第二話 それは花開くように Ⅳ
遅くなりました。
しばらくはそうしていたように思う。ずっと木霊の頭を抱いたまま。微かな震えは、嗚咽なのだろうか。しかしそれよりも真っ先に懸念するべき事項があった。
(…よく考えたらさっきのってほとんど告白じゃない…)
我ながらやってしまったと思う。とはいえ人とまともに話すのなんて本当に久々で勝手がわからなかったし、どうしようもない。ああでもせめてもう少しこう言葉を選んで…
悶々とした気分になる。いますぐ隠れたくなるが、さりとてこのまま木霊を置いて…なんてこともできない。そんなことを知ってか知らずか、落ち着いたようでやっと木霊は顔を離した。それから少しだけ恥ずかしそうに目を伏せて、「…ありがとうございます」と小さな声で礼を言う。
…改めて見ると、この子、やっぱり可愛い。
「…うん、とりあえず、敬語つけるのやめない?いちいち話しにくいし」
「え、でも、…私、そんな、やったことないです」
「そんなこと言ったら精霊様にタメきいてる私はどうなるのよ?」
暗に敬語やめないとこっちも敬語でいくわよ、という威圧を込める。木霊は少したじろいでいる様子だったが、やがて自信なさげに「…えっと、氷雨、でいい?」と確認をする。よし、とうなずいてからやっと本題に入れることに安心する。
「…さて、木霊、私がここに来た理由…覚えてる?」
「…あっ、そういえば、そうで…じゃない、だった」
そう、長いこと過去の話をしていたせいで私自身も危うく目的を忘れかけていたが、私がここを訪れたのにはちゃんとした理由があった。
「えっと、サチさん関係ということは…『運命』に関係すること…?」
「あら、『運命』のことは知ってるのね?…その通り、実はそのことで、サチさんからあなたを頼むように言われて来たの。」
そう前置きしてから、私がこの世界に来ることになった理由や、サチさんから聞いた話を伝えると、木霊はかなり驚いたみたいだった。
「え、氷雨…天照様の契約者なの!?」
少しは慣れたのか自然なタメで驚く木霊の様子に、私は少し疑問を抱く。
「…ねぇ、天照の話だと、神様と…契約?してこっちに来てる人って結構いるみたいなんだけど…そんなに驚くこと?」
「えっと…確かに何人か渡ってきてはいるみたいだけど、でも主神クラスの方が来るのはこれが初めて…じゃないかな?…『混沌』の蔓延、そこまで大ごとになっていたなんて…」
そういえば…確か、天照って日本神話じゃ結構えらい方の神様だっけ?それが自分から動くというのは、やっぱり少し大ごとなのかもしれない。
もっとも、節理がどうとか平衡云々とか、そういう問題はきっとあるんだろうなとは思いつつも想像できるようなスケールではないのだが。そういうのは天照に投げたいところなのだが、肝心の天照本人がどうなったのかわからないこの状況ではどうしようもない。
「…ねぇ、木霊、私、サチさんに天照を探すように頼まれたの。私も、少なくとも何かわかるまではそうしたいと思ってる。…でも、やり方がわからないの。貴方に力を借りればいい、って言われたんだけど…協力してくれる?」
木霊が応じてくれるのか、少々不安はあったが、しかし木霊はすぐに首肯する。
「私だって、サチさんや、『運命』の導きにはずっとお世話になってきたから、もちろん協力するよ!…ただ、」
少し申し訳なさそうに目を伏せる。
「直接天照様の居場所を探す…ってことにはいかないんだ。流石に精霊の力でも、それは無理みたい。」
「それでもいいわ。できる限り、力を借りたいの。…お願い。何か小さなことでもいいから」
自分の生まれた意味を、自分が喚ばれた意味を探すために。
自分が自分で道を切り開く覚悟を持つために。
だというのに情けない話だが、今の私には天照が必要なのだ。
「…わかった。えっと……。天照様から説明されてると思うけど、昔から歪みができることはそれなりにあったのだけど、最近は人を歪めてしまうほどの力を持ち始めてる。もしかすると何か人為的なものがあるのかもしれない、というのが私とサチさんの見解。…氷雨が見たその赤い光がそれと関係あるのかわからないけど、可能性は0じゃない。…氷雨、手を出して?」
言われるまま手を差し出すと、木霊はそれ取って開かせ、中に何かを置いた。
「これは…?」
「ペンダント。歪みが強い場所に近づくと、何かの形で知らせてくれるわ。」
近くで見ると、それは石を銀縁で飾ったようなシンプルな形のロザリオだった。芯の部分が深く緑色に輝いている。
「…えっと、なんでロザリオ?宗教違わない?」
「あはは…今の人の好みに合わせたの。まさか勾玉首から下げて歩けとは言えないでしょ?」
言われればそれこそいかにもシュールな光景だ。
「後は魔法のことなんだけど…本当は私が力を貸してあげられればいいんだけどね?」
木霊曰く、この世界の魔法とは、基本的には大気中にある魔力を使って行使されるものらしい。日常程度の魔法ならそれでいいのだというが、より大きな力を使おうと思うと、それには魔力の顕現である上位の存在、その協力が不可欠なのだという。
「さっきのロザリオを渡したときに調べたんだけど、氷雨と私の魔力、あんまり相性良くないみたいなの。」
魔力には固有の波形のようなものがあって、それぞれどんな系統の魔法を使えるかが変わるらしい。そしてかみ合わせが悪いと十分な力を得られない。
「一応何かあった時は私も力を貸すけど、それでも…神様も惑わすような『何か』、それに立ち向かうなら準備するに越したことはないでしょ?私の知り合いに氷雨と似た波長の子がいるから、ひとまずその子に会いに行ってみたらいいんじゃないかと思って。」
「…うん、わかった。その…精霊?はどこにいるの?」
「北の方…常冬の地って言われる場所、凍り付いた湖…そこに住んでる。大丈夫、ちょっと気難しいけど、私からも言っておくから。」
また「ちょっと気難しい」か…精霊も色々とあるのかもしれない。
「んー…木霊みたいな子だったらちょっと難しいのかなぁ?」
「あ、どういう意味!?」
二人して笑う。
「…さて、じゃぁ、ひとまず行ってみる。助言ありがとうね、木霊」
「うん。…あ、ちょっと待って」
木霊が手を払う。掲げられた木霊の手には、あの緑色の『力』がある。
『…みんな、少し力を貸して。』
木霊の声が静かな森に響くと、初めて訪れたときのように、木の葉が舞い始める。それはやがて密集して塊をなす。
「…はい、これ。その服のままじゃ目立つでしょ?」
渡されたのは丈が長めの、ローブのような紺色の羽織物だった。
「またどこかの商店街で服は買えばいいけど、それまであっちの服をおおっぴらに着てるわけにもいかないでしょう?…あと、これ、こっちの通貨。」
とにかくたくさんの餞別をもらってしまった。流石にここまでしてもらうのは申し訳ないのだが、かといってこれなしで生活できるかどうかといえばそれも難しいだろう。丁重に礼を言いながらローブを羽織って、お金をポケットに入れる。
「…氷雨」
呼ばれて顔を上げると、木霊は私の体を抱き寄せる。
「危ないことはしないようにね…本当は私もついていければいいんだけど、私はここを守る役割があるから。」
永遠ではないとはいえ、出会ってすぐの別れ。ここで共有した時間はお互いに長い時間であったから、猶更辛く思えてしまう。
「…大丈夫よ。私たち、友達でしょ?」
そういって軽く木霊の背中をたたき、私は山を後にした。
「…さて、そこに誰かいますよね?」
氷雨を見送ってから暫く。既に気配には気づいていたが、敢えて氷雨が去るまでは黙っていた。
「…反応なし、ですか。」
『いや…驚いた、まさか見破られているとはね』
果たして、答えはあった。ただし幾重もの反響のせいでどこから聞こえているのかは判断できなかったが。
「一体何の用でしょう?手を出すわけでもなくただずっと傍観しているだけなんて。」
『別に、ただ少し眺めていたかっただけですよ。…鏡界の巫女、その旅立ちを…ね』
風が強く吹く。少しして、結界にわずか引っかかっていた薄い気配は消え去っていた。
「相変わらず尻尾をつかませないですね…厄介です」
空を見上げる。雲は風にあおられて動き続ける。久々に恵みの雨がもたらされそうであった。
「…いったい、何が起こるんだろう…この世界に。」
木霊の懸念も、誰にも聞かれず消えていく。それでも彼女の胸には、今日できたばかりの親友の姿が浮かんでいた。
(でも…あの子なら、なんとかしてくれる。きっと…)
ただ彼女の行く末に幸あれと手を合わせる。彼女の想いに共鳴したのか、枝だけとなっていた大木の蕾が膨らみ、そして花を咲かせる。
「…どうか、無事で。」
もう一度だけ、木霊のいる山を見上げる。すると、まるで門出を祝うかのように薄紅色の狂い桜が花開いているのを見つけた。意識して笑みを作り、心の中で呼びかける。
(…行ってきます!木霊!)
期待とともに、足は北へと向かって進んでいった。
これにて二話終了となります。これからはいよいよストーリーが動き出します。
遅筆ではございますがどうぞよろしくお願いします。
タイトルほど派手に花開くシーンを描けなかったのが心残りと言えば心残り