過ぎ去った過去は尊い夢の様1-4
利優に付いて家に戻って、玄関の前で利優を家の中に入れる。
靴を脱ごうとした利優はバランスを崩して倒れそうになり、それに手を伸ばして支える。 後ろから扉の閉まる音が聞こえ、同時に錠の閉じる音も聞こえた。
「利優」
「開けませんよ。 ……不良さんも、この時間で友達もいないのに立ち歩いたりしませんよ。
立ち歩いたとしても、角さんが対応してくれます」
そういう問題ではない。 やれることを可能な限りやるべきなのであって、代替えが効くことだからと妥協するものではないのだ。
その考えは分かりきっているのだろう。 利優は話を聞こうともせずに俺の手を引っ張って、リビングに連れ込んで、そこの錠も閉じて俺をリビングと、それに繋がっているキッチンに閉じ込める。
異能力において、利優は錠と鍵に特化している上に、俺よりも三段階も高い「7」相当の能力者だ。
物理的に鍵を開けることは勿論のこと、俺がいくら抵抗しようと鍵を開けるのは不可能である。
「一日何時間働いてるんです。 ブラックにもほどがありますよ。 一日の起きてる時、ほとんど働いてるじゃないですか。 休んでください」
「……疲れていない。 必要があることしかしていないだろう」
「先輩が身体を壊したら、今後に支障が出ます」
「この程度で壊れるか。 ほとんど動いていない楽なことばかりだぞ」
言い返しはするが、ここから抜け出すことは出来そうにない。
抜け出したとしても、利優が俺を追いかけて外に出れば、人形などに襲われないように護衛をする必要があるので逃げることも叶わないのだから、抵抗する意味はないと結論付ける。
「……先輩、なんでいつも働きたがるんですか」
「必要だからだ」
「そんなことを聞いているんじゃないこと、分かってるくせに」
ソファに座れば、利優も隣に座って俺の手を握りしめた。 もう片方の手で太腿を撫でて、先ほどまでの責めるような口調ではない柔らかな声色で尋ねる。
「……先輩は、まだ自分を許せませんか?」
利優の息は濡れたように穏やかで、情欲を誘うはずの匂いも安心しか感じられずにいた。
問いに答えることも出来ずに息を繰り返す。
「……許せるも、許せないも……俺の決めることではないだろ」
「じゃあ誰が決めるんですか?」
「……母が、決めることだ」
殺した母の顔は、まだはっきりと思い出せた。 けれど、どうしてだろうか。
ずっと笑ってくれていた母なのに、笑顔の一つ、思い出すことが出来ずにいる。
「お母さんは許してますよ。 優しい人だったって、言ってたじゃないですか」
利優は俺の頭を撫でて、泣きそうな顔で笑う。 自分の好いている、自分を大切に思ってくれる子を泣かせそうになっていることを思えば、あまりの情けなさに吐きそうになるぐらいだ。
優しい人か。 優しい人だった。
優しい人だった気がする。 もう分からない。
「怒った顔や、泣いている顔は思い出せるのに……笑った顔が思い出せないんだ」
「……先輩が、泣いているからですよ。
記憶は感情と紐付けられています。 嬉しいときには嬉しかったときのことが思い出されますし、悲しいときには悲しいことを思い出します。
先輩がずっと泣いているから……お母さんも泣き続けているんです」
目を触っても涙なんて付いていない。
表情もグシャグシャになっているのは利優の方で、俺の方がまだ余裕があるかもしれないぐらいだ。
それでも、泣いているのは俺の方なのだろうか。
利優は小さな手を俺の頬に当てて、その手をゆっくりと頭の後ろへと持っていき、抱きしめる。
「……泣かないでくれ。 利優には関係のない、俺のことだろう」
「泣きますよ。 だって、先輩が泣いてるんですもん……」
ずっと利優はそうだった。
ずっと利優はそうだった。
ずっと利優はそうだった。 いつも、あまりにやさしかった。 いつだって人のために泣ける子で。 いつか、人のために身を滅ぼしてしまいそうな。
ずっと利優はそうだった。
あまりに危うく、けれど穏やかな。
無理矢理、連れ去った俺を気遣う……何処か気がおかしくなったのではないかと疑うほど、優しい子だった。
「初めてあった日から、ずっと先輩は泣いているんです。 どうしたらいいのか、分からなくて。 優しく抱き締めてあげるのも、出来なくて」
利優は俺の頭に涙の雫を垂らして、子供のように泣きじゃくる。
かわいそう。 助けてあげたい。 だから、だから。
まるで俺は捨てられた子犬であるかのように、必死で俺の哀れさを説いて、俺を助けようと俺に言う。
「利優、俺は……」
「好きな女の子が前にいるんだから、抱き締めたらいいじゃないですか。
鈴ちゃんみたいに可愛い女の子が好きって言ってるんですから、付き合ったらいいじゃないですか。
好きなようにして、楽しんで、嬉しくなって、喜んだら……いいじゃないですか」
馬鹿。 利優は鈴を転がすような愛らしい声でそう言った。
俺を抱きしめることを止めて泣いている利優の頭をグシグシと撫でる。
柔らかく細い髪は、随分と俺の物と違うことに気がつく。
ゆっくりと、流れているのかも分からないほどゆっくりとした時間がゆらりと続いて、利優は腫らした眼を擦る。
「眠いのか」
「夜遅いので、一緒に、寝ます」
泣き疲れて眠るなんて、本当に子供のようだ。
小さな身体を精一杯に俺にくっつけて、甘えてぐずる頑固な子にしか見えない。
俺はそれを引き離して、利優の名前を呼ぶ。
「利優。
当然、別の場所で寝るし、利優のことはそんな風に抱き締められない。 勿論、鈴と交際することもない」
利優は涙を流して、首を横に振る。
「普通にしてくれたらいいだけなんです。
普通、可愛い女の子から好きだって言われたら、付き合うじゃないですか……」
「俺は、利優のことが好きなんだ」
バレバレだったらしいが、しっかりと口に出したのは初めてのような気がする。
好意を口に出して伝えるなど小恥ずかしいが、落ち着いて伝えることが出来る。
「だから、いくら鈴が優しい人だったとしても付き合うことはない」
「じゃあ、ボクは抵抗なんてしませんよ。 先輩の好きなようにしたら、いいです」
「利優のことが好きだから……君には格好つけたいんだ」
グシグシと、また頭を撫でて利優に笑いかける。
「馬鹿です。 先輩はどうしようもなく。
泣いてるのに、泣いてないフリなんて、カッコ悪いにもほどがあるのに」
ソファに座り込んで苦笑する。
「いつか、格好いいと思わせたいから。 格好悪くても格好付けるよ」
「仕事に逃げてて、すごくカッコ悪いですよ……。 本当に、カッコ悪いです。 ロリコン、カッコつけしい」
今日だけは少し休もう。 とは言え、もう11時過ぎているけれど。
「利優、シャワー浴びてこい」
「えっ、あっ、いや、その……好きなようにって言うのはそういう意味ではなくて……」
「眠いんだろ。 汗かいてるだろうから、湯船は無理でも寝る前に汗ぐらい流しておけ」
「あ、そういう……。 ん、そうですけど……。 寝たら先輩、逃げ出しますし……」
「逃げねえよ。 もうこの時間だから、どうしようもないだろう」
渋々といった様子で利優はリビングから出て行く。 しばらく放りっぱなしだった拳銃について書かれた本を開き、理解し暗記出来るように努める。
首に巻いたネックレス状にしている弾丸の残り段数を数えて、使用用途と場所、使用した数をメモに書く。
ここでの生活の中で必要になり買った領収書の中で、経費が降りそうなものをまとめて、降りることがなさそうなものは捨てる。
最後に人形の出現した場所の傾向をまとめていたら、パシン、と小気味好い音が頭に響いた。
「ああ、出たのか」
「んぅ、結局、仕事してるじゃないですか!」
「落ち着かないんだよ」
ああ、格好悪い。 俺は利優の言う通り、過去を割り切ることが出来ずに、仕事をし続けることで、思い出す時間をなくそうとしているだけだ。
分かっているけれど、それでも、思い出して過去と向き合うだけの勇気は俺にはなかった。
人形の情報をまとめ終えた頃、息をゆっくりと吐き出したら、味噌汁の良い香りが鼻腔に入る。
「仕方ない、人ですから」
どちらがなのだろうか。 眠そうにフラフラとしている利優の姿を見て、少しだけ笑った。




