらなさそうにしながら、ゆっくりと口を開いた。
「変わらないですよね、ボク達」
「身長の話か?」
「ボクの身長は関係ないです。 ……なんていうか、関係性が……ずっと変わらないなって。
普通、仲のいい人のグループで、恋心が発生したりして……それも、気持ちがバレてたらそのままではいられなくなると思うんです」
気まずかったりして、と付け加えられた言葉の意味は分かるけれど、あまり実感は湧かない。
言うならば、最近漫画で知った三角関係というようなものなのだろうが、あんなに感情が揺れ動かされるようなことはない、不思議なことに。
「元々……関係が微妙だったからじゃないか。
鈴とはある程度距離があった、利優とは仕事でいつも一緒にいる。 これ以上離れる必要があるほど仲良くもなく、離れることが出来ない」
「……そうかもしれないですね。 年齢も一緒で、やることも似てたのでグループみたいになってましたが、そもそも仲良くなかったのかな……。 少し悲しいですね、えへへ」
無理して怒った次には、無理して笑う。 嘘ばかりの少女の表情に弱さを見つけて、庇護欲求を覚える。
関係を成り立たせる前に、好意を抱いてしまい、それが表に出されてしまった。
だから、仲良くもないのに、思慕の情のせいで離れることも出来ずにズルズルと一緒にいる時間だけは引きずられていく。
「……利優と鈴とは仲良いだろ。 俺だけが途中からきた余所者だから」
「自分を邪魔者みたいに言うのは、やめてください」
どの口が言うのだろうか。 「ボクがいなければ」といつも言っている利優の言葉とは思えない。
「……今日は鍵を開けてもらいたかっただけだから、もう帰るな」
「んぅ、開けておきますね」
俺が二人の間から抜け出せば上手くいくのだろうか。
利優のようなことを考えながら外に出て、それが自分には出来ないことに溜息が漏れだす。
利優のことはどうしようもないほど好いていて、それに……鈴には恩がある。 振り払って逃げるようなことが出来ない。
変えようとしていないのだから、変わらない。 だとすれば、利優も鈴も……同じように変わらないようにしているのだろうか。
「おやすみなさい、先輩」
「ああ、おやすみ」
昔の罪は償いきれず、今の関係は崩せない。
進まない、繰り返されるだけの日が今日も続いていた。
◆◆◆◆◆
長らく続いていた無感動な時間。 無警戒そうに一人で歩く姿にーー俺は見惚れていた。
情動を煽られ、その場に立ち竦めて、深い欲に駆られたため息を吐き出す。
美しい少女だった。
容姿が可愛らしいのは確かであるけれど、それはあくまでも子供らしく柔らかそうな整った愛らしさだ。
美しいと息を飲むには、あまりに幼すぎる姿。
美しい少女だった。
立ち振る舞いがそうであるかを考えれば、熟考した上で首を振るうだろう。 確かに綺麗な立ち振る舞いだけれど、美しいと言うには可愛らしさが先に立つ。
どうにも、理由が分からないけれど、どうにも、過ぎるほどにはーー美しい少女だった。
慣れた手付きで意識を落とそうとして、手が震えていることに気がつく。 下手にするわけにいかず、見ただけでパニックを起こしたまま、少女の前に立った。
「んぅ、どうか、されましたか?」
ああ、何故前に立ったのか。 久々に聞く自分以外の日本語に、あるいは鈴を転がしたような少女の声の美しさに当てられてか。 考えることすら出来ずに、俺は何かを言っていた。
「俺に……誘拐されてくれ」
「ん、いいですよ」
◆◆◆◆◆
目を覚まして、火照った顔を冷ましに水を浴びに風呂場に向かう。 冷たいシャワーの感覚にも慣れた一か月のことを思い出し、頭の中は利優ばかりになっていることにため息を吐き出す。
「俺は馬鹿か……」
誰が見ても馬鹿らしいだろう。 それから朝の訓練を一通りしてから、水を多め飲み、再び柔軟運動をしてから時計を見る。
まだ朝の五時か。
昨日は早く寝たせいか、随分と早くに起きてしまったらしい。 利優のところに行っても寝ているだろうし、鈴は昼過ぎまで起きてこないだろう。
銃を元の形に戻して、小さく書かれた文字を見る。
【LIU:2015】そう書かれた文字を見て、ストーカー染みた妄執を感じて気持ち悪くなる。
能力と併用することを前提として作った自作銃であり、能力を使わずに使えば一瞬で使い物にならなくなる代物である。
代わりに、自作のため能力の通りがよく、小さいが正確に撃て、作りも単純で修理や手入れが楽だ。
能力の通りを考えて、一つの手を思いついた。 銃に名を付ければ、それだけ思い入れが強まるのではないか。
特に、執着を抱くほどに好いている人物であれば、目論見は成功し、能力の底上げにはなった。
一応、作った年代を入れたりしたが、一年も前のもので、今だったらもう少し良いものが作れるかもしれない。
とりあえず材料を集めるために、組織に向かうことにする。 この時間にも近くで空いているところはそこぐらいだろう。
俺は正規の場所からは基本的に入らないように言われているので、本部ではない場所から入ることになるが。
人気のない個人書店の裏口から鍵を開けて入り、雑に取り付けられた鉄製の梯子を降りる。
利用する者が多くないためだろう、錆ついた梯子はあまり触っていたくなるようなものではなく、血の匂いに似たそれに顔を顰める。
確か、ちゃんとした場所から入れる奴はエレベーターと普通の下り坂だったか。 こっちは灯りもない錆でボロボロになった梯子と、あまりな格差だ。
結構な時間をかけて降りた後は、梯子と灯りだけのある部屋にいた。
打ちっ放しのコンクリートの冷たさの心地よさと、狭苦しい部屋の圧迫感を覚えながら部屋から出る。
変わらない打ちっ放しのコンクリートに、俺を見ている監視カメラと、あまり愉快な場所とは言い難い居心地の悪さがあった。
狭苦しいコンクリートのトンネル、一定間隔毎にある監視カメラ、趣味の悪さに辟易してからそのトンネルの中を歩く。
地下に張り巡らされているトンネルは使い慣れていなければ道に迷いやすい特徴がある。
それに使い慣れているはずの俺でも迷わずに異能処理班に行けと言われれば地図を見ながらでなければ難しいぐらいだ。
もしかしたらわざと分かりにくくしているのかもしれないが、俺にはあまり関係のないことだ。
トンネルを歩き、一つ簡素な扉の前に立つ。
ここから先は暦史書管理機構、異能処理班の区画になる。
扉の形をしていてドアノブもあるが、鍵穴はない。 もちろん鍵がかかっていないわけではなく、普通の錠から鍵穴をなくしたような仕組みだ。
ドアノブを握って、能力を発動する。 ドアノブの内部にある錠を開く。
鍵のような仕組みが細かいものは、レベルの低い能力者には辛いものがある。 軽く汗を拭いながら、扉をくぐった。




