転校初日1-1
日本の学校など、何年ぶりのことだろうか。
学校制服に袖を通したのは初めてであるが、それを含めたとしても少年時代の小学校と大した差がないように感じられる。
日の差し込みを考えられて作られた校舎は、見た目だけでなく窓から吹く風の音や雑多な薄い匂いも小学校の頃とあまり変わらない。
慣れない環境の不安や、もう無理だと思っていた高校に通える喜びよりも、ノスタルジーに近いような懐かしい感覚。
隣にいる利優は昨日までのはしゃぎようが嘘のように、緊張した様子で隣を歩いている。
この学校はネクタイ、女子ならばリボンの色で学年を分けているらしく、1学年につき100人程度であることも合わさり、真新しい制服もあって分かりやすく転校生然としているようだ。
端的に言えば、目立っている。
「ヤバイです、ヤバイですよ先輩……」
「落ち着けよ」
先輩とは呼ばないように言っていたが、すっかり頭から抜け落ちているらしい。
緊張しているのだったら仕方ないか、最悪の場合でも先輩というあだ名が他の人にも定着する程度である。
「先輩はなんでそんなに落ち着いてるんですか?」
「いや、落ち着いてるというか……」
そもそも前提として仕事で来ているのだから、緊張しているわけにはいかない。
むしろ利優は何をしにここに来ていると思っているのだろうか。
職員室にたどり着き、戸を叩き中に入る。
「失礼します。 本日から転入させていただく水元 蒼と塀無 利優です」
気だるそうな女性教師がゆっくりと立ち上がり、俺と利優の顔を見る。
「あー、じゃあもう行くか」
ロクに説明もないが、だいたい流れなんて決まっている た。 自己紹介をして、休み時間に質問を受けて授業に参加するぐらいだろう。
もたついている利優の手を軽く引きながら教室に向かい、教室の扉の前で止められる。
「おーい、みんな、今日からお友達二人増えるぞー、やったなー」
「熊野先生、それ小学校のやつです」
「みんな、仲良くするんだぞー」
「面倒くさいからってそのまま押し通そうとしないでください」
「というわけで入ってこい」
熊野先生に呼ばれたので、軽く手を引きながら入る。
「うわぁ小学校のやつだ」
第一声である。 オチがついた。
利優の方を見れば、それで少しムッと表情を歪めたが注目を受けていることに気が付いたのか顔を俯かせながら俺の後ろに隠れた。
「えーっと、なんかどうぞ」
促されたまま口を開く。
「水元 蒼です。 こっちのは塀無 利優。 よろしく」
「よろしく、お願いします」
概ね問題のない自己紹介を終え、好奇心の溢れる眼が向けられる。
「んじゃ、質問はあるか?」
「はーい! 熊野先生のスリーサイズは幾らですか!」
「横野、欠席……と」
「職権乱用っ」
「あ、俺たち何処に座ったらいいですか?」
「マイペースか!」
「じゃあ、横野の横んところに詰めて入ってくれ、後ろに置いてる机を並べて」
熊野先生の言葉に頷いて利優を引き連れて一番後ろの列に机と椅子を並べる。
窓側の席に利優を座らせ、俺は先ほど熊野先生にセクハラを働いた男の隣に座った。
「横野さいてー」という非難の声を気にした様子もなく、意外にも端正で整った顔立ちをニヤリと楽しそうに笑わせながら口を開いた。
「よっ、俺は横野 弘人だ。 これからよろしくな」
人懐こい仕草に釣られて少し笑い、軽く熊野先生を一瞥してから頷く。
「ああ、よろしく」
横野にだけ聞こえるように小さな声で続ける。
「さっきは助かった」
横野は軽く頬を掻いて、首を横に振る。
「そういうのダサいから、言わなくていい。 こういうのは独りよがりなもんだよ」
利優の緊張をした様子を見て、身を張って話題を逸らそうとしてくれたのだろう。 笑みを見ればお調子者なのは元々かもしれないが。
何を話しているのかに興味を示している他のクラスメイトに社交的に笑みを浮かべ「よろしく」と口に出す。
それをきっかけにして、教壇で行われなかった質問合戦が始まった。
「えと、水元くんって、何処から来たの?」
滞りなく学生生活を送れるように、だいたいの質問には返答を用意してきたので嘘も混じっているが淀みなく答えていく。
「関東の方」
「好きな食べ物は何?」
「ハンバーガーとかのファーストフードが好きだな、一人でよく行く」
「好きな女の子タイプは?」
「優しい子」
「具体的には?」
「押してくるな、小さな気遣いが出来る子かな」
「私とかどうかな?」
「ガンガンくるな」
当たり障りなく答えていく、利優の方を軽く見て大丈夫かを確認すると、興味が俺から利優の方に移ってしまったらしい。
「塀無さんだっけ? 水元くん……いや、蒼くんと知り合いみたいだけど、どういう関係?」
「ああ、親戚。 色々あって一緒に通うことになった」
「塀無さんは話さないの?」
「あー、いや、楽しみにしてたみたいなんだけど、どうにも緊張しちゃってるみたいで。 よければまた話しかけてくれるとありがたい、なあ」
利優は頷き、俺の背に隠れるように縮こませる。
「放課後、学校の案内してあげよっか? 蒼」
「半端ない勢いで親密度上がってるな。 アメリカに紛れ込んだのか、俺は」
授業開始のチャイムの音が鳴り、ガヤガヤと囲まれていたのが名残押しそうにだけど離れていく。
最後にすごく押してくる女子生徒の言葉に甘えることを伝え、鞄から真っ新のノートと教科書を取り出す。
授業はそこまで難しいものではなく、油断さえしなければ置いていかれることはなさそうだ。
「う、うう……」
隣で唸っている利優には、仕事に支障が出ない程度には家で教えてやらないとならなさそうだが。
不慣れな環境は時間が早く感じ、軽く復習をするような授業は昼休みで中断される。
チャイムが鳴り、利優を連れて立ち上がろうとしたら先ほどの女子生徒がまっすぐにこっちに向かってきた。
「良ければ一緒に食べない?」
その言葉は俺にではなく、利優に。
利優は少し嬉しそうに頷いた。 あ、このアメリカ並みに押してくる奴かなりの策士家だ。
元々邪険にするつもりはなかったが、邪険にすることが出来ない状態になってしまった。
軽く横野に目を向けると、察したように頷く。
「俺も一緒でいいか? いいよな? いいんだな、やったぜ」
「えー、横野もくるのー?」
「なんだよ、別にいいだろ?」
「いいかダメかで言うと、ダメ」
「なんでだよ、転校生はみんなのものだろ? 転校生を独り占めとか歴史的な暴挙だぞ。 そういった考えが富の集中を招くんだよ」
「みんなで仲良く分け合いましょーなんてしたら、誰も転校生の仲良くなれないでしょ。 それは平等かもしれないけど、誰も幸せになれないことでもあるのよ」
何故政治の主義の話になっているのか。
飯を食べにいくという話ではなかったのか。
「んで、水元達は弁当持ってきてる? それとも持ってきてない?」
「ああ、持ってきているな」
利優が早起きして作ってくれたものだ。 微妙に可愛らしい弁当箱は俺が持つと少し違和感があるが、それに突っ込まれることはなかった。
「んじゃ、せっかくだからいい場所教えてやるよ」
そういって、横野は昼食らしきスーパーの袋を持って立ち上がる。
横野は友人らしい人に軽く手をふってから、俺と利優、それに女子生徒の三人を連れて廊下に出る。
確かに教室の中は人が多くてその上に目立っているので食べ辛いことは確かだった。
学校の上に上にと階段を登り、階段をのすぐ先に扉がある場所まできた。
「屋上? でも鍵閉まってなかったっけ?」
女子生徒の言葉に横野は頷く。
「ああ、確かに鍵閉まってたし、その開けるための鍵も紛失してしまってたんだけど……。 色々あって開いてな、そのまま鍵がないから締めることもなく放置されてるんだ」
その言葉どおり、ドアノブを捻ると抵抗も何もなく扉が開いた。
頬を撫でていく風や、目に映る青い光は地上で感じるものよりも清々しく感じる。
勘違いかもしれないが、悪くない場所だ。