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この世界で生き物は社会をつくる。同じ種族同士で集まって、自らの種の発展を目指している。動物も、植物も変わらない。その中でも特に人間は、身分や格差を作ってより細かく、厳しく種を分けて、国という他の生き物より複雑な社会を築いている。
そして緩やかではあるが、人間と同じように種に別れて、身分を作り、同じような社会を築くやつが居る。それが、妖精達。
彼らは大抵、遊んで陽気に暮らしていて、基本的に人間に危害を加えることはない。もちろん、例外はあるけど。
それで、
「ちょ、ちょっと待ってっ!」
私は思わず声をあげて、説明を遮る。
「この世界とか生き物とか社会とか、スケールが大きすぎると言うか!」
「いや、だいぶ噛み砕いてるが」
「あのねぇ! 私だって理解力はあるつもりよ? けど、いきなりそんなこと言われたって、頭が追いつかないわよ! 昨日帰ってから色々調べたけどなんかこう、抽象的で、はっきりしないし……」
はぁ、とわざとらしく少年がため息をつく。相変わらず、様になっている。
「フラン、頼む。 これは昔の俺より酷いぞ」
「えっ、アタシが説明するの?」
なんか、すごーく、馬鹿にされてる。なんか、悔しい。私から勉強ができるのを無くしたら、何も残らないのに。
「要するに、妖精は人間と同じように愉快に暮らしてるのよ。こことは少しズレた次元にある、妖精の国でね。これは分かるよね?」
「ええ、まぁ」
正直、次元という概念がよくわからないけど、多分あれだろう。天国とか、地獄とか、そんな感じだと、思う。
「ほとんどの妖精は、妖精の国で暮らしてるけど、こっちにも居るわ。人間に関わると楽しいしね。基本的に人間ののためになることをするけど、たまにいたずらもする。その辺はごあいきょーってやつね」
「家事の手伝いをしてくれたり、一晩で靴を作り上げたり、鉱石の在り処を知らせたり、とか……?」
「そうそう! なーんだ、知ってるじゃない」
まぁ、昨日見た童話の内容なんだけどね。まさか本当だったとは。にわかには信じられないけど。
「もっと具体的に言うと。あんた昨日、なかなか診療所に辿り着けなかっただろ?」
私の胸の内を見透かしたように、少年が口を開いた。ああ! と思わず私は声をあげる。
「あれは典型的ないたずらだな」
「で、でも帰りは? 今日来るとき、何もなかったのは?」
「そっれっはー! アタシ特製の薬の効果なのデス!」
「お前混ぜただけだろ……」
少年は右手を顎に添えて、数秒悩みこむ。悔しいけど、多分、噛み砕いてくれているのよね。……きっと。
「誰でも妖精が見れるわけじゃない。見えやすい時期や時間、場所もあるけど、それはむしろ見えてしまっただけで、見るのとは少し違う」
「偶然に見てしまうのは、自分の意思で見るのとは違うでしょ?」
なんとなく、分かるような。分からないような。
「自分で妖精を見る方法がある。四つ葉のクローバーを頭に乗せたり、妖精の塗り薬を目に塗ったり、」
「あとは妖精の丘の土をふりかけたり、その土をマリーゴールドを混ぜて液体にした薬を体に塗ったり、ね!」
「……まさか、あの泥水って!」
もしかして、もしかしなくても、妖精が見えるようになるようになる薬だってこと?
「妖精が見えるのと、迷子にならないのは関係してたり……?」
「妖精はあまり自分で考えることをしないけど、タネが分かってる人間にいたずらするほど馬鹿じゃない」
「しつれーね。言っておくけど、アタシはそんなに馬鹿じゃないからね!」
確かに、思い返すと泥水を被る前は、迷子になってた。全ての出来事に納得がいく。だから、昨日の帰りは夜になる前に森を出ることができたのか。だから、今日来るときは異様に早く着いてしまったのか。
「他にもあるぞ? 透視力を持つ者と接触したり、そもそも自分で透視力を得るのも一つの手段だな」
いきなり現れた深い男性の声に驚く。声の主は、
「パラケルスス先生っ!? あ、えと、お邪魔してます!」
「おはよう、お嬢さん。着てるのは学習院の制服かな? 通ってるの? いいね、似合ってるよ」
「え、あ、うそっ?」
夏期休暇なのになんで! と思ったけど一瞬で理解する。朝、いつも通りを意識し過ぎたからか。いやな予感がするので、鞄の中を確認する。と、案の定教科書と筆記用具が入っていた。
気が動転しすぎでしょ、私。
「また俗なこと考えてるだろ、お前」
「ルドルフ。制服は男のロマンだと前に言わなかったか?」
「お前のロマンは理解したくない!」
というか、一体何の言い争いなのよ、これ……。
私の謎が解決したので、お母様についてお願いしたい……のだけど、この会話を止めるような度胸は、私にはない。しかたなく、呆れながらタイミングを伺っていると、声をかけられる。
「あんなのいつものことだから。気にしないで。それよりもアタシ、フランって言うの。妖精なんだけどそこら辺のとはちょっと違うかな。で、あなたは?」
「私は、」
と言いかけて、止まる。さっき、自ら名乗って理不尽に怒られたばかりじゃないか?
「えっと、私の名前は、うーんと」
ありませんなんてことは無いし、言えませんなんて無礼だし。なんと答えればいいのやら。
「そうそう。軽々しく妖精に名乗っちゃいけないのよ! 名前は魂との絆だからね。人間が思ってる以上に大切なんだから!」
でもね、と彼女……フランは続ける。
「アタシはそこらの妖精と違うわ。悪用なんてしない。へーきだから、……教えて欲しいな」
うるうると、瞳が揺れている。
「私、私は、エーデルトルート。エーデルトルート・フォン・バーンスタイン。ちょっと長いから親しい人にはエディって呼ばれてるわ」
そこまで言うと、彼女がふるふると震えているのに気付く。ばちりと目が合うと、おでこを思いっきり蹴られた。カーラのデコピンより痛い。
「だーかーらーっ! 名前言っちゃ駄目って教えたでしょ! どんなにお願いされてもでも駄目! どんなに無害そうなやつでも駄目なものは駄目!」
どうしよう、理不尽過ぎる。
「あ、あなただってフランって名乗ったじゃないのよ!」
「そんなの通り名よ、愛称よっ! 誰も本名教えろって言ってないでしょ?」
くぅ、揚げ足取るような真似を!
「そんな、通り名なんてないわよ! 後ろめたいことなんてしてないのに!」
「しょーがない。じゃああなたはこれからとエルーと名乗りましょう。エディと語感が似てるし! もうこれで決定だからねっ! 絶対よ!」
「ちょっと、あなた横暴よ! 折角心をこめて両親が名付けてくれたのに! というかエルーなんて明らかに手抜きじゃないのよ!」
「フランの言う通りだよ、お嬢さん。素直なのもいいけどね。名前は本当に気をつけなくっちゃいけないよ」
にっこりと笑顔で遮ったのはパラケルスス先生だ。
「ルドルフと僕のパラケルススというのも本名じゃない。妖精に本名を教えると大変なことになるよ」
「……大変なことって、?」
「んー、自我が崩壊するとだけ。まぁ、そこはルドルフが詳しい。正直僕も妖精についてはそんなに詳しくないしね」
悪魔の頭脳を持つと言われる先生よりも、詳しい? 確かに難しいことを言うし、理解しているみたいだけど。そんなことって、あるのかしら?
ちらっと目を向けると、少年は、大きいため息をついてから、
「自分が自分でなくなるという感覚。自分が誰かに変わっていく恐怖。体も熱が冷めていき、動作が機械的になる。自分の意思で体が動かない絶望感と焦燥感。そのまま進むと、ひとつになる安心感が生まれる。ほっとする。受け入れるとおだやかに融けていく。……それ以上は知らない」
そこまで聞くと、先生はよくできましたと言いながら少年の頭を撫でる。肘打ち何度もを食らっているけど、平気そうだ。
少年の言葉は、重く、妙に具体的というか、現実味があった。ぞくりと悪寒がして、背筋が凍る。これは、本当に、素直に従う方がいいのかもしれない。
「まぁ、よく分からないけど、大変らしいし。ありがたくエルーと名乗らせてもらいます」
とっても、不本意だけれども!
「分かればいいのよ。エルー」
「よかったな、エルー」
「その素直さは美徳だな、お嬢さん、じゃない、エルー」
その身の返しの早さに、なんか、こう……これって、みんなで私をからかって遊んでいるだけなんじゃないかと思ってしまった。そんな私は間違っていないと思いたい。