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1話


「私、1人暮らしします」

 突拍子もなく告げたその言葉に、義父、雅鴇(まさとき)は目を丸くした。大理石の床に根が張ったように、玄関ホールから先に動かない私に、母も驚いて視線を寄越す。

「百合ちゃん、この家に何か気に入らない所があったのかい? 言ってくれればすぐに手配して直すから、急にそんなことを言わないでおくれ。年頃の女の子1人、放り出せるわけないじゃないか」

 とても寂しそうな目で訴えかけてくる義父に、私は申し訳なくなった。しかし「見えちゃいけないものが沢山見えるから」なんて、言いようがない。そんなことを言ったら、今までここにずっと暮らしてきた義父やその家族達を怖がらせ、尚且つ私が気味悪がられるだけだ。私は一生懸命言い訳を考え連ねる。

「違うんです、そうじゃないんです。えっと、やっぱり母と雅鴇さんのお邪魔するの、よくないかなって」

「邪魔なんて、そんな言い方止しておくれ。僕が娘となる君を邪魔に思うはずないじゃないか。そもそもこの家には僕の父や息子も一緒に住んでいるんだ。これから何人増えたって一緒だよ、君が気を遣う必要なんてないんだ」

 義父は真剣に私を諭してくれる。この義父が私の事を母と同じ位大事にしてくれる人だとはきちんとわかっている。だが問題は、ソレらがいることなのだ。

「百合、何が心配なの?」

 母が心配そうに私に声を掛けてくる。ここで下手に時間を取ると、もしかして結婚に反対なのか、という疑問を抱かせかねない。

「やっぱり、上手に出来ないと、思うから」

 私の不安を兄たちの事だと解釈した義父は、優しく笑んでみせた。

「僕の息子達のことかい? そうだね、無理に仲良くしなくては良いと言ったけれど、無関係ではいられないものね。ごめんね百合ちゃん。急に赤の他人、しかも歳の近い異性と1つ屋根の下なんて、緊張してしまって当然だ。僕のほうこそもっと気を遣うべきだったね」

 義父が至極申し訳なさそうな顔で謝る。本当は違うのだが、でもここはそういう事にしておいた方が良いだろう。そう思って口を開こうとしたが、それは第三者の声によって遮られてしまった。

「皆さんで玄関ホールに固まって、一体どうしました?」

「何かあったのか」

「ただいまーっと」

 背後からかけられた、青年と思しき声が3つ。きっとこれから兄になる人達だろう。この場はとりあえず振り返って挨拶することが妥当だろうと思い、くるりと踵を返した。そしてもう1度口を開き直し言葉を発しようしたが、それは叶わなかった。

「っ!?」

 声は3人だったのに、そこに居たのは4人だった。眼鏡をかけた冷静そうな男性が1人、うさん臭いものを見るような目でこちらを見ている男性が1人、興味津々にこちらを観察している男性が1人。そしてこちらを見てすらいない、黒衣の男性が1人。黒衣の彼を視界に認めた瞬間、私はゾッとせずにはいられなかった。

(あれ、何)

 彼の周りには不透明な黒い霧が漂っていて、とてつもなく嫌な気配を帯びていた。目を逸らせばその瞬間に周囲の人間を飲み込みそうな、禍々しくて不快な霧。そんな霧が周囲に漂う男性。彼自身はそれに気付いているのだろうか。いや、もしかしたら、彼自身が見えてはいけないものなのではないか。そう思うと、背筋をつぅっと冷たいものが走り、先ほどまで床から離れることの無かった足が、1歩分後ろにたじろぐ。

「百合ちゃん?」

 心配そうに義父が私に声を掛けてくる。だがあの霧から目を離すことが出来ず、小さく震えを返すことし出来ない。どうにか反応を返そうにも、どう言葉を出していいかわからない。カラカラに乾いた喉からもれるのは空音ばかり。どうしようと混乱に陥りかけた、その時だった。

「その継ぎ接ぎを失せさせんか、悠市(ゆういち)

 少ししゃがれた、しかし凛とした老人の声が一帯に響きわたった。その声にハッと拘束が解かれ、すぐさま霧から目を逸らして声のした自分の背後に視線をやった。

 玄関ホールの奥、サーキュラー階段を、着物姿の老人が杖を突きながら鋭い目つきで降りてきていた。

「どういうことでしょうか、おじい様」

 悠市と呼ばれた、眼鏡の男性が問いかけた。という事は、あの老人は義理の祖父になる人だろうか。歳の頃は70歳といったところ。

「その子はそのうごめく霧が見えている。脅えているのが、わからんのか」

 義理の祖父の言葉に、周囲がハッと息を呑んだのを感じた。見えている。その言葉に、私自身もハッとした。もしや義理の祖父も、見えてはいけないものが見える人なのだろうか。

「それは大変申し訳ないことを。奏世(そうせい)、彼を屋外に。紘仁(ひろひと)、皆に見えない所に行くように指示を」

 悠市がそう言うと、未だにこちらをうさん臭そうに見つめていた、奏世と呼ばれた男性がこくりとだけ頷き、黒衣の男性を促して玄関から外に出て行った。そして紘仁と呼ばれた、ずっと興味津々にこちらを観察していた男性は、「はい皆、てったーい! 撤退! 怖がらせないのー、こっちにてったーい!」と、壁や天井に声を掛けながら階段の横にある扉に入っていった。彼らの姿が見えなくなるのと同じくして、ソレらやあの霧も屋内から消え去り、詰めていた空気が霧散した。あまりの急展開、あまりのあっけなさに、私はただ目を丸くしてその成り行きを見つめているしか出来なかった。混乱したまま義父を見遣ると、義父は「なるほど納得」という顔をしている。

「百合ちゃん、見えてたんだね。だからこの家が怖くて、急に1人暮らしするなんて言い出したんだ。本当にごめんね、気付いてあげられなくて。百合ちゃんの目の届かない所に行ったから、心配ないよ」

 にこりと笑って私の頭を大きな手が撫で、「それに」と付け加える。

「ここに居る子達は基本無害だから大丈夫。その内慣れるだろうし、友達にもなれるよ」

「雅鴇さんは、見えている、んですか……?」

 目を丸くしたまま尋ねると、義父はコクリとうなずいた。

「うん、見えてるよ。この家の人間は、皆見えている」

 おびただしい数のソレらに、黒い霧を纏う謎の男。そしてソレら全てが見えていて、しかも見るからに怯えてすらいない一家。

 一体この家は、彼らはどうなっているのだ。


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