幕間
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二丸たちが暮らす建物の奥には竹藪が生える庭がある。竹藪の更にその奥には、ひっそりと佇む離れがあった。そこは危険な妖を隔離するための場所であり、よっぽどのことがない限り、高遠家の直系とその従者以外近づくことは許されていない。二丸や家の使用人、百合は近づくことができないわけだ。
その離れに奏世の姿があった。離れの入口に立つ男が近づいてくる奏世に気付き、「奏世さま」と声をかける。
「様子は」
奏世は外から屋内の気配を探るが、何もつかめなかったらしく、男に尋ねる。
「変わらず。何も話しませんし、何もしません。ただずっと座っているだけです」
男は呆れたように肩を上げてみせた。
「気は抜くな。フリをしているだけかもしれん」
「えぇ」
奏世はため息をつき、建物を睨む。
「コレに妹。面倒事が重なる」
やれやれと言った風に首を振る奏世を見て、男が「おや」と声に出してニヤリと笑んだ。
「妹が出来て嬉しいくせに」
「……お前も覚えとけよ」
ニヤニヤ笑う男に睨みを返し、奏世はサッと身を翻し屋敷の方へと戻っていた。その頬に少し朱がさしていたことを、男は見逃さなかった。男の主人である奏世は、奏世の兄弟と違って本当に素直じゃない。
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昔々、鵺という妖が居た。頭は猿に似ていて尾は蛇に似ているだとか、いやいや、顔は猿であり胴体は狸であり手足は虎だとか、その姿には諸説ある。しかし総じて鵺はすでに退治されている妖であり、現代には存在しないとされる。だが鵺は退治されたあと、頭は讃岐に流れ着き猿神になったらしく、尻尾は伊予に流れ着き蛇神になったらしく、手足は土佐、阿波に流れ着いて犬神になったらしい、等と、その後も姿を変え存在するものとして語り継がれていた。
それらの妖が、本当に鵺が元になった妖かどうかの真偽は定かではなかった。だがどの妖も悪さをする妖であり、四国を守護する高遠家を悩ませる種だった。そんな時、高遠家の元に新しい家族が出来るという報せが入った。義母に加え、なんと17の妹が出来るという。新しい家族の為に時間を割くべきだと感じた高遠家の面々は、面倒事は先に片づけておくべきと判断した。判断するや否や、三兄弟は各々各地に散り、悪さをして働く猿神、蛇神、犬神を全身全霊で討伐した。三兄弟がなんとかそれらを討伐すると、その場に丸い玉のようなものがことりと落ちたという。玉の正体は不明だったが、その場に置いていくのもためらわれ、とりあえず各々それを持ち帰ることにした。そしてその玉を持った三兄弟が報告で顔を合わせると、各々の玉が反応して、高さ3mはあろうかという、どす黒い煙柱のようなものが生じた。そして突如としてそこに新たな妖が現れた。その妖こそ、百合が恐怖を感じた「黒衣の男」だった。
「まずったと思いましたね。玉を一つの場所に集めたことで、鵺が一つに戻る手伝いをしてしまった、と。ですが、その場に現れた妖は人型のまま、何の反応なし。抵抗する様子も、攻撃する様子も、逃げる様子もない。ボーっとしているだけ。鵺なのかどうかさえ怪しい」
「面倒事は早めに片づけようと思ったのに、更に面倒事を生成してしまったわけだね」
突如現れた鵺を致し方なく連れ戻り、突如はち合わせた義妹の案内を終え、ようやっと種々の報告に来た長男に雅鴇は苦笑する。
「えぇ。ですから今は鵺は離れに隔離して、奏世の従者に監視させています。朝おじい様に引き合わせようと思ったのですが、思いがけずお義母さんと百合さんに出くわしてしまいまして」
「二人が来る日をきちんと教えてなかったものね。ゴメン、びっくりしたでしょ」
「いえ、私達より百合さんを驚かせてしまったようで……」
書類に判を押しながら、雅鴇は「あぁ」と声を漏らす。
「あんな黒い霧まとった男見たらびっくりするよね。百合ちゃんが妖の類が見えてるとは思わなかったから、悪いことしちゃったね」
「お義母さんは妖の類は、今回で言えば黒い霧などは、見えなかったんですか?」
「うん。妖が見えてるのは百合ちゃんだけ。さっき聞いたけど、百合ちゃんは小さい頃は見えてたみたいでね。でも大きくなってからは言わなくなったから見えなくなったんだと思ってたんだって」
「そうなんですか。ですが、見えるというのは都合がいいですね」
「うちの仕事のこと分かってもらいやすいからね。お義母さんも百合ちゃんが昔見えてたって事があってすぐうちの仕事を理解してくれたし。そうそう、お義母さんにうちの仕事の話をしたときね、」
「のろけは結構です」
悠市はにっこり笑って父の部屋を辞した。室内から「聞いてよー!」と響く父の声をまるっと無視して。
***
「百合ちゃんの髪の毛ってサラサラだよねー」
「姐さんの髪の毛はサラサラです!」
紘仁と二丸に髪の毛を良いように弄ばれているが、百合は抵抗することなく、机の上のプリントに目を落としながら静かに座っている。新学期から通うのは今までと同じ学校なので、転入書類ではない。はたまた学校の宿題でもない。彼女が目を落としているのは守護八家について悠市が簡易にまとめた数枚組のプリントだった。各家の名前、現代当主、主要従者、特色など、事細かに記載されている。悠市にいつから外に行っても良いか聞きにいった際、いつでも良いと言われ、ついでに「役立つと思います」とお手製のプリントを貰ったのだ。秘密裏に動いてきた守護八家の歴史を紐解くそれは、当然のごとく初めて見聞きする単語ばかりで、百合にとって英語や歴史の授業よりよっぽど理解が難しいものだった。
「そんなの今すぐ覚えなくていいんだよ、難しいでしょ」
眉間にしわをよせながらプリントとにらめっこしている百合を、紘仁が後ろから覗きこんでくる。「でも」と百合が困った顔をすると、紘仁は「いいのいいの」と笑って見せた。
「家同士の交流なんて、今のとこおじい様と悠市に任せておけば良いんだよ。百合ちゃんは交流にでることはそうないと思うし。とりあえず今は高遠の家のこと覚えていこ」
ね? と紘仁は笑み、百合の髪から離した手でプリントを1番最初のページに戻した。
「百合ちゃんは今この家にいるんだから、ここが1番覚えやすいと思うんだ。高遠について覚えてから、他の家はどこが違うのか覚えてけばいいんだよ」
紘仁は指先でトントン、とプリントの「高遠家」とかかれた所をたたいた。確かに先ほど義兄から受けた高遠家の説明全部が百合の頭に入っているわけではない。
「そう、ですね。まずは、ここのお家から」
ここが今日から百合の家になる。将来結婚して出ていくまで、百合はきっとずっとここで暮らしていくことになるだろう。モノを覚えるのにはまずは順番がある。自分の家族を知ること、それが何より優先しても百合がすべきことだと、紘仁は言う。
「そうそう、ゆっくりいこ!」
「おいらも一緒にがんばります!」
百合の髪の毛で遊びながら楽しそうに笑う2人に、百合も思わず笑みが零れた。