過ぎ去った過去は尊い夢の様2-2
「先輩、朝っぱらから何しているんですか?」
子供らしいパジャマ姿のまま、眠そうに目を擦っている利優が俺に言う。
やっと起きたのか。 そう思いながらも訓練を続ける。
「能力の鍛錬」
「せっかくの休日に、なんて有用なことを……」
「有用なことならいいだろ」
利優はキッチンに向かって、ポットでお湯を沸かしながら首を横に振った。
「はぁー、先輩は何も分かってないですね。
休日っていうのは、惰眠を無駄に貪り続けて、寝すぎて逆に身体に不調をきたすぐらい寝るのが通の楽しみ方なんですよ。 真面目なことをするなんて愚の骨頂です」
夏も近づいてきて酷く暑い中、利優は二つコーヒーを淹れて一つを俺の前に置く。 その一つを口に含み「熱っ」などと言いながら噎せていた。
「なんで暑い中にホットコーヒー……。 それに、寝るんじゃないのか?」
「寝ませんよ。 先輩もちゃんと飲んでくださいね」
「……変なもんでも盛ったのか?」
コーヒーを手に取って啜りながら、利優に尋ねる。
「それを疑いながらも飲むってすごいですね」
「まぁ、何か盛られていたとしても睡眠薬とかぐらいだろうしな」
「盛ってませんけどね。 んぅ、それ飲んだら行きますよ」
「行くって、何処にだ。 調査か」
利優はコーヒーを口に含み「熱っ」と二度目の同じ反応を見せてから、俺をからかうかのように楽しそうに笑う。
「デート、ですよ。 先輩」
◆◆◆◆◆◆
デート。 などと自分で行ったのに、デートらしい服装ではなく、いつも通りの動きやすそうなボーイッシュな服装。
期待していたわけではないが、なんとなく微妙な気分になるのは仕方がないだろう。
駅の方向に向かって歩いていることは分かるが、具体的な場所は教えてもらえずいるので、微妙な気分だ。
かと言って、他に何かやることがあるかを問えばそうではなく、正直なところ暇な状況になりそうだったので助かったことは助かった。
尤も、今日、仕事が出来ないのは利優のせいではあるので感謝はしない。
「先輩、その服暑くないですか?」
「うるさい。 利優も似たようなものだろう」
「いや、ボクはいっつもこうですけど、先輩はもっと薄着ですから」
「うるさい」
頭を掻いて、息を吐き出す。
俺は何をしているのか。 何をすべきなのかも分からないのだから、分かるはずもない。
駅に着いて、利優に言われるがままに切符を買う。 そのまま駅のホームに行き、切符の値段と行く方向から降りる場所が分かる。
「……あそこか」
「早いですよ先輩……。 降りたときぐらいに気がついてくれる予定だったのに」
生温い風が俺と利優の横を吹いて抜ける。 少しだけ暑さが流れて、それに従うように利優は俺に寄り添った。
「分からないはずがないだろ」
電車で向かうには遠く、新幹線などを利用した方がいいのではないかと思ったが、どうせやることのない休日だ。
あまり小綺麗でない電車に乗って、他に乗客がいない車両の中、二人掛けの席に並んで座る。
クーラーの風が窓側の方が強いことに気がついて、途中でそちら側にいる利優と席を交換する。
「えへへ、ありがとうございます」
何故女性は冷房が苦手なのだろうか。 筋肉量が少なく、熱が発生させられないからか?
寒さはマシになったはずなのにまだ寒いのか、利優は俺に寄り添うようにして、嬉しそうに微笑む。
「結構、時間かかりますね」
「そうだな」
「人、いませんね」
「そうだな」
「先輩って、優しいですよね」
それに答えることが出来ずに口を噤んでいたら、いつの間にか俺の腕に利優の頭が乗っていることに気がついた。
可愛らしいと緩みそうになる頬を押さえながら、起こさないようにゆっくりと上着を脱いで、利優に掛ける。
睡眠が深くなってきたことに合わせるかのように、利優の頭の位置は徐々に下がっていって、俺の膝に頭を乗せながら「くぅくぅ」と声を出している。
見た目もやることも、まるっきり子供のような姿の少女であるのに、何処か大人びた優しさがある。
「俺は優しくないな」
利優が眠りだす前の言葉にひどく遅れて返す。
少なくとも、利優と比べてしまえば分からないほどしかない。
寝ていて、否定されようのない時に答えるのは卑怯なことだろうか。
白く小さく、握れば折れてしまいそうな手を、振り払われることがない時に握って、その暖かさに目を潤ませるのはーーどれほど卑怯で、情けないことなのだろうか。
あるいは、それも利優には見透かされているのかもしれない。 だとすれば、俺の心境やら情緒やら、なんてあまりにも愚かしいものでしかないように感じる。
利優に俺の想いが全て理解されているのは、利優が優しく人を想える人だからだけではなく、俺が分かりやすい人間であることも多く影響しているだろう。
単純な、分かりやすい情緒しかないのだ。 俺には、まともなフリをしたところで。
言い知れない敗北感。 口を開けて寝ている利優の頬を突きながら溜息を吐き出す。
「んぅんん、えへへ……好きですよ……」
思わず緩みそうになる頬を押さえながら、停まった駅の名前を見る。 もうそろそろか。
「鈴ちゃ……えへへ、へへ」
そういうことだろうと思ったよ。
脚を組み直すようにあげれば、利優はびっくりしたように起き上がって周りをキョロキョロと見渡す。
「着きました?」
「まだだ。 もう少しで着くから、乱れてる髪を直しておけよ」
雑な起こし方だったからか、少し不満気な「んぅ」という返事をしてから、ボサボサのショートカットを手で梳くように直す。
それから五分ほどで目的の場所に着いて、誰もいない小さな駅に降りる。 無人駅にもある自動販売機で飲み物を買って利優に手渡す。
利優の電車に揺られていた疲れが軽く癒えるまで駅のベンチで風を浴び、空き缶を捨ててから駅を出る。
「先輩って、騙されやすいですよね」
利優はそう言ってからクスクス笑い、何のことを言っているのか分からず首を傾げる。
駅から出ても人が見当たらない場所。 そこから人気のない方向へと二人で歩く。
「懐かしいですか?」
「いや、そうでもないな。 あの時は電車を使ってなかったから、この駅はこうしてくる時だけだ」
何度か歩いた道は迷うはずもなく、人気のない山道に入り込んだ。
先ほどよりも、いつも歩いている登校路よりも涼しく感じるのは日陰になっているからだけではないだろう。
風が木の葉を撫でて揺らす音を聞きながら、立ち止まる。
「ここですね」
疲れた様子を見せながら利優は立ち止まり、俺はもう少しだけ進む。
「ここだ」
「細かいですよ」
俺にとっては少しのズレでさえも嫌に思うほど大切なことは、利優にとってはそうではないのだろう。
分かりきっていたことだった。
利優は困ったように笑いながら、俺の方に向かって話す。
「先輩って、記念日とか大切にする面倒くさい彼女みたいですね」
「……悪かったな」
「ボクなんかよりも女の子みたいです。 ……ここで先輩に誘拐されたんですよね」
軽く頷く。 けれど、誘拐したのではなく、させられたというのが正しいだろう。
俺はそう命じられていて、利優も誘拐されるように命じられていた。
運命などと女子供のようなことを語るには、あまりに作為的で醜い。
「先輩、前に先輩がいた組織と……今ボクたちといる組織……暦史書管理機構。
どっちにいる方が幸せでしたか? どちらの方が不幸でしたか?」
そんな話をするためにここにきたのだろうか。 女々しいのはどちらの方なのか。
いや、こういう場に連れてこなければ俺がはぐらかすと思ってのことなのだろうから、女々しいのは俺だけか。
利優の質問への答えは決まっていた。
「今いる方が幸せで、不幸だよ」
利優はゆっくりと笑みを浮かべる。
「知ってます」
なら何でこんなところにまで来たのか。
不思議に思っていたら、利優は続ける。
「逃げていいですよ。 先輩のことですから、前にいた組織に逃げれるようにしているでしょう?」
利優はそう言って、背伸びをして俺の首元に触れる。
風が木々の合間を縫って、すり抜け、利優の髪の毛を揺らして流れていく。
「……気がついていたのか」
「先輩って、何でも顔に出ますから。 本当に、顔に書いてるみたいに見えるんです」
「……逃げない。 俺からしたら綺麗なことをしていようが、汚いことをしていようが、どちらも同じだ。
あとは面倒な仕事か、手っ取り早い仕事かだけで」
続けて言おうとした声が詰まる。
どれほど俺は女々しいのか。 分かりきられた想いぐらい、伝えろ。
「違いなんて利優がいるかどうかでしかない」
利優は褒めるように表情を柔らかく崩し、俺の手を取り、指を絡ませた。
「じゃあ、ボクを誘拐したら手っ取り早くてボクもいるところになりますね。 誘拐しますか。 前みたいに。 無理矢理捕まえて、抱き上げて、表情もなく」
それもいいかもしれないと想像してから、けれど首を縦に振ることは出来なかった。
「先輩は、先輩が思っているよりもいい人ですよ。
どうしようもないぐらい選択肢がないときは、無理矢理にでも自分を納得させて行うかもしれませんが。 でも、選択肢があれば、自分よりも誰かを優先します。
神林くんも、そんな先輩だから、本気で戦うことが出来たんだと思います」
利優は本当に飾り気がない。 髪はショートカットで、染めることも脱色することもない。
服装も地味で、年頃の女の子のようではない。 化粧っ気もなく、一応は身嗜みに気をつけていても、不潔にならないようにぐらいだ。
その飾り気のなさ、言葉もその通りであった。
「先輩は……いい人です。 頑張り屋です。 すごい人です。
だけど、もう自分を虐めるみたいに頑張るのはやめましょうよ。 もっとボクを頼ってくださいよ。 その気持ちは鈴ちゃんも同じです」
「……少し休めば、思い出す。 母を殺したことを。 その記憶から逃げ出したいから動いているだけだ。
あくまでも自分のために」
「違いますよ。 本当にそうだったら、もっと簡単な逃げ道があるじゃないですか。 鈴ちゃんとイチャイチャしたりしたら、そんなことを思い出しませんし。
ボクに好きって言ってくれていても同じです。
わざわざ、思い出すようなことをしてるじゃないですか。 肌身離さず身につけて、握ってるじゃないですか」
利優は俺の腕の拳銃を見つめる。
「言い訳です。
忘れたいから働き続けるなんて……。 先輩はなんで、頑張っているんですか?」
逃げ道を塞がれて、唯一の道には利優が立ちふさがっているかのようだ。
思ったように口が動かず、頭が揺れるような感覚が蝕む。
俺はーー何がしたいんだ。
自分でも、そんなことが分からなかった。




