過ぎ去った過去は尊い夢の様 2-3
「鈴はどうしてここに来たんだ?」
学校近くの家よりも、組織のマンションの方が近くにあるということで、家に戻らずにこちらに来た。
あれぐらいでは気まずくなるような関係ではないと思っていたが、自室に戻ってから利優が俺の部屋にくることはなく、代わりのように、鈴が嬉しそうに料理を持ってくる。
「蒼くん、放っておいたら餓死しそうだからかな?」
「いや、そういうことじゃなくて……この組織に所属した理由。 何かあるだろう」
鈴は何がおかしいのか、気を抜かれたようなキョトンとした表情をしてから、クスリと小さく笑った。
「どうしたんだ?」
「ううん、蒼くんからそういう話をするの珍しいから。
私は、普通にお父さんとお母さんがここにいるから、その流れでだよ」
「ああ、鈴は直系なのか」
能力は遺伝する。 塩基配列、遺伝子がある形に近ければ近いほど、能力の強さ……つまりはレベルが高くなる。
当然、両親がその遺伝子を持っていれば、低くない確率で遺伝する。
「いや、二人とも偶発性。 それに能力もないぐらいだしね」
つまり、たまたまいいとこ取りが起こって、両親よりも強い能力を持って産まれたのか。
この組織においても能力者は珍しく、そもそも能力者への対策は組織としてはメインの活動ではない。 神林にはその本来の役割を教える必要もなかったので説明することはなかったが。
「二人とも暦史書管理部だよ」
「あそこか……」
表情を変えたつもりはないのだけれど、鈴には伝わってしまったらしく、クスリと笑う。
「蒼くんは、あそこ苦手だもんね」
「……俺が苦手なんじゃなく、あそこにいる奴が俺を嫌ってるだけだ」
理由はおおまかには分かっているのか鈴は何も言わず、わざわざ自分の部屋から持ってきたコーヒーを飲む。
「両親が近くにいるのに、何故一人暮らししてるんだ?」
「んー、体力ないから、家から通うの難しいの。 結構遠いし。 両親もずっとこっちにいるわけでもないしね。 結局一人暮らしなら、近い方が楽」
「ああ、そうなのか。 ……悪いな」
「ううん、嬉しいぐらい」
鈴の持ってきた鍋にはまだ残っていたので、残りを皿に移してそれを食べる。
「蒼くん」
「なんだ」
「利優ちゃんのこと聞かないの? 喧嘩……というか、なんかゴタゴタしたんでしょ?」
「聞かない。 ……流石に、鈴に利優のことを聞くほど頭が悪くはない」
「別に気にしないのに。 ……それに、聞きたいのは否定しないんだね」
口を噤んで、視線を逸らす。
少ししてから首を横に振って、遅れてだが否定する。
「いや、気になっていない」
「嘘、へったくそ。 でも、ありがと」
鈴は何が楽しいのか、またクスクスと笑って話し出す。
「利優ちゃん、気にしてたよ。 蒼くんが傷ついてないかって、下手なことをして古傷を開かせてないかって」
「ねえよ。 忘れたことはないから」
「……知ってる」
そう言ってから、鈴は心配そうに尋ねる。
「利優ちゃん、蒼くんが前のところに戻るかもって、泣きそうになってた」
利優の名前を出しているが、実際は鈴も気にしているのだろう。 目を伏せながら、紙に何かを書き始める。
『蒼君は利優ちゃんを含めた人事部に監視されているから、下手な方法では接触出来ない?』
周りに人間はおらず、能力による観測をされてもいない。 聞かれていることはないだろうが、筆談に答える。
「周りには人がいないし、観測もされていない」
「あっ、そうなの?」
「この組織の異能処理班すべてに言えることだが、もう少し能力の使い方を学んだ方がいい。 才能に胡座をかきすぎだ。
質問の答えは「はい」だ。 俺に限ったことではないだろうが、保護の意味合いも強いのだろうが、任務は人事部の人間と離れないようにされている。 それに機械? パソコンとか携帯電話とかの情報も監視されているらしい」
「……蒼くんは能力だけじゃなくて、機械の使い方を学んだ方がいいよ。 スマホだけでいいから」
「ハイテクは苦手なんだよ」
鈴は俺の言葉に頷いて、俺の顔を見つめる。
「これは鈴も分かっていることだろう」
「うん。 まぁ、具体的に調べたらストーカーっぽいなって遠慮してたけど。
今の所、話を聞くとね……。 外部の人間と接触したらバレるわけだから……」
鈴は「これから言うことは、ただの想像で尋ねる意味でもないから」と前置きをして、コーヒーに口を付けてからゆっくりと話し出す。
「蒼くんからしたら、居心地のよくない場所からの逃げ道でもあるはずの前の組織との繋がりなのに、ある程度は話すことが出来る。
外部との接触は非常に難しい。
この二つを踏まえると、
一つ、私や利優ちゃんが知ったところでどうすることも出来ない。
二つ、接触するのは外部の人間ではない」
鈴は眼鏡をかけ直して、レンズ越しに俺の目を見つめる。
「この組織ーー暦史書管理機構ーーの中に、それもどうしようもないほど上層部に、ユダがいる」
ほとんど正解したその推測にたいして、首を横に振る。
「いや、違う。 別ルートだ。 言えるはずもないけどな」
「蒼くんは……分かりやすいよね」
「妙な政に関わりたくないだろう。 詮索はやめておけよ」
ああ、こういう言い方をするから利優に気を使わせて泣かしてしまうのだろうか。 そう思っていたら、鈴はクスリと笑う。
「利優ちゃんには、秘密にしておいた方がいいよね?」
「利優も含めて、誰にも言わない方がいい。 目を付けられても面倒だろう」
「……二人の秘密……かな。 なんてね?」
しばらく学校であったことなどの話をするなどして、ゆっくりと過ごす。
鈴は何が面白いのか、楽しそうにつまらない話を頷きながら聞いて、気が付けば外は真っ暗になっていた。
「そろそろ戻るね」
「ああ、暗いから送る」
「同じマンションだよ」
「目、眼鏡掛けてても、暗いとよく見えないだろ」
扉を出て、暗い中、鈴の手を持つ。
鈴の眼は能力によって失明した眼球と交換されており、それを少しずつ治癒されているが、酷い近視と老眼、斜視や乱視、単純な弱視になっていて。 それに加えて暗い場所を見る力もほとんどなくなっている。
短い距離であろうとも、危なっかしいことには変わりない。 少しの時間、足音と小さな息使いだけを聞きながら歩いて、部屋の前で鈴の手を離す。
「またな。 飯、助かった」
「あれ、利優ちゃんが作ったんだけどね」
「知ってる。 そもそも、鍋持って帰ってきてないしな」
「ん、そうだね。 バレバレだった。
利優ちゃんに、ちゃんと返してきてね?」
夕飯を持ってきた本当の理由は、それだろう。 俺がいくら生活力に欠けていると言っても、外食にぐらいいける。
「蒼くん」
「なんだよ」
「暗くて危ないから、部屋まで送ろうか?」
「……ずっと夜通し歩くつもりか」
「それもいいかなって、冗談。 でも、気をつけてね」
クスリと鈴は笑って、顔の横で小さく手を振る。 鈴の顔は暗い中でよく見えないが、ほんの少し寂しげに見えて……二人の優しい子を悲しませてまで、俺は利優を好いていていいのだろうか。
利優の言う通り、鈴のことを好きになれた方がいいのではないだろうか。
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
俺が扉の前を去って少しして、扉が閉まる音が聞こえた。
考えていたのは、鈴に失礼な話だ。 都合がいいから、好きでもないのに、好きになろうとするなんて。
そのまま自分の部屋に戻ろうとして、気がつく。
……鍵忘れた。 勝手に閉まるのに。
明日、鍋などを返しに行くときに会うつもりだったのに、もう会わなければならなくなってしまった。
夜ということもあってか、あるいは何時間も鈴と話をしていたからか、それともあんなにも情けない言葉を晒したからか、なんとなく気まずく感じる。




