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氷渡り  作者: すぺーど
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第一話 運命 Ⅰ

 例えるなら、用水路の敷居が抜かれ、その先の田に水が流れ込むように。

 ゆっくりと、それまで遮断されていた回路が動き出す。血液の巡りと拍動が控えめに自己主張をはじめ、少しずつ、意識が通常に戻っていく。

 そして、思考が動き出す。


(…う……朝……………?)


 彼女・ ・は朝が苦手である。何が悲しくてこの安らぐ時間を手放さねばならぬのか。まどろみに浸ろうとして必死に意識を闇へと戻そうとしても、カーテンを貫いて照りつける陽の光は容赦なく瞼を灼いて―


 そこで、はたと、違和感に気づく。

 

―暗い…?


(―ッ!!)


 背筋を悪寒が一気に這い登り、冷や汗が噴き出す。霞のかかっていた意識が一気に覚醒する。

 瞳を開くと、そこにはただひたすらに先の見えぬ「闇」だけが存在していた。

 あまりにも非常識な光景。それが自分の記憶を呼び覚ましていく。


(―あぁ。)


 彼女―氷雨は、意識を失う前、最後の記憶を思い出していた。

 明確にそれと認識しているわけではない。氷雨の記憶は、トラックが迫ってきたという事実を最後に途絶えていた。痛みはなかった―という台詞を何度か漫画で目にしたことがあるが、つまりそういうことなのかもしれない。つまり、自分は死んだのだろう、と。


(―まだ…いっぱいやりたいことが…あったのに)


 胸が、ツキンと痛む。これは日ごろから死にたいと願ってばかりいた自分への報いなのだろうか。


 …それに、…失わなければ気づかない幸せ、というものも存在する。

 溜息を一つついて、目を閉じる。

 受け入れる、準備をする。

 このまま自分は、この闇に溶けるように静かに消えていくのだろうか。そんなことを思いながら。


 しかしその時は一向に訪れない。仕方なく目を開く。しかしそこには再びの「闇」。

 消えるなら早くしてほしい…そう彼女が思ったとき、ふと恐ろしい考えが浮かんだ。


 自分は、このままずっとここで過ごすことになるのではないか?


 死にたくない。だったら死ななければいい。けれどもその逆説は、この状況においては冗談以外の何物でもないのだ。

 だって―



―この世界には、何も無いのだから。

 

 ぞわっ、という感覚とともに、そのことだけに思考が引きずりこまれていく。気が付けばどちらが上でどちらが下か、右か左か、そんな当たり前の感覚すら、闇に奪われていく。自分の身体の境目でさえ意味を失い、思考がただそれだけの虚構へと成り果てる。そんなことはない、自分は自分という一個人だ、と必死に念じて自我を保とうとする、それさえも絶対的な闇の前には無駄な足掻き。


―自分は、ここで消えるのか?


―嫌だ


―嫌だ、嫌だ嫌だ嫌嫌嫌嫌嫌―




―これが、死―?


 背筋を冷たいものが貫いた。

 これが、死ぬ、ということ?私が、人間がずっと救われると信じていた、死後の世界なのか?

 何もない、本当に何もない、こんな場所で、輪郭りんかくを失って、孤独に消えゆく、これが、「死」なのか?


―嫌だッ!

 

 それは、本能としての生への執着か。自分がここにある、その事実を足掛かりに、彼女の中から抑えようのない激情が迸り始める。

 

―駅前に新しくできた喫茶店、ケーキが美味しいって聞いてたのにまだ行ってない。来週公開の映画、もうチケット予約してある。まだ、あの子と仲直りできてない。まだ、まだ私にはやりたいことが沢山、だから―



―死にたくない!!



 彼女の強い思いが、失いかけていた世界の輪郭を一挙取り戻させる。手足が、心臓が、身体が、此処にあるという確信が戻ってくる。それと同時になりふり構わず腕を伸ばす。それでも何も掴めぬならば足を、と四方八方、無茶苦茶に動かす。溺れる者の如き必死の動き。

 足先に、微かに何かの感触を得る。


(ッ!)


 必死でそちらの方向に身体を持っていこうとする。もどかしいほどの遅さで伸ばされる足は、それでも確かに何かを捉えた。


「―ぁ 」


 波ひとつない湖面に石を投げいれたような、そんな静かな感覚。重力、平衡感覚、そんな当たり前の物が一気に戻ってきて、微かな安堵を覚える。


 投げ入れられた小石に起こることがこれならば、立った波はどうなるのか。


 小さく、金属の擦れるような音が、彼女の耳に届いた。

 それが何か、考えるより先にその音は大きくなっていき、そのあまりの轟音に、差引なしの「嫌な音」に、氷雨は思考もままならなくなる。

 そして、澄んだ音とともに、世界が「割れた」。

 闇が崩れ去り、その隙間から強く白い光が差し込んでくる。その眩しさに氷雨も今度は目をかばわざるおえなくなる。


 そして、それが収まった時、久方ぶりに氷雨はこの世の『麗』を目にした。


 見渡す限りに広がる、所々で鏡のように光を跳ね返している水面。はらり、と、薄桃色の花弁が目の前を横切り、それの来た軌跡をたどるように見上げれば、山に沿うようにして連なる満開の桜花。そして氷雨はその了両方を繋ぐ小さな橋の上に立っている。


(ここは―?)


 辺りを見回すが、住居らしきものが見当たらない。もう一度山をと振り向けば、桜に混じって、微かに赤い何かを見た気がした。

 折角闇から逃れたというのに、行く当てが見当たらない。そもそもここがどこかもわからない。少しの予感だったとしても今はそれにすがるよりないと氷雨は判断した。

 その時、突然強風が吹きつけた。思わず顔をかばう氷雨。そんな彼女を、通常ではあり得ないほどの物量の、桜の花びらが包んだ。


「―っ」


 再び目を開いたとき、氷雨は違う場所へと移動していた。見上げるような位置に、赤い鳥居が見える。周囲は、先ほどまでは開けて視界が確保できていたのだが、今は満開の桜花にさえぎられている。


(ここは、もしかして―?)


 垣間見えたあの赤いモノ、あれがこの鳥居だとしたら、ここは先ほど見上げていた山の上ということになる。何の乗り物にも乗っていないにもかかわらず、それほどの距離を移動したとなれば、ここもさっきの闇の世界と同じで物理法則の通用しない場所なのだろうか。


(まぁ何にしても―)


 あそこで消えるよりはマシだろう。そう気持ちを切り替えた氷雨は、視線を前に戻した。そこには―


(…まぁ、当然よね)

 鳥居があるのだから、当然存在するだろうと思っていた、その通りに、小さな木造の家屋。かなり小さく古びてはいたが、それは神社の本殿であった。


(これは進むしかないわよね…罠じゃない、よね?)


 進むことを躊躇した氷雨であったが、すぐに、罠にはめるつもりならばあの「闇」で十分だろうと思いなおす。

 軋む階段を抜かないように気を付けながらゆっくりと登っていく。


(あれ?)


 本来は賽銭箱があるはずの場所に、代わりに何かの台が置かれていた。そしてその上に、注連縄しめなわのついた丸鏡が置かれている。近くに寄って覗き込むが、自分の顔は映らなかった。

 代わりに、声が聞こえた。


『…よくぞ、ここまでたどり着いてくれました、氷雨。』

 その声にビクリと動きが止まる。直ぐに周囲を見渡すが、変わらず花が風になびくだけである。


『そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。私は何もしません。』


「そう言う人の方が危険、だって解って言ってる?」


 警戒をとかぬまま氷雨が言うと、その声は微かに笑った。その声は嘘臭いほど、邪気が感じられない。


『そうでしたね。ふふふ、やっぱり見込んだ通りです。では言い方を変えましょうか。

 危害を加えるつもりがあったなら、闇の中でやっていますよ。』

 その含みのある言い方に、鳥肌が立つ。

「ッ、あんたが、犯人?」

『それについてはお詫びを言わねばなりません。必要なことだったとはいえ、あれほどの孤独と絶望をあなたに味わわせてしまったことを』


 その剰りに身勝手な言い分に、氷雨の中で何かが切れた。


「必要って何?それだけの事であんな仕打ち!?ふざけないでよ!」

 気づけば、氷雨は何処ともわからぬ声の主に向かって叫んでいた。


『返す言葉もありません。本当に』


「謝りゃいいですむこと!?あんなの理由があったとしても御免よ!」


「ねぇ!!」


『……ごめん、なさい』

(ぇ)

『ごめんなさい、ごめん、なさい』

 それまで落ち着いた、ある種冷酷な雰囲気すら漂っていた声が、気づけば頼りなく震えていた。

 すうっと頭が冷えていく。そうして冷静になってみれば、今までは言葉の雰囲気に隠されてわからなかったが、声は随分と若い、女性、いや女の子のものらしい。ひょっとすると、自分と大して変わらないかもしれない。そんな相手に…と思うと、氷雨は寧ろ申し訳ない気分にすらなってくる。

 しかしどうやら彼女があの「闇」を作ったことはほぼ間違いがなく、ただ声の幼さを理由に全て警戒を解くにはまだ早い気がした。


 表面上は態度を変えないようにして、探りを入れる。


「…でもとりあえず、理由ってのを聞かせて」


 駄目だ。大分軟化してしまっている。もともとこんな態度は自分の素ではないので、それも仕方ないのだが、しかしもう少し厳しく当たれないものかと、氷雨は心中で深く溜息をつく。

『…はい。ですが話が長くなります。』

「構わないわ。」

『それでは…氷雨、さんは並行世界と言うのをご存知でしょうか。』


(…え…)


 勿論知っている。だがなぜ急にここでそんな話を持ち出すのだろうか。そもそもあんなもの架空理論だろう。

『何故そんなことを、と仰りたいようですね。ですが、ここから説明しなくてはいけません。

 貴方達が住んでいる世界。そこには、もう一つの並行した世界があります。』


(え?)


 あまりにもさらっと告げられる非現実。未だ勢いを失ったままのその言葉に嘘があるとは思えず混乱する。

「え、ちょっと、どういうこと?」

『言葉どおりの意味です。パラレルワールドの存在は、科学的に言えばあり得ない話ではないのでしょう?』


(こんな状態で科学とか言われても…)


 むしろ疑心暗鬼が募っていく氷雨である。


『厳密に言えば、対照世界になるのでしょうか。貴方の世界が貴方の世界でありえるように、真逆の世界が均衡を保っている…本当に人というのは余計なところまで頭が回るものですね』

 気づけば声の調子が最初に戻っている。間違えなく反省しないタイプだな、と暗に思う氷雨。

「まるで自分が人じゃないみたいに言うじゃない。」


『それはそうです。私は人ではありませんから。

 鏡の中から話しているのですし、貴方も薄々気づいていたでしょう?』

 鏡の中から話していたのか。

 とボケをかましている場合ではない。


 なんというか、自分の築いてきた常識という名の壁が音を立てて崩れていくような感じがした。

「じゃぁあんたは何なの?」

『申し遅れました。私は天照あまてらすと申します。』

 …よりによって日本神話でくるか。

「えーと、狸に化かされたときはどうすればいいんだったかしら?」

『…真面目に聞いていますか?』


(真面目に聞いてるとバカらしくなるからなんだけどね…)


『そもそも貴方が理由を話せと言ったからこんな説明をしているのですよ?』

「事情を話さずあんなところに閉じ込めるのも大概だけどね」

『それは試験だから仕方がないのです。』


(あっそ)


「で話が逸れてるわよ。並行世界がなんだって?」

『そうでした。最近、如何いかなる手段を用いたのか知りませんが、この両界を行き来する者が出始めました。仮に『アウトランダー』と呼ぶこととしますが…

 彼らが、片方の世界からもう片方の世界へと物を運ぶようになりました。』


「それのどこが理由になるの?」


『先ほど、貴方の世界と並行世界とは真逆の存在である、という話をしましたね?それは比喩ではありません。

 貴方の世界で栄えた『科学』、これの対義として、あちらでは『魔法』が文明の中核を担っています。互いに対極にあることでバランスを保ってきた両界、それが交わった時、そこには『混沌』が発生します。そしてそれは触れ合うはずのない二つの世界を、繋げてしまう…その結果として、バランスが崩れ、両界が崩壊してしまう。今、二つの世界は正にその危機に瀕しているのです。』


「…もしそうだとして、神である貴方が動かない理由がわからないんだけど。所詮それを行っているのは人なんだから、消せばいいじゃない。」


『……その通りです。ですが、………

 花壇を想像してください。そこに種をまき、水をやることは難しいことではありません。ですがそこで花の柄が気に入らないからと一つの花を引き抜けば、その時点で『調和』が失われます。それは例え同じ大きさの株を持ってきて植えたとしても消して拭えぬ『違和感』となって残ります。

 これも『混沌』です。ですが神の手で行われれば、それは下手を打つと現状より更に酷い状態を生み出してしまいかねません。そして、植えたままの株に手を加えて色を変えるには、専門の知識と、何十年もの研究が必要なのです。

 ですから、私たちが直接介入することは非常に困難なのです。』


「不甲斐ないわね。」


『仰るとおりです。……ただ、そのことが歯痒くてなりません。

 ですが、一つだけ、調和を乱さぬ方法があります。自然の流れとして花壇の花を枯らすこと…つまり、人が、人の意思をもって、彼らを断罪することです。

 既に武命御雷タケミカヅチ加具土命カグツチが介入をしています。しかしあちらの世界に入ってから一向に連絡がつかず、こうしている今も『混沌』の影響は加速度的に広がっています。

 私は、『天道』…『運命』の神として、新たに介入することを決めました。そして、その仕事を、貴方に手伝っていただきたいのです。』


「…言葉を濁さないでくれる?要は貴方たちの道具になって、人を殺せ、ってことなんでしょう?

 だとしたら、お断りよ。私は、まだやり残したことがあるの。世界がどうなろうと知ったことじゃないわ。だから、早く元の場所に戻して頂戴。」


『―悲痛な『運命』のもとに…ですか?』


 その言葉に、どきりとする。

『例えここで元の場所に戻り、此処で得たことを活かして明日を立ち回ったとしても、貴方はきっと負の感情をまた少しずつ抱えていくでしょう。他の者ではなく、貴方なのですから。

 そして、ごく自然な流れとして、貴方は死を決意するでしょう。それでは何も変わりませんよ。

 何よりも、此処でもとに戻るというならば、貴方は事故に巻き込まれて死ぬだけです。』


「ッ…!そういうのは、脅迫、って言うのよ」


『ごめんなさい。ですが、形振なりふり構っていられないのです。

 それに、私は『運命』の神です。人一人の運命をいじることぐらいは容易い。』


「それが『混沌』になるんじゃなかったの?」


『貴方が使命を終えた後ならば、大した問題にはならないでしょう。』

 なるほど、腹が読めた。詰まる所、助けてやるから、手を貸せ…ということだ。

 その言い分には正直、腹が立った。

 しかし…と氷雨はふと思う。

 確かに、もし自分がこのまま元の世界へ戻ったとして。そこで自分は変わらず前を向き続けられるだろうか。

 もし、天照の言う通り、再び死を望むとしたならば―

『すぐに答えろとは言いません。決意ができるまで待ちます。もしそれでも死を選ぶというならば、元に戻すことも―』


「ふぅん…言ってくれるわね。


―決めたわ。」

遅れて申し訳ありません!

今回は、一つのピリオドが出来るだけ短くならないように構成を練っています。そのため中途半端な切り方になってしまいました…お許しください。


3/24追記

設定が色々とややこしい話なので、ちょっとした設定録のような物を設けたいと思います。

また、ご意見・ご感想・ご指摘は、執筆に向けて励みとさせて頂いております。読み終えた後一言だけでもコメントを添えてくださると光栄です。

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