過ぎ去った過去は尊い夢の様1-3
話の通り、第一番目に退院した不良の少年、村上の周りを気が付かれない程度に探るが、思ったような人物とは違う。
茶髪に頭を染め上げて、ワックスで固めピアスを開けまくっているのは校則違反であるが、悪事と呼べるようなことはその程度で後はサボりや遅刻、早退が非常に多いぐらいだ。
もちろんそれらは学校としては認められたものではなく、正されるべきことなのだろうが、俺にとっては悪事や素行が悪いと言えるほどのことではない。
少なくとも銃刀法違反どころかぶっ放しまくっている俺よりかはまともそうである。
「不良って案外悪くないですね。 先輩の方が色々悪い人です。 ……誘拐とか、です」
利優は軽く微笑んで、遠くに見える村上を見ている俺の頬を突く。
「そこらの学生が誘拐起こしまくるのとか、治安悪すぎるだろ。 それに、そんな昔のことどうしたんだ」
「ん、この前先輩がボクを押し倒したときに、初めて会ったときのことを思い出しまして。 えへへ」
三年前の事だったか。 俺にとってはあまり思い出したくはない過去のことで、けれど利優がそれを口に出して笑ってくれるのは、言い表しにくいほどに嬉しく思う。
村上が自宅に戻ったのを確認してから、村上が夜遊びに出かけるまでに、ひとまず食事を摂るために近くの店に入った。
「初めて会ったときも、この前も、ずっと先輩はボクを押し倒しますよね。 いくらボクが魅力的だからって……」
「早く食って出るぞ」
「先輩は頼まないんですか?」
「いざとなったときに食っていたら吐くだろ」
利優はモグモグと口を動かしながら箸でつまみ、俺の口元に近づける。
「少しは食べた方がいいと思いますよ?」
食物の匂いに食欲を誘われるが「利優が咥えていた箸か……」などと妙なことを考えれば、耐え難い気恥ずかしさに口を開けることが出来ない。
「んぅ、頑固ですね。
じゃあ、帰ったら先輩の大好きな餃子…………。 いえ、鮭の塩焼き、作ってあげますね」
餃子も別に嫌いではないけれど、そちらの方が好きなのは確かだ。
軽く頷きながら、ポケットの中で少しだけ震えた携帯電話に手を伸ばす。
「先輩、メールアドレス作ったんですか?」
「……ああ、この前な」
それだけ言えば、利優にならばあちらに帰ったときに作ったことが通じるだろう。
「利優ともすぐにメールアドレスを交換するつもりだった」そう言い訳しようと口を開こうとして、利優の嬉しそうな微笑みに口を噤まされる。
「鈴ちゃん……喜んでいましたか?」
言葉にならない、身勝手な悲しみに肺が圧迫されたからだろうか。
小さく頷くことが精一杯で、自らの意思の薄弱さに失望を覚えた。
「よかったですね。 二番目は、ボクに教えてくださいね」
「……ああ」
恥ずかしげもなく「嫉妬してくれ」などと言えるはずもなく、それを期待していた自らの半端な醜さに嫌気が指す。
「先輩、鈴ちゃんはいい子ですよ。
可愛くて優しくて……何より、先輩のことを大切に思っていますから」
そんなことは分かりきっていた。
「そうだな」
小さく返して、軽く頷く。
「話ばかりせずに、早く食べろ。 不良というのは、夜に出歩くのが好きらしいからな」
「んー、はいはい。 でも、友達もいないのに出歩きますかねー。 眠くなってきましたし、帰りません?」
「分かった。 送る。
眠いなら夕飯の用意とかはいい」
「先輩はいること前提なんですね……。 先輩も少しは休んだ方がいいですよ?
なんだかんだ言って、学校に仕事にボクに勉強を教えて、家事もしてくれてますし……。 ずっと動いていますよね」
食べ終えた利優を家まで送ろうとするが、首を横に振られる。
「先輩も、少しは休んだ方がいいですよ。
先輩が帰らないなら、ボクも一緒にいますけど」
「俺はこうしてる方が楽なんだよ。 ……放っておいてくれ」
利優は拗ねたような表情を見せて、俺の服の裾を掴む。
「……放ってなんて、置けませんよ。
先輩はいっつも無茶ばかりです。 五時間以上寝たの、神林くんとあっちに帰ったときぐらいじゃないんですか?
起きてるとき、ずっと気を張ってますよね」
利優の手を軽く払って、否定する。
「眠くなったら寝るぐらい子供でも出来る。
何も問題ないからこうしているんだ。 利優が付き合う必要もないから、利優は帰って休んでくれ」
「……ボクの仕事は、先輩の面倒を見ることです。 無理をするから」
早く歩いて村上の家の近くで隠れる。
動く様子はないが、十二時ぐらいまでは見張っておいた方がいいかもしれない。
「違う。 利優の仕事は能力者を見つけること、それに見つけた能力者の処遇を決めることだ。 俺との関係は業務には含まれていない」
「先輩の仕事も、不良さんを守ることじゃないです」
「そうだ。 個人的に業務外でしていることだ。 利優が付き合う必要はない」
「……真面目なのは美徳と思います。 でも、先輩のそれは真面目なのではなくて……。
なんて言えばいいのか、分からないですけど……」
強い風が吹いて、利優の小さな声を聞き逃してしまう。
何を言うつもりだったのだろうか。 だいたい言いたいことは分かったつもりだ。
顔を赤く染めた利優が再び服の裾を掴む。
「先輩はボクのことが大好きで仕方ないんですから、だから、だから少しぐらい心配してるって言葉ぐらい、聞いてくれても……いいじゃないですか…………」
夜も深くなってきている。 明日は土曜なので休日だが、利優は体力もなく風邪を引きやすいのでそろそろ帰した方がいいかもしれない。
けれど、村上が出てくる可能性も襲われる可能性もある。
振り払うことも握ることも出来ない、服の裾を掴む小さな手。
どうすればいいのか分からず、苛立ちが募る。
「……俺がお前のことを好きだと知っているなら、困らせないでくれ。 それとも、俺の好意は都合良く動かすためのものなのか」
「そんな言い方、酷いです。 心配してるだけじゃないですか……」
「いらないと言ってるだろ」
服の裾を引っ張られている感覚がなくなって、代わりに利優の眼が俺を睨んでいた。
「先輩の馬鹿」
利優は捲したてるように続ける。
「社畜、ワーカーホリック! 脳筋! すけべ! ロリコン!」
俺の顔に向かって手を伸ばすが、つま先立ちでも届かないからか、つま先立ちを止めて腹をパチンと叩いて、叩いた手を痛そうに摩る。
「先輩は、いつもいっつもいっつもいっつもいっつも……いっつも! そうです! ボクのこと好き好き言うのに、全然話聞いてくれないじゃないですか!」
「いや、ほとんど言っていない……」
「顔に書いてますからっ! 丸わかりですから、隠せてると思ってるの先輩だけです! もう、学校でも先輩がボクのことが好きで仕方ないこと、みんな勘付いてますからね!」
小さい身体からなんでそんなに大きな声が出るのだろうか。
恋心を暴かれる不快さに顔を顰めていると、利優は後ろに振り返って、走り出す。
「実力行使ですよっ」
離れられれば付いて行くほかになく、すぐに追いついて並走する。
「家に帰るなら。 走らなくても送るって」
俺を無視して家に向かって走り続ける利優。 三分ほど走ったところで、利優の酷く息が荒くなり、明らかにペースが崩れて終いには歩き始める。
「何がしたいんだよ」
「そんなのウップ……決まってるじゃ、ないですか……」
利優は熱くなった小さな身体を俺に寄りかからせて、吐息を腕にかける。
「先輩に、幸せになってもらいたいんです」
途切れ途切れ、馬鹿みたいに意味なく走ったために息を切らしながら、けれど真っ直ぐに俺を見て、利優は確かに言う。
「ずっとずっと、思ってます、言ってます。 先輩は幸せになっていいんですから」
そんな馬鹿なことを真っ直ぐに。




