5話
高遠家の敷地は広く、1度の案内ではまるで配置が覚えられない。その為新学期が始まるまでの間に、度々義兄らに家の案内をしてもらっていた。その中で、「危険だから近づかないように」と全員から注意を促される場所があった。二丸たちが暮らす建物の奥にある、竹藪が生える場所だ。義兄達曰く、危険な妖を隔離するための場所であるという。よっぽどのことがない限り危険だから近づいてはいけないと、それはそれは念を押されていた。
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今私が居るのは、居間として紹介された広い洋室だ。母屋の奥の方にあり、ここに来れば義父か義兄らの内の誰かがいる確率が高い場所だった。今は私の他には奏世が居り、真紅のソファに身を沈めて新聞を読んでいた。先ほどからずっと沈黙が降りていたが、お互いにお互いがこの場に居ることは認知している。沈黙を裂くためにも、これは質問する機会として丁度良いのかもしれない。
「あの」
声をかけると、ちらり、と奏世の視線があがった。返事が無いことに臆するが、(えぇいここは勇気を振り絞る時)と言葉を続ける。
「竹藪のところって、誰かいるんですか?」
念押しをされ続け気になっていた事を恐る恐る尋ねると、奏世は新聞から顔ごと視線をあげた。こちらをじっくり見つめるが、返事はまだない。
「あっ、あの、出すぎた質問でしたっ」
いつまで待っても奏世からの言葉はなく、まずった、と慌てて謝る。しかし奏世はようやっと「いや」と言葉を発し、首を横に振ってみせた。そして持っていた新聞を閉じて脇に置き、話し始めた。
「話すべきか悩んでいただけだ。やはり、知って置いた方がいいだろう」
「ということは、やはりどなたかが……」
「あぁ。あそこには今、あの時の黒衣の男が居る」
「!?」
サラッと暴露され、開いた口が塞がらない。
「えっ、あの、」
それはつまり、あの時私を凍り付かせた黒衣の人は、妖だったわけだ。そして更に言うなら隔離されるほど危険な妖だったというわけだ。彼の纏う黒く不快な霧に圧倒され動けなくなったのは、本能的にそれを悟っていた、と考えていいのだろうか。まさかそんな危険人物、いや、危険な妖と初日に遭遇していたなんて想像もしていなかった。そしてその後一目も会うことが無かった妖は、今竹藪の奥に危険な妖として隔離されている。
「心配するな、今のところ何も起こっていないし、あの男も起こしていない。念のためあそこに隔離している」
ありありと不安を表す私を安心させるように、奏世は(普段の彼に比べては)優しい声音で不安を和らげさせようとしてくれる。
「だからといってこの先何も起こらないとは言えない。近づくなよ」
釘を刺されるように付け加えられたその一言が無ければもっと安心できたのに、などとは言わない。不安になっている私に対し気を遣って答えてくれ、優しく釘を刺してくれたことに感謝する。
(近づかないように。気を付けよう)
妖が見えるだけの普通の人間である私が危険な妖に遭遇したら、一瞬でコロリ、に決まっている。そこに危険な妖が居ると知ったのなら、近づかない方がいい。触らぬ神に祟りなし、だ。
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「……ない」
奏世とのおしゃべりを終え、自室に戻り机の上に視線をやると、部屋を出る前にそこに置いておいたはずのハンカチやら悠市にもらったプリントやらが忽然と消えていた。
「えっ、どこ!?」
焦って部屋をぐるりと見渡すが、それはどこにも見当たらない。悠市がわざわざ作ってくれたプリントを無くすなんて、当然あってはならないことだ。そして一緒に消えたハンカチは、ここに来る前に義父に貰ったものだ。母がくれたリリーの香水を落としてあり、お気に入りのもの。それがどちらも姿形が無いなんて。
「待って待って、どこ? え、どこ!?」
少々パニックを起こしながらその場でグルグルとまわっていると、ふわりと優しい風が頬を撫でた。
「……ん? 風?」
無駄に回っていたのをピタッと止め、恐る恐る机の方を振り返る。机の向こうには、全開の窓。
「全開の、窓……」
今考えられる結論は1つしかない。プリントも、ハンカチも。
「外……!」
窓に駆け寄り身を乗り出して辺りを見回してみるが、何も見当たらない。もしかしたらもっと遠くに飛ばされているのかもしれない。更に遠くへ行ってしまう前に、早く見つけなくてはと、部屋を飛び出て建物の外へと走り出る。
建物の外に出て周りを見回してみるが、やはり部屋から見た時と同じで、プリントもハンカチも見当たらない。少し離れたところにある茂みに引っかかっているかもしれないと、がさごそと手探りしてみるがそこにもない。
「もっと遠くなのかな……」
キョロキョロと辺りを見回しつつ、二丸達が暮らす建物の方にも足を伸ばしてみることにする。母屋から少し離れた建物の方にまわり、不安になりながら建物に沿って進んでいると、少し先の壁と地面の接地面辺りに、白い紙が引っかかっているではないか。
「み、つけたー!!!」
また飛ばされていってしまう前に、やや強めにガシッとプリントを押さえつける。しゃがみこみプリントとの距離を縮めながら、ゆっくり持ち上げ内容を確認する。土がついて、ぐしゃっとしてしまったが、それこそ私の探していたプリントだった。
「よかった、私のプリントだー!」
数年来の再会と言わんばかりにプリントを胸に抱きしめる。
「よかった、本当に、よかった……」
プリントと再会できたことでホッと一安心した。しかしまだハンカチは見つかっていない。プリントがこちらに飛ばされてきたということは、ハンカチもきっとこちらの方向であっているのだろう。しかし。
「あっちは、竹藪……」
建物の奥には竹藪がある。そして今自分がいる場所から竹藪の間には、ハンカチらしきものは何も見えない。つまり、きっと、ハンカチは、竹藪の方。
「ど、どうしよう……」