2話
義父によって応接間に通されると、そこには既に義理の祖父となる人と、義理の兄となる人達が木製の長テーブルを囲んで座っていた。テーブルの一番奥、上座に義理の祖父となる人が座っており、彼がこの場で一番格が高いことが一目でわかる。私も義父に席をすすめられ、母の向かい、ドアから一番近いところにちんまりと腰かける。床には見事な刺繍が施された赤絨毯、上を見上げればガラス製の花のように開いたランプ。大正モダンとはこういうのを言うのだろうか。日常生活とはかけ離れた様相に、はっきり言って落ち着かない。
「改めて自己紹介しようか」
そわそわとしていると、全員が座ったのを確認した義父が義理の祖父の右隣に腰かけ、にっこり笑って切り出した。
「お義母さんの紹介はお互いに済んでいるから、そうだね、悠市から順に百合ちゃんに自己紹介してもらえるかな」
義父が視線で促すと、義理の祖父の左隣に腰かけていた悠市が、椅子に座ったまま私に向き直った。私と彼の間に1人座っているので、少し身を乗り出して彼と視線を合わせる。
「長男の悠市と申します。今年で30歳になるので、百合さんとは大分歳が離れていますね。いきなり仲良くなるのは難しいと思いますが、どうぞよろしくお願いします」
そういって軽く会釈した悠市は、銀縁眼鏡をかけ、グレーのスーツがよく似合う男性だった。短く切りそろえられた黒髪は、見る人すべてに清潔感を印象付けるだろう。彼の職業は知らないが、容姿だけから言えば、エリートサラリーマンという単語がとてつもなく似合う。
「では次は奏世ですね」
悠市がそう促すと、斜め前に座っていた奏世が、ちらりと視線だけ投げてよこした。
「……次男の奏世だ。25になる」
たった一言だけ自己紹介して終わった奏世は、ワイシャツにスラックスというラフな格好をしていた。ダークブラウンの髪の毛は耳にかかる程度の長さで、やはり社会人らしい落ち着いた雰囲気を持っている。彼がこちらに寄越す視線は友好的とは言い難いが、先ほどのうさん臭いものを見る目は影を潜めていた。
「あれ、奏世それだけ? つまんないの。あ、俺三男の紘仁! 今年で23! 百合ちゃんとは一番歳が近いし、気軽にヒロ兄ちゃんって呼んでね!」
奏世の言葉を継いで、隣に座っていた紘仁が笑顔で挨拶してくれた。にこにこと人懐こい笑顔を浮かべる彼は、奏世よりも明るい茶髪だった。顎のあたりまで伸びて、ワックスで少し崩された髪型が、今時の若者を彷彿とさせる。少しちゃらちゃらした雰囲気だが、一番仲良くなれそうに感じた。
「それで僕が雅鴇です。48歳。百合ちゃんのお義父さんになる予定です」
雅鴇さんがにっこり笑う。何度も会っているので存じておりますとも、と心の中で返事をする。雰囲気からしてわかるように、義父はとても優しい人で、この時点では一番信頼が置ける人だった。
「そしてこの人が、この家の現代当主、高遠忠親だよ。百合ちゃんの義理のお祖父ちゃんになる人」
紹介された先に視線を送ると、上座に腰かける義理の祖父となる人が無言でこちらを見ていた。こちらを射抜くような強い視線と、有無を言わさぬようなその雰囲気に、思わず背筋がピンッとはる。
「三山百合です。今年で17歳、春から高校2年生になります。よろしくお願いします」
私が無礼をして母の品格が疑われるようなことがあっては困るので、机にオデコが付きそうなほどに頭を下げ挨拶をする。
「よろしくねー!」
隣から元気よくかけられた紘仁の軽い挨拶に、少し緊張の糸が解れ、ゆっくりと頭をあげる。悠市、奏世、雅鴇さんもよろしくと声をかけてくれ、ホッと息を吐いた。
「ところで」
忠親の低い声が、各々の視線を一瞬で己に集める。場の空気がキッと締め上げられたように感じた。
「高遠の家に入るからには、知っておいてもらわんといかん事が山ほどある。幸い見えているようだ、雅鴇、説明してやれ」
「はい」
そうとだけ言って忠親はおもむろに席を立った。
「すまんが仕事だ。あとは任せる」
忠親が長テーブルを周り、ドアの付近まで進むと、見計らったように木製のドアがすっと開いた。外には燕尾服を着た男性が立っており、忠親が部屋を出ると、室内に一礼してからまたそっとドアを閉めた。まるで映画やドラマに出てくる執事のようだ。
「今の外に立ってのが、おじい様の主要従者だよー」
紘仁がニコニコしながら説明してくれる。主要従者とは、使用人のことだろか。やはり彼は執事さんなのか。
「あの人、何に見えたー?」
まじまじと見つめていた私に、紘仁が問うてくる。
「え? えっと、執事さん、でしょうか……」
素直に思ったことを返すと、紘仁は「あはは!」と爆笑した。
「執事! 確かにー! 燕尾服似合うよね!」
爆笑されたことに驚き、そしてハッと我に返る。もしかして、とても恥ずかしい回答をしてしまったのだろうか。うろたえてオロオロしていると、悠市が言葉をはさんだ。
「まぁ一日中当主の側にいますから、執事と言っても過言ではありませんね。紘仁の質問の仕方が悪い。私から説明しても?」
悠市が雅鴇に視線をやると、雅鴇は「お願いしようかな」と笑んだ。そして悠市は居住まいをただし、スッとこちらに向き直る。紘仁と違って真剣なその雰囲気に、ゴクリと喉が鳴った。
「では百合さん、もう1度質問させていただきます。今の彼は、人間に見えましたか?」
「……え?」
「あれは化け狸だ」
間髪入れずに奏世から入れられた言葉に、私は言葉を失うしかなかった。化け狸、とは。
「百合さんは色々見えていますから、人ならざるものが居ることは、もうご承知でしょう」
「あ、はい……」
混乱したままうなずく。ソレらが見えていた私は、人間じゃないものが居ることは知っている。だが。
「彼もまた、人ならざる者なのですよ」
あの人が人ならざるとは、どういうことだろう。混乱して追い付かない頭に追い打ちをかけるように、隣の紘仁が説明を継いだ。
「むかーし昔! 久万山に、隠神刑部っていう、それはそれは強い神通力を持った化け狸が封じられたんだ。なんで封じられたのかは、今は置いとくね。それで彼には808匹もの数の眷属の狸が居たんだけど、彼らもまた一緒に封じられた。その眷属の中でも1番力を持っていた狸が、さっきの君が執事みたいって言った人。
今あの人は、おじい様に尽き従っている妖の中でトップを張るお仕事をしてるんだー」
一気に説明されて、脳みその回転は完全にオーバーヒートしている。
強い化け狸が居て、彼には配下の狸が808匹居て、その中で一番強い化け狸が、あの執事さん。その執事さんは、義理の祖父になる人の下で、妖のトップとして働いている。文章としてまとめることはできるけれど、意味の理解が追いつかない。
「えっと、あの人は、まるで人間にしか見えないというか……なんていうか、きちんと、見えるし……」
とりあえず、率直な感想を述べる。視界の端でちらちら写るアレやソレとは違い、あの執事さんは確実にそこに居た。万人が「そこに男性がいる」と言う位に、きちんと存在していた。それが、化け狸と説明されても、わからない。見るからに人間なのに、狸だと言われても、わからない。
混乱していると、義父がにっこりこちらに笑いかけた。
「昔から言うでしょ? 狸は人を化かすって。時には人に化ける」
義父はにっこり笑ったまま、「頑張れ百合ちゃん!」と励ましてくれた。馬鹿にするでもなく、真摯に励ましてくれる。励ましてくれる、それは有難いのだが、それでもわからないものはわからない。もうわからないままでいいからとにかく一旦飲み込んだ方が早い気がしてきてしまう。
一般人には情報過多が過ぎます、お義父さん。