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箱庭のパストラーレ  作者: あさくら
琥珀色の誇り
6/8

5

 朝だ。うん、紛れもなく朝だ。いつもならば一番鶏の鳴き声で目が覚めるのだけど。今日は勝手が違った。


『ちょっと待ってよ!』

『ダメ! よーいドンで始めだよ』

『止めなさいよ! 可哀想でしょ!』

『勝ったら今日のお仕事免除は?』

『まあ、すてき!』

『次は、ぼくでいい?』

『知ってる? ニンゲンはつねると起きるんだよ』


 何かにつねられる前に、自分の頬をつねった。起きてる。夢じゃない。朝だ。ちゃんと朝だ。むくりと体を起こして、窓を見る。空が朝焼け前のうす紫をしていた。

 どうやら声の主らは私が起きていたのに驚いたようで、


『よかった、起きてたのね!』

『ぼくの勝ち? ぼくの勝ち?』

『勝手に起きたからナシ!』

『つまらないな。解散!』

『一捻り、見たかったのになぁ』


 そりゃあ、こんなにも賑やかだし。起きない方が珍しいのではなかろうか。

 わらわらと、蜘蛛の子を散らすように消えていく。明らかに小さい何か。ひょっとして、ひょっとしなくても、



「妖精、とか?」



 自分でも信じられないけど、手のひらサイズのそれは、明らかに人ではなかった。美しい女性も居れば、虫のようなのも居た。緑色の服を着たり、透き通る羽根を持つものも見えた。それらに共通しているのは、昨日の晩に見た童話の挿絵とよく似ている、という点だ。

 いや、まさか、そんな。


「気のせい。寝ぼけているだけ!」


 気のせい? 本当に? 私がそう思いたいだけではないのか? 目を背けたいだけではないのか?


 背ける? 何から? 私はお母様さえ居ればそれだけで……、



「ひょっとして、お母様っ!」



 全身の血が冷めていくのを感じる。なにかあったら、などと考えている時間も惜しい。今すぐ、確認しなくては。部屋を飛び出る。日頃から運動しない分、キシキシと体が悲鳴を上げている。が、構ってはいられない。


「どうしよう! ……お母様に、なにかあったら、わ、私……っ!」


 お母様の寝室の前に来ると深呼吸してから入る。息が乱れていると、廊下を走るなとと怒られるかもしれないが、そもそも寝間着で出歩いている時点で怒られるのは必須だろうし。


「失礼しますっ!」


 朝早くにこんな大声をあげて、迷惑だろう。怒られるだろう。それでも構わない。カタカタと震える手でドアノブを握り、勢いよく部屋の中へ入る。どうか、私の思い過ごしでありますようにっ!



「あら、おはよう」


 まさか優雅にあいさつをされるとは思っていなかった。ここで私の思考回路は止まってしまった。


「おはようございます、お母様。え、えーと。あの、いえ。あ、あれ?」

「どうかしたの?」


 改めてどうかしたの、と言われると、困る。


「特には、ないんですけど。……あの、ちゃんと寝る時は寝ないと、お体に障りますよ」

「うふふ。それはあなたもじゃない」


 どうやら私の杞憂だったらしい。


「いえいえ、私はいいんですよ。元気の塊ですから」


 お母様と軽く会話をしながら朝の健康チェック。心なしか体が温かいけど、まぁ、私が走って来たからだろうし。その証拠に相変わらず脈は微弱だ。悲しいけど、今日もいつもと変わらない。


「私、今日も用事があって。少し早いですけど今から出ます」

「そうだったの。いってらっしゃい」

「はい、お母様。何かあったら……お父様を頼ってください」


 もっと何かあったような気もしないではない。けれど私は、それだけ言って、お母様の寝室を後にした。


 用事はもちろん、パラケルスス先生にだ。お母様だけでなく、私の幻覚についても相談した方がいいのかもしれない。ああ、昨日のお礼におじさまへあげるクッキーを焼いてから、診療所へ行く予定だったのだけど、それどころではない。そんな気分ではなかったし、気分転換にするにはおじさまに申し訳ない。こうなれば売り物でも仕方ないか。

 行きよりは遅いが、それでも十分な速さで自室に向かっていた。明らかに先ほどの動揺が体に残っていた。こういう時こそ、冷静さが求められるのに。非常時にどれだけ適切な判断が下せるかが大切なのに。そう、平常心が大事。


 自失に戻ると、ベッドに潜った。ここからやり直そう。いつもの一日を始めよう。一番鶏は仕方ないけれど、いつも通りを心がけながら朝の支度をする。着替えてから歯磨き、洗顔、寝癖を直しつつ髪を整えて、朝食の準備。いつもより時間が早いだけ。味がしないのもきっと気が動転しているからだ。

 自室に戻るとお母様のさっきの様子をノートに記す。昨晩を忘れてた分も一緒に記す。そして、いつもの支度をしてから、おじさまへあげる秘蔵のお菓子とお母様の病状観察ノートを鞄に詰め込む。

 大丈夫、いつも通り。




『ああ、そろそろ朝になっちゃうね』

『楽しい時間は続かないよ』

『変わらないものはないものね』

『壊れないなんてつまらないだけさ!』



 くすくす、とあの声(・・・)がする。いつも通り、ではない。心臓がドキリと跳ねる。一度なら幻覚だと思い込めるけれど、何度もあれば、まるでそれは、現実みたいじゃないか? 私が狂っていると、言われてるみたいじゃないか?

 私が狂ってないと、確信が欲しい。行かなくては。診療所へ。今すぐにでも。まだ早いけれど、どうせ時間のかかる道のりだ。


 ああ、でもその前に、あの人に置き手紙をしておかなくては。


「『用事があるので家を開けます。夕方には戻ります。その間、お母様をよろしくお願いします』……っと」


 かなり走り書きだが、仕方ない。カタカタと体が震え始めている。文字としてギリギリ読める、といったところだ。


『最近楽しいことないよねー』

『ぼくなんてずっと子供部屋で待機さ』

『いいじゃん、おれなんて果樹園だぜ? 今の子なんて誰も盗み食いしないからもー退屈で退屈で!』


 後ろでは声がし続けている。確かめたくない。聞くだけでいい。見てしまったら、それを認めなくてはいけないから。それなら見えない方がいい。目にしてしまうと、私は私でいられなくなる。

 いつの間にか、昨日の帰ってきたときの、いつも通りだった、あの安心感が、今では全くなくなってしまった。まるでこの家は知らない誰かの家のような気がしてくる。居候のような肩身の狭さを感じる。

 置き手紙を台所のテーブルの目の届く所に置き、足早に家を出る。外に人は居ない。そりゃあまだ早いから当たり前だけれど。私はまだ早朝であることを忘れるくらい、目が冴えている。


「……きれい」


 噴水前を通ると、朝焼けのオレンジで水がきらきらと輝いていた。夕焼けよりも清々しくて、独特な神聖さを感じる。幻想的な風景に、今までの出来事が嘘のように思えてくる。立ち止まってその様子をしばらく見ていると、ようやく遠くで一番鶏の鳴き声がした。

 その鳴き声に一気に現実に引き戻された私は、急いで診療所へ向かった。

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