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箱庭のパストラーレ  作者: あさくら
琥珀色の誇り
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2

 なんなの! なんなの! なんなのよあの無礼者はっ!

 私は、文字通り泥まみれになりながら街への道をズカズカと、大股で歩いていた。もう周りは木々の生い茂る普通の森だった。


「明日会ったら、もう、ただじゃおかないんだから!」


 歩く度にパラパラと乾いた土が落ちる。街へ近づくにつれ、人と出会す頻度が増えてくる。その度に、自分の姿を見ては眉間に皺を寄せたり、明らかに遠ざかろうとする。そりゃあ、いい歳をした女の子が泥まみれだなんてはしたないもの! 距離を置きたくなるのも分かるわ。

 夕暮れの街角で、苛立ちながら歩く泥まみれの私は、明らかに異質な存在だった。パラケルスス先生やあの少年の比ではない。



「おや? バーンスタインのお嬢ちゃんじゃあないか。木登りでもしたのかね?」

「ごきげんよう、おじさま。生憎、スカートで木登りはしません。おじさまは、今日は何の果物でしたか?」


 近所に住む、果樹園のおじさま。小さい頃から可愛がってくれている。いい人なのは確かだけれど、いつまでも私をお転婆娘と思っているのが腑に落ちない。


「ああ、今年は林檎が早くてね。摘果の時期だ。まあ、それでもお嬢ちゃんよりは仕事してないがね」

「だから、木登りはしませんと言ってるでしょう!」

「そんなこと言ったって、俺よりも土まみれじゃないか。ちょっと待ってなさい。すぐタオルを持ってこよう」

「いえ、結構です。もう家なのに、」


 悪いです、と言い切る前に、おじさま。


「汚れた格好で母さんが心配するだろう? ほら、ちょっと待ってなさい」


 言われると、確かにその通りだった。お母様に余計な心配は掛けたくない。ここは素直に待っていよう。

 噴水前のベンチに腰を掛ける。隣のベンチのカップルは私の格好を見て、ぎこちなく後ずさりしながら離れていった。派手な衣装の女性達はそんな私を気にせず、夜の街へと消えて行った。


「もう、訳分かんない……」


 晩課の鐘が淑やかに夜を告げている。私は先ほどの出来事を思い返していた。








「まあ、こうなるよな」


 上から人影が降ってきた。黒い髪に濃紺のローブがひらりと揺れる。

 紛れもなく、診療所の少年だった。


「お前たち。よくやった。でも、もういい。後は俺の仕事だ」

『そうなの? つまんない』

『仕方ないね、ご褒美ちょうだいね』

『ちゃんと、殺してね』


 くす、くす、と風のざわめきと共に声が消えていった。なんだったの? 何が起こっていたの?


「あ、ありがとうございます。わざわざ助けていただいて」

「助ける? あんたを? 勘違いするなよ」


 鼻で笑って、私を見下すように、透き通る声で言い放った。


「原因は間違いなくあんたの方にある。殺されたって文句言える立場じゃない」

「……そうですか、」


 そんな罪作りなことをした覚えはない。というか、そもそも、


「あの声はなんなのでしょうか? 姿は見えないし……何より物騒でしたし」


「妖精だよ。この森の守護者だ」


「…………えっ」


「ここは妖精の森だから」




 いや、うん。私だってこれくらいの歳では庭を駆け回ったり、木登りをしたり、やんちゃなものだった。時折はしゃいで妖精やら魔女やらを思い描いたりもした。別に、変なことでは、ない。

 ただ、真っ直ぐに堂々と他人に言えたかというのとは別だ。なんか、こう、いたい。


「森へ来るとき、木に目印を付けただろう。住処を刻まれたら、そりゃあ怒るに決まってる」


 確かに、分かりやすい木にナイフで目印を刻みながら来た。妖精の住処として木は、まあ、普通か。妥当なところか。黒髪と言えど想像力は人並みらしい。


「……俺を馬鹿にしてるだろ」

「いえ! そんなことは、決して、」


 ありませんとは、言えるような、言えないような。微妙なところだった。


「信じる信じないは勝手だけどな。あんたを追い返すのが俺の仕事だ。ほら、このままだと森で一晩過ごすことになるぞ」


 確かに、あれだけ高かった太陽が降りてきて、影が随分伸びてきた。行きにかかった時間を考えると、街に着くのは18時(晩課の鐘)を過ぎるのは確実だった。むしろ21時(終課の鐘)に間に合うかも怪しい。

 先を思うと、妖精談議を講じるよりも、この森を抜け出すことが第一だった。


「そうですね、帰らせていただきます。原因はどうであれ、助かりました。ありがとうございます。では、また明日」


 まくし立てるように別れを告げ、方位磁石で北東を確認する。不安だけれど、帰るにはこれしかない。


「……仕方ないな。どうやらフランはあんたのこと、気に入ったみたいだし」


 少年は私の方を見て瞳を鋭くしている。


「? それって、どういうこと」



 ザザザザ、ザザーッ……






 いい終わる前に、勢いよく、上から、大量の泥水が降ってきた。


「は!?」

「じゃ、確かにかけてやったからな。無事に帰れよ」


 少年は何事もなかったように踵を返し、気付いたら姿が見えなくなっていた。何が起こったのか、分からない。というか、なんで私は泥まみれになってるの? なにがどうなって泥まみれになってるの? この泥水はどこからきたの?




 放心状態がしばらく続き、思い出したかのように頭の泥を払い除ける。周りは草木が生い茂っている、普通の森だ。さっきの出来事は白昼夢だったのか? そう思っても、泥まみれの自身が現実としている。瞬きをする度に怒りが込み上げてくる。


「あの、無礼者め……っ!」


 何はともあれ、森を抜けなければ。夜の森は恐ろしいのだから。

 一歩一歩踏みしめる。森を、土を。街へ、北東へ向かって。







「随分綺麗になったね」

「ありがとうございます。助かりました」


 五枚もあったタオルはどれも茶色に汚れてしまった。私が洗って返すと言うと、気にするなと朗らかに言ってくれた。


「それにしたって、どうしてそんなに汚れたんだい?」


 散々木登りだとからかっておきながら、おじさまったら。いや、まあ、冷静に考えてこの姿は泥遊びしたとしか思えない。


「私もよく分からないんです。いきなり空から降ってきて……もう何が何だか」

「はっはっは、そりゃあ嬢ちゃん妖精のいたずらだなぁ」

「妖精? おじさま、本気?」


 どうも信じがたい。いや、空から泥水なんてことは妖精のいたずらか?


「さてね、ほら。夕日も沈んだし、ガス灯もついてきた。早く帰りなさい。遅くなって母さんを心配させては元も子もないからな」

「……ええ、そうします」



 丁寧にお礼をし、いつかお返ししなくてはと心に刻む。かなりマシになった身体で家へ帰る。もうすっかり夜になっていた。


 ふと、我に返る。



 ……私なんで街に着いてるんだろう。なんで18時(晩課の鐘)に間に合った? 行きに半日かかったのに。なぜ自分はここにいるんだろうか。



「ここは妖精の森だから」

「妖精のいたずらだなぁ」



 透き通った少年の声が、蘇る。

 おじさまの陽気な声が、蘇る。


「……妖精、ねぇ」



 訳もなく呟いた言葉は夜の帳が下りた街にそっと溶けていった。

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