梅田スカイビル ~ドイツのクリスマスマーケット~
今回はアヤとトモの友人関係中心に、お笑い文化の語りも追加。
スカイビル。
それは大阪の都心たる梅田を代表する高層建築である。
ヨドバシカメラから、2013年に開業したばかりのグランフロント大阪を横切り、JRの旧貨物ターミナルの地下道200メートルを突っ切る。
「マジ腹立つわぁ」
真田アヤは忌々しげに、トンネルにずらりと並ぶ自転車を睨む。
大阪府警その他関係各機関の尽力により、かつて大阪の交通マナーの悪評を全国に知らしめた三列駐車は撲滅された。すなわち、歩道から本車線へ向けて、三重に縦列駐車のラインがずらりと並ぶ光景は、ようやく過去の遺物になった。一応。
しかし、根絶される日が遠いだろう悪しき交通マナーは、まだ存在する。
これすなわち違法駐輪である。
スカイビルへ向かう地下道は、幅約5メートル。
もちろんのこと、駐輪はおろか、自転車の乗り入れさえも制限されている。正確に言うと、ここを自転車で通過する場合には、手で押して歩かねばならない。
しかし、俺ルール最強の大阪人の一部は、キレのあるハンドル捌きで人並みをぬって、この地下道を潜り抜けていってしまう。
それもまた十分に困ったことなのだが、まったく忌々しいのは、このただでさえ狭い地下道の半分弱を、違法駐輪が埋めることである。
時々思い出したように大阪市交通局や大阪府警が取り締まりを行っているが、ひっくり返せばそれ以外の時は、この近辺は違法駐輪まみれということである。
六線七駅が集中する梅田は、電車の交通アクセスが抜群に良い。人の多さは大阪で一番である。それらの人々を客に取り込むべく、梅田近辺の土地にはありとあらゆる商売を営む者が軒を連ねる。商業用地として、梅田近郊の土地はもれなくお高い。賃貸ビルを建てれば、がっつりテナント料で儲けられるだろう。
つまり何が言いたいのかというと、そんな一等地にわざわざ駐車場や駐輪場を整備してくれる業者はいない、ということだ。
ヨドバシ梅田横の平面駐車場は、夏でも満員御礼だ。
そして駐輪場の整備は、駐車場に及ばない。
梅田に自転車で来るのかという疑問は、実際に大量に自転車があるのだから仕方ない。来る人はどうやら千の単位ではきかない数がいるらしい。
そんな大量の自転車を捌く駐輪場を作るため、わざわざ土地を提供してくれる人など、梅田にはまず存在しない。
駐輪場がないわけではないが、日本に冠たるどケチの象徴と扱われる大阪人が、わざわざお金を払って駐輪場に自転車を停めると、読者諸氏は思われるだろうか。さすがにゼロではないが、少数派だ。
店の従業員用の駐輪スペースにこっそりと押し込む者。駐輪場のすぐそばに、いかにも入りきらなかったんですよ、的に並べる者。そして、この地下道のように「赤信号、みんなで渡れば恐くない」を地でいく者。駅前の不法駐輪はもはや日常であり、その撤去というのは行政の事務というよりは、むしろ珍しい行事の扱いである。
滅多にない取り締まりを恐れて一時間数百円を支払うのと、そのリスクを覚悟しつつもタダで何時間も停められるのと、どちらを選ぶのかと言われれば、後者を選ぶ人間が圧倒的に多いのは、人間の悲しい性である。
停めたくても停められない、停める場所がないという事実もあるが、駐輪場に空きがあるのに横に不法駐輪する自転車が後を絶たないのも、これまた同じぐらいに確かな現実なのである。
そしてスカイビルに向かう地下道は、年がら年中不法駐輪の温床なのである。
特に夏場がひどい。強烈な日光を確実に避けられるかららしい。しかも空調の加減なのか、この地下道、夏は涼しく、冬は暖かいのである。
「前田さんから聞いてたけど、ホンマ多いな!」
ずらりと居並ぶ不法駐輪を眺め、アヤは柄悪くも舌打ちをする。
舌打ちはともかく、その苛立ちには共感する、と後藤トモは思った。
前輪の先から後輪の端まで、二メートルほどの自転車が、幅五メートルの道をずらりと塞いでふさいで、塞ぎ続けているのである。
残された三メートル少々の道を、大勢の人が歩く。
この自転車が消滅すれば、どれほど往来が楽になるだろうか。
そう考えるのは、自然なことであろう。
「たしかに狭いなァ」
トモの同意に、ホンマやわ、とアヤは再び舌打ちをする。
ショコラのミドル丈のコートから、生成のチュールレースを叩いたストロベリーのワンピースの裾をのぞかせ、緩やかに波打つ髪には、同じくストロベリーの大きなリボンを飾っている。
静止画像で見れば、現在のアヤは上品なお嬢様だろう。
むしろ、スタッズのアクセサリーなどしている、ゴシックパンク系ファッションの自分の方が、よっぽど舌打ちをしていそうだと、トモは思う。
しかし、現実には舌打ちをしているのは、お嬢様スタイルのアヤであり、トモはどちらかといえば、それを宥めている側である。
人間、本当に見た目ではないなぁ、とぼんやり思いつつ、虹色にペイントされた波形の謎の壁オブジェを眺めつつ、ひたすら人混みを掻き分けながら、トンネルをくぐる。
ここまでの混雑になれば、いかなネイティブ・オオサカンといえど、その隙間をすり抜けて走るのは不可能だ。それでも時折、人垣が割れて見える場所がある。子どもやベビーカーが理由であることが多いが、たまに違う。すなわち、アレだ。
「ちょっと、道あけてぇな!」
たくましき「大阪のおばちゃん」の声が響く。
梅田には珍しい、ヒョウ柄炸裂のおばちゃんがいた。まさにいわゆる「典型的な大阪のおばちゃん」であるが、主に南大阪に生息しているはずである。ヒョウ柄や虎柄のアニマルプリントに、鮮烈な原色と金色を組み合わせる、独特のファッションセンス。何より、見間違いようもないのは、その青紫色のパーマである。
「珍しな」
トモの呟きに、せやな、とアヤは頷く。
「天王寺とかやったら、別に普通やねんけど」
アヤはかつて天王寺で見た、全員がヒョウ柄にショッキングピンクとゴールドを組み合わせていた、青紫パーマのおばちゃん五人組を思い出していた。
青紫パーマも、ヒョウ柄にショッキングピンクと金色の組み合わせも、ミナミでは別に珍しくも何ともない。しかし、それが五人揃うと、さすがに壮観だった。しかも、その五人が真横に広がったまま、商店街を進撃してくる有様ときたら。
「何っちゅーか、アレやな、アレ」
「何?」
トモが不思議そうに問う。アヤは答えを引っ張り出す。
「大阪が誇る、汎用人型最終決戦兵器や」
猛然と人混みを割りながら突撃するおばちゃんの背後に、ぴったりと等距離で寄り添いながら、二人はヒソヒソと会話を続ける。
「……なるほど」
アヤの言い草に、さすがのトモも答えに見当がついた。
「『新世紀オバンゲリオン』か」
そう言うと、イヒヒッ、とアヤは不穏な笑い声を洩らした。
「惜しい。そこは『新世界』やろ、やっぱ」
新世界オバンゲリオン。
眼前で進撃を続ける青紫は、なるほどその形容にぴったりだった。
「まぁ、ここキタやねんけどな」
「どう見てもミナミやん」
キタのファッションは、ミナミに比べれば暗色中心で落ち着いている。眼前の汎用人型最終決戦兵器は、何をどう見ても確かにキタの所属ではない。
「初号機やな。青紫やし」
アヤは謎の設定を付け足している。
「ほな、あんたが弐号機か」
コートを脱げば、真田アヤの装備は赤系統メインである。
「ほんなら、トモは参号機やな」
コートも含めて、トモの装備はほぼ黒一色だ。
「やめて。暴走はせぇへんで、ウチ」
アニメの中では、参号機は思い切り暴走して、最後プチッとされていた。
それを思い出してか、トモが嫌そうな顔で友を見やった。
「ところで前田さんから聞いたねんけど」
しれっと、アヤは話を変える。
ちなみに「聞いたねん」という言い回しは、もちろん大阪弁であるが、大阪でも地域によっては使わない。代わりに「聞いてん」となる。
話の着地点が分からないので、とりあえずトモは頷いた。
「この通路、夏は涼しくて冬は暖かいねん」
「まぁ、今は単に人が多いだけちゃうんかと思うけど……」
トモの感想に、まぁまぁ、とアヤは笑う。
嫌な予感しかしない。
「せやからな、寒いのが嫌いな生き物が逃げ込んでくるらしいねん」
「おい、ちょ、ヤメロ」
トンネルはもう出口である。
出たところにあるマンホールの、持ち上げる時に金具を突っ込むための穴を指さして、アヤは、ニハハハハ、と性格の悪い笑顔になった。
「こないだ、入ってったらしいで、ココに」
そう言って、人差し指と親指で、絶妙な楕円形をつくる。
「いーーーやーーーあぁぁぁぁ!」
トモが絶叫とともに、マンホールから飛び退いた。
「はい、参号機暴走~」
ブリはブリでも、台所などを走り回るブリは何?
その答えは、少なくとも後藤トモの前で言ってはいけない。
「友達やめたろか!」
トモの叫びに、アヤは「すいませんやってみたかったんです」と、あんまり許す気になれないようなことを言いながら、しかし大人しく頭を下げた。
「本日の会計は、私が持たせていただきます」
「コンニャロウ……」
友情はお金では買えないが、関係はお金で修復できる。
そしてお金で修復できる関係ならば、許される限りいくらでもイタズラをするのが、この真田アヤという困った子ちゃんであった。
「ソーセージとグリューヴァインと、あとまだ何かおごれや!」
そして、それで許してしまう程度には、トモとアヤの友情はアツいのだった。いやお金だけの関係というわけではなく、弁償で済むレベルでという意味で、である。
トモは「アレ」が苦手である。
苦手という表現では追いつかないレベルで無理である。
出現したら涙を流しながら逃げまどうほどだ。
なんと「カサカサ」と口に出して言ってみるだけで拒絶反応を示す。
むしろ楕円形に本能的恐怖を感じるレベルである。
「ホンマ性格悪いわ」
ぶつくさ言いながらも付き合ってあげるあたりに、トモのどうしようもないお人好しさが透けて見える。そして、それを見透かしてイタズラをするのだから、アヤにはまったく救いようがない。
「心の師は、適塾時代の諭吉さんです!」
どどーんと胸を張って言い切るアヤは、いっそ清々しいほど無駄に凛々しいドヤ顔であった。本当に、無駄な格好つけである。
「勉強っちゅう意味で言いぃや……明らかにイタズラの、やろ?」
もっちろん! と言い切る友に、トモは肺が空になる勢いで溜息を吐いた。
「慶應義塾に謝れ緒方洪庵大先生に謝れむしろ大阪に謝れ」
息継ぎ一つせずに言い切った友を、おお、と無駄な尊敬の念と共に見上げるアヤ。本当に、何の有り難みもない尊敬である。
「アイムソーリー、ヒゲそーりー」
「今の総理は安倍総理ー……って、ちゃうわい!」
骨董品級のギャグと共に、強烈なビル風が吹き抜けた。
ライトアップされたアーチに、「Willkommen zum Weinachatsmarkt」の文字が光る。
英語に直せば「Welcome to Christmas market」だ。
「良ぇノリツッコミやったで」
ビル風に乱れた髪をなおしながら、アヤがサムズアップした。
「誰がネタ振ったと思てんねん!」
大阪は商人の町である。
商人の仕事の半分は、お客様の心を掴むセールストークである。
大阪はお笑いの町と言われる。
大阪人の会話において、「笑い」は重要なスパイスである。
無論、大阪人とて味も素っ気もない事務的な会話は可能である。
しかし、にも関わらずちょっとしたことでもボケやお笑いのチャンスを探るのは、自分との会話に時間を割いてくれている相手へのお礼として、なるべく楽しんで貰いたいという、コミュニケーションの哲学なのである。
つまり、ボケは大阪人のサービスであり、そして嗜みである。ツッコミとは大阪人の会話における礼儀である。ボケ殺しは、ボケてくれた相手への配慮を欠いた不作法であり、もっと過激にいえば侮辱である。
何百年もの歴史の中で磨き続けてきた会話術は、もはや既に一種の伝統芸能のようなものである。通じない方が無教養なのである。ボケられたらツッコミ返す。その繋がりは、和歌の枕詞が特定の語を導くのと同じぐらいに当たり前である。あをによし、と言われたら、奈良、と続けねばならないぐらいの当然である。
行政区分は兵庫県なれど、大阪文化圏の影響色濃い尼崎のトモにとっても、ネタ振りに対する反応というのは常識である。
AがボケればBがツッコみ、BがボケればAがツッコむ。
大阪流会話術の、基本中の基本である。
よくあるコンビ漫才のように、ボケとツッコミが固定化されているということは、大阪の実際の会話では珍しい。誰もがボケでありツッコミである。
初心者にはツッコミの方がとっつきやすい。「なんでやねん」の一言で、一応なんとかなるからである。ボケにはもう一つセンスが必要になる。見れば誰でも分かることを言うのは、別にボケではない。「アホちゃうか」で終わりである。ここで、そう言われればそう見える、という切り口のコメントを入れてこそ、真のボケである。しかし、センスの見せ所は鋭いツッコミである。これにこそ、教養と品格は現れる。
これがなかなかの難物である。
日々「笑い」を追求し、互いに切磋琢磨し合う者たちでも、会心のツッコミなど、一生に何度も出来るモノではない。
であるから、見切りの早いアヤは、早々にボケへの特化を開始している。
これはお笑いの道に進む者の邪道である。
むしろ、容易なように見えて、本当のところは険しき道だ。
ボケというのは、面白いものを言おうとしてできるものではない。面白いことを言おうとして凡人が出すネタより、変人の通常視点の方がよほどウケるのが現実だ。
ツッコミはセンスも重要だが、場数と努力で補える部分も多い。
この点、ボケは完全に本人のセンスがものを言う。どれだけ凡人と異なる視点でモノを見ているのか、それこそが笑いの秘訣である。
こればかりは、吉本興業謹製「オモシロクナール」でも、どうにもならない、残酷な現実である。ちなみに吉本はこの他に「ヨクスベール」も販売している。どちらも大衆風邪薬の外見を装ったラムネである。効能は推して知るべし。
未熟な漫才を披露しながら、二人はスカイビルの中庭に入る。
まず真っ先に目に入るのは、ライトアップされたメリーゴーランドである。
「前田さんによると、あれは一世紀以上前に造られた骨董品やねんて」
可愛らしく彩色されたメリーゴーランドは、よく見なくても木造だった。
12月の梅田スカイビル名物「ドイツのクリスマスマーケット」。
このメリーゴーランドは、毎年やって来る目玉である。
「へーぇ……乗るん?」
この時期だけの限定ならば、飛びつくだろうかとトモは問うた。
「この年でお馬さん乗ってぐるぐる回って、何が楽しいん? しかも金払て」
だが、アヤはばっさりと切って捨てた。
可愛いお人形さんのごとき外見を裏切る、いっそ潔い発言である。
「乙女の発言ちゃうで、それ」
「お金あっての物種です」
間違っていないが、しかし何か間違っている気がする。
「命と小銭とどっちが大事?」
尼崎出身の有名漫画家の代表作の、主人公トリオの一人への問いだ。登場人物の姓に地元の地名が出てくることもあり、トモにとって特に馴染み深いマンガであるが、アヤにもおそらくそうだろう。アニメ化もされているし、映画化もされている。
案の定、アヤは元ネタを踏まえたらしき答えを返した。
「諭吉!」
「そこ『小銭』ちゃうん?!」
「小銭よりは命が大事や」
「諭吉やったら命捨てるんかアンタは!」
「危険にさらすぐらいはしそう」
「アホか!」
へっへっへ、とアヤは笑う。トモも脱力して笑う。
二人してメリーゴーランドを無視し、さらに奥へと進む。
メリーゴーランドの傍には由緒書きが掲示され、そこには「子どもたちだけでなく大人たちも、家族揃ってメリーゴーランドに乗ります。そして恋人達は二人でロマンティックな雰囲気を味わいます。それがドイツ式のクリスマスマーケットの愉しみ方なのです。」と所有者からのメッセージがつけられていた。
別に恋人もいない二人は、全力で見なかったことにした。
人混みはさらにひどくなる。
「なるほど」
トモは、アヤがわざわざ自分を誘った理由を理解した。
お一人様がいないのである。
目に入るのは、ひたすらカップル、アベック、カップル、アベック。
そうでなければ家族連れである。
「前田さん、昔いっぺん一人で来たら、ものすごい変なモノを見るみたいな目で見られたらしいねん。それから、人としか来ぉへんねんて」
それはユリ先輩の服装が目を引いたのではなかろうか、という回答を、トモは心の奥に仕舞った。せっかくのタダメシの機会なのだ。
メリーゴーランドの奥には、単に屋台と言い切るにはちょっと頑丈に造られた、ヒュッテという木の小屋が並んでいる。売っているものは、おなじみのクリスマスグッズから限定マグカップ、飲み物に食べ物、おやつもひと揃いある。
「わっ、可愛い!」
グリム童話に出てくるお菓子の小屋のようなヒュッテの前で、アヤがぴょんぴょんと飛び跳ねた。可愛いのは同意だ。ついでに言うと、吊られているハート形のデコレーションクッキーも、とても可愛い。
「これは『レープクーヘン』て言うねんて」
「へぇ……」
「ハーブ入ってて日持ちするらしい。ので、持ち帰り」
完全品が眼前にあるのに、何の躊躇もなくアヤは割れた「こわれ」クーヘンを購入していた。曰く「バキバキやってこぼしたら、悔しいやん」とのこと。
「お腹すいたなー」
トモはそう言って、さりげなくメシを催促してみた。アヤは眼前のヒュッテの人だかりに素早く潜り込むと、赤と白のソーセージを一つずつ購入して戻ってきた。
「食べたいモノが山ほどあるから、半分ずつね!」
寒風吹きすさぶビルの合間に、冷えたパンを差し出すとはこれいかに、と思ったが、火傷しそうに熱いヴルストとは、いい対比かもしれない。
まずアヤが、白いテューリンガーソーセージを、そしてトモが赤いハムソーセージを食べる。赤は薫製で、白いテューリンガーはハーブが入っている。半分食べたところで交換する。
「美味ッ!」
歯を立てればぷつりとはち切れる皮の感触、溢れ出すジューシーな挽肉に、混ぜられたハーブの香りがいっそう食欲をそそる。熱々のそれに、ご飯をかっ込む勢いで固めのパンを囓ってみれば、小麦とソーセージの風味が渾然一体となって口内を満たす。
「な? ハーブがちょっとクセになる感じやろ?」
先に白を食べていたアヤが、我が意を得たりとばかりに目を輝かせる。
「これだけで晩飯イケそうやわ」
その発言に、アヤはぶんぶんと首を左右に振った。
「ちょっ、さすがにそれは……一本600円もすんねんで、これ!」
「高いな」
非常に美味であることは全く否定しないが、お祭りでも高い。
「ショバ代やろ……梅田やもん」
「せやろなぁ」
若干しょっぱい話になったが、口の中も少ししょっぱい。
「アヤ、グリューヴァイン飲みたい。赤」
そそのかせば、今夜の財布はすばやくお目当てのヒュッテを見つけだす。
「半分こでえぇ?」
「えぇよー。でも後でまたビールが欲しいな」
「分かった」
ブリのネタで嫌がらせした反省か、アヤは大人しく冬のドイツ名物である、ハーブ入りのホットワインを購入しにいく。その間、トモは素知らぬ顔でワインを試飲した。一杯500円であった。試飲なのに金を取るとは、と思いつつ、頼んだモノは仕方がないので、こればかりは自腹を切ることにする。表示を見なかった自分が悪い。
アヤが戻る前に、スパッと飲み終える。頼んだ白ワインは辛口で、あっさり引き締まった口当たりが、先ほどのヴルストに実によく合いそうだった。
グリューヴァインは、ちょっと形容が見当たらない味がした。温めた赤ワインだが、こう、ワインならではの風味が熱で吹っ飛び、代わりにハーブのクセが出る。
あとで白も頼もう、と、トモはアヤの財布への攻撃予定を増やした。
ビル風は結構ひどいので、温かいモノが継続的に欲しくなる。
グリューヴァインの次は、二人でジャーマンポテトと、切ったソーセージとザワークラウトが入ったスープを購入する。
熱い熱いと言いながら、交互に食べ歩きをする。
参ったことに、どこもかしこも座席は満席なのである。
「このスープ、酸味が良ぇ感じやな」
トモの感想に、「熱いけどな」という身も蓋もないアヤの返事が来た。
「ジャーマンポテトはどんな感じ?」
こっちから尋ねてみれば、アヤは少し眉根を寄せた。
「美味しい、けど……」
「けど?」
「これだけ山盛りで出されたら、やっぱり泣くかも」
へへー、と気のない返事をしながら、トモは心のメモ帳に素早くそれを書き留める。目には目を、歯には歯を、骨折には骨折を、とは、聖書のレビ記の記述であるが、イタズラにはイタズラを、嫌がらせには嫌がらせを返すのがトモの流儀である。
次に下宿に行く時は、素知らぬ顔でジャーマンポテトを盛り上げてやろう。もちろん、食べ物を粗末にするのはいけないことなので、トモはアヤが泣きついてきたら、先輩方を誘って一緒に食べてやるつもりである。
とりあえず、アヤの泣きっ面を見たい。ブリの罪は重いのだ。
ゆっくりと人混みの中を移動する。
小さなステージでコンサートが行われている。電飾も眩いオブジェが、あちこちに据えられている。奥の方には、子ども向けのクリスマストレインなどというものがあるそうだが、残念ながら年齢制限に引っ掛かるので関係ない。もっともそれ以前に、お金を払って移動手段でもないものに乗るのは、アヤの主義に反するだろう。
ステージのさらに奥に、それはそびえ立つ。
このクリスマスマーケット最大の目玉、高さ27メートルの、電飾クリスマスツリーである。なんと約10万個の電球が使われているという、エコ大国ドイツとは思えない電力消費のお飾りである。さすがにLEDだが。
点灯は17時なので、二人が到着するより先の話だ。それに、別に二人はライトアップの瞬間には興味がない。点くモノは点く。それだけである。
暗闇に浮かび上がる電飾ツリーは幻想的だし、たくさんのヒュッテやそこに並ぶ商品、特におもちゃやクリスマス・オーナメントなどは、ドイツ情緒たっぷりである。雰囲気に呑まれて色々買う人も多いだろう。まぁアヤは違うだろうが。
なお、グリューヴァインを入れていたマグカップは、そのままお土産になる。毎年デザインが変わるので、集めている人もいるようだ。一杯900円で、お代わりはマグカップ代が消えて600円と安くなる。トモは、マグカップはアヤにあげるよ、下宿なんだから食器が増えても別に良いよね、と押しつけがましく言って荷物を減らした。
若干手持ち無沙汰そうに、真っ赤なブーツ型のマグカップを弄ぶ姿は、見ているだけなら、微笑ましさを感じる程度には愛らしい。
自称ロリ美少女は、伊達ではないかもしれない。
とりあえず、名物ツリーを見て、互いにスマホで写真を撮る。
「……デカイな」
「デカいね」
味も風情もへったくれもない会話を交わす。
二人にとっては、見上げるだけのツリーよりも、回って同じ所に戻ってくるだけのメリーゴーランドよりも、お腹を満たすものの方が、遙かに素晴らしいものである。
見上げて写真を撮れば「戻ろか」の一言が、どちらからともなく飛び出す。
ツリーに背を向け、ヒュッテの方へ歩みを向ける。
「そういえば、前田さんが『丸い揚げ菓子が美味しい』言うてた」
「ほほう」
もちろん買ってくれるよな、という目力を込めて友を見やる。
「ただ、なんか二種類あるらしくて、方っぽは外れらしいねん」
「へえ?」
ドイツ語併記のゴミ箱に使い捨て容器を捨てる。まだ残っていたスープは、アヤの持つマグカップを拝借して、その中に移した。こちらの方が、手が熱くなくて良い。多少ワインの風味が混じるが、まぁそれも一興だろう。
揚げ菓子を売るヒュッテを見つけ、商品を見る。ずいぶん売れているらしく、だいぶ残りが少ないように見えた。
確かに、丸っこい揚げ菓子が二種類ある。片方は「ムッツェン」といい、モチモチの食感らしい。もう片方は「フチース」といい、サクサクの食感のようだ。
「どっちがどっちやったっけ……」
先輩の話を思い出そうとするアヤを捨て置き、トモは両方一袋注文した。
「……おのれ」
アヤの恨めしげな声は、聞かなかったことにした。
まず、互いに一つずつ食べてみる。アヤがムッツェンを、トモがフチースを囓る。両方とも砂糖をたっぷりまぶした、高カロリー食品である。
フチースは、さながらオールドファッションのドーナツを、円形ではなく小粒に丸めただけ、という感じの、素朴な味わいだった。まぁ、結構美味しい。
もそもそと残りを食べていると、「うわっ」と声がした。
見やれば、一口囓ったアヤが、さも「ハズレだ」という顔をしていた。どうやら先輩の言っていた方に当たったらしい。
「そっち、ハズレ?」
「……みたい。モッチモチなんは良ぇけど、酒くさい」
どれどれ、と手を伸ばしてムッツェンを一つつまむ。アヤもフチースを一つつまんだ。それぞれ、同じタイミングでかぶりつく。
アヤの言うとおり、モチモチの食感である。そして確かに、食後に不思議な香りが口中に漂う。言われたとおり、お酒っぽい。
「ウチ、こっちの方が好きかも」
ユリとアヤは味覚が近いから、多分ユリの言う「ハズレ」は、このムッツェンの方なのだろうが、トモの好みはむしろこっちだった。
「ほな替えてー。ウチ無理や」
ほいほい、と袋を取り替えれば、アヤは美味しそうにフチースを囓る。
「んー、美味しい!」
幸せそうに微笑む姿だけは、愛らしい。
「あとで、もう一本、白い方のソーセージが欲しいかな」
げっ、と嫌そうな顔をしたのを、ささやかな復讐心と共に笑う。
「あっ、空いてる!」
ようやく見つけた空席に滑り込む。トモは座席を確保し、アヤが飲み物を買い足しに行く。その後ろ姿だけは、幻想的で可愛らしかった。
「ほな、今日はドイツ式に行こか!」
そう言ってアヤは、白のグリューヴァインを入れたマグカップを、トモもビットブルガー(※ドイツビール)のプラスチックカップを、それぞれ目の高さに掲げた。
「乾杯!」
「命と小銭……」は、もちろん『落第忍者乱太郎』のきり丸に向けられた台詞。言ったのは土井先生。きり丸は「小銭」と即答しています(笑)
※15. June. : 体調不良につき、いったん完結表示にしておきます。