プロローグ
ノリと勢いで書き始めてみました。大阪へ愛を込めて!
旧国鉄たるJRには「大阪」という駅が存在する。
しかし、大阪人に「大阪駅」と言っても、反応はおそらくイマイチであろう。
そこで「梅田」と言えば、多くの大阪人は「はいはい」と理解するはずである。
JR大阪駅の周辺にある駅は、JR東西線の北新地駅を例外として、ほぼすべてが「梅田」である。
歌劇団で有名な阪急は梅田駅、野球チームで有名な阪神も梅田駅。大阪市営地下鉄御堂筋線も梅田駅。同じく大阪市営地下鉄の、谷町線は東梅田駅で、四つ橋線は西梅田駅となる。
なぜ国鉄の駅名に対し、右へ倣えをしなかったのか。それはお上に唯々諾々と従うことをよしとしない、大阪人の気風によるものだと言われている。
帝都・東京、古都・京都(&奈良)、そして大阪は民衆の町、民の都「民都」である。
そんな民都・大阪を代表する繁華街といえば、某闇金融のドラマなどで有名な「ミナミ」こと、難波及び心斎橋周辺が、おそらくは他府県の面々が思い浮かべる場所であろう。道頓堀川のグリコの看板前でケータイ片手に写真を撮る面々を、いつもの光景とさらりと流しつつも、カップルが何とかして二人であの看板を背景に記念写真を撮ろうとしているのを見かけると、頼まれないもしないのにカメラマンを引き受けてしまったりする人は少なくない。大阪はそういう町である。
閑話休題。
この「ミナミ」に匹敵、いや、利用人数の多さでは上回るのが「キタ」である。
「キタ」は各種梅田駅および大阪駅・北新地駅をぐるりと囲み、阪急・阪神・大丸・三越伊勢丹などの百貨店のほか、万を数える商店が軒を揃え、テナントを借り、商売に精を出している。
高島屋が君臨する他には目ぼしい商業施設はなんばパークスぐらい、あとは昔ながらの下町情緒溢れる商店街に突撃することとなるミナミとは異なり、キタはオフィス街を兼ねているためか泥臭さは少なく、どこか垢抜けたイメージを持たれている。
もっともそれはイメージであり、新御堂筋を北に渡れば風俗店が軒を連ね、蛍光色のネオンサイン瞬くあやしげなホテルが林立し、黄昏時の北新地には、髪を盛り上げたお姉さんたちが出入りする店がみっしりである。
いかにも猥雑な町であるミナミに比べ、キタは油断しやすい町である。だがキタを管轄下におく曾根崎警察署、通称「ネソ」こそは、この日本国でもっとも忙しい警察署の一つなのである。
阪急線梅田駅の二階中央改札口下にある紀伊国屋書店の前の広場は、一日に百万人が行き来する。これだけでも「ネソ」の忙しさは推して知れようが、スリに引ったくりに置き引きにと、起きる犯罪の多さも枚挙に暇がない。
しかし、慣れた大阪人たちは、発達させた防犯意識をもって巧みに対抗する。
例えば、大阪府警謹製(?)の引ったくり防止カバーは自転車の前カゴの必須アイテムである。これをせずに引ったくりの被害に遭ったら、大阪のおばちゃんたちは「災難やったなぁ」「飴ちゃん食べるか」と慰めてくれつつも、「自己責任」とバッサリ断言するだろう。
電車にファスナーが開きっぱなしのカバンで乗ってスられるのは自業自得である。電車に乗るときは、閉じたファスナーであろうと、必ず自分の体側に向けるものである。それは最低限の自衛策であり、ここまでやってスられたら、それはスリの技量がすごいのであるから仕方がない。シビアな大阪のおばちゃんたちも、正真正銘の慰めおよび飴ちゃんとともに、新たな防犯自衛策の開発に協力してくれることであろう。
大阪。ここは民衆の町である。
お上が何とかしてくれるだなんて、本心ではちっとも期待していない、しぶとく強かな雑草魂の都である。
東京へのコンプレックスも京都へのコンプレックスも、ないと言い切れば嘘になろうが、ありますと断言するほどにもあるわけでもない。褒め称えるものは大喜びで迎え入れ、「京都十代・江戸三代・大阪一代」と言われる懐の広さを持つこの町は、良くも悪くもマイペースである。
困っている人がいれば当然のように助けを申し出るのが大阪人であるが、じゃあ優しいのかというと、びっくりするほどドライな部分も持ち合わせている。損得勘定をあっけらかんと口にし、悪びれもせずに笑ってみせるが、なぜか憎めない。
それは、生き方に嘘がない、からであろうか。
大阪人は欲望に正直である。大阪人はきわめて合理的な思考回路の持ち主である。大阪人は損得勘定がはっきりしている。そして大阪人は、そんな自分を恥ずかしいとは思わないし、まして隠そうなどとは欠片も考えない。
浪速大学で東アジア史を講義する教授は、大阪人をして「そのままで中国人と対等に戦える唯一の日本人グループ」と評し、そして「大阪は日本ではない」と褒め称えたほどである。いわく「国際化だとか何だとかいって、やれ英語をやれだの何だの言うけどね。日本人が全員大阪人になったら、英語なんかできなくても世界で通用するよ」である。
海外旅行に行って、やたら勇ましく値切る日本語が聞こえてきて振り返ったら、そこに大阪のおばちゃんがいたという経験は、かなりの人がお持ちではないだろうか。
そう、大阪のおばちゃんとは、日本が生み出した超究極の対人関係攻略兵器である。
そして大阪のお嬢さんというのは、すべからく、やがて大阪のおばちゃんへと進化する訓練の途上にある「大阪のおばちゃん候補生」なのである。
見るからに上品そうな、お嬢様のような装いをしていようとも。
大阪に生まれ、大阪に育ち、大阪のおばちゃんに訓練を受け続ければ。
彼女たちは立派な大阪のおばちゃん候補生として、望むと望まざるとに関わらず、シビアで強かな大阪人の素質を日々磨いていくことになってしまうのである。
今日も今日とて、「大阪のおばちゃん候補生」の自覚を持たない「大阪のお嬢さん」たちが、梅田地下帝国の一角で優雅(笑)なお茶会を開いている。
これは、一筋縄ではいかない「大阪のお嬢さん」たちの、まったりしたり、サボったりしながらの、京阪神クラシカルエレガント(?)ライフである。
本文中の「大阪人」論は、作者の経験をもとに書き上げたものであり、すべての大阪人がこのようではないと、念のため申し上げておきます。たとえば北摂と南河内とでは、言葉も気風も全然違いますので!