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氷渡り  作者: すぺーど
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Before That

 それは、特にこれといったこともない普通の日常。偶然にも少しの雲すらない空は、夏満開の強烈な日差しを余すことなく伝えて空を青と白のコントラストで染め、そしてその空の下では天まで届くかと言う勢いで聳え立つビルの数々。ビル風が強く吹き、そしてその更に下で幾多もの人々が忙しなく駆け回っている。すれ違う一瞬ですら、周囲を一切気に止めることなく時計だけを見つめて蠢く様は、ただ正しく今の世を表しているようで。


今日も同じ空の下、何処かで人が喪われて、

それだけの悲しみが生まれていて、


だからこそ、些細な出来事は最早誰にも気づかれず、日常へ組み込まれ、そして消え去っていく。


 薄汚れた鞄を抱え、あちこちに隠しきれぬ傷を作ったボロボロの少女も、そんな日常から取り残された『悲しみ』の一つだった。


 ゴミ箱に捨てられたときについた鞄の傷も、突き飛ばされてついた体の傷も、人混みの中では注視されることはない。


 周囲に心配をかけたくなくて、それでも自分が居ないもののように扱われるのは嫌で嫌で仕方なくて。保健室では「足を踏み外して」と言い訳して、帰る時も人目につかぬよう裏道を選んで一人で通り、そして家に帰ってもまた作り物の言い訳を使って切り抜けて。その節々でぎこちなく笑顔を見せて、そしてその裏で何度も涙をこぼして。


 それでも繰り返していく日々は、次第に彼女を追い詰めていく。


 彼女…涼城(すずしろ) 氷雨(ひさめ)は、俗に言う優等生というカテゴリに分類される少女だった。容姿も、少し背の低いところがネックであったが基本的に端麗であった。それ故に異性との関わりで苦労することが多々あり、両親の反対を押しきって少し学力の低い女子高へと進学した。

 彼女はそこでも生まれ持った才覚を存分に活かした。順位は常に一桁を保ち、運動も他人にそうそう遅れはとらなかった。役員決めの際にも全員が一致で彼女を推薦し、学級代表になった。

 しかしその頑張りが、上級生の目に留まったらしい。しばらくして彼女は数名の生徒に呼び出された。調子こいてんじゃねーよ、このクソアマが、というような言葉を口々に浴びせかけられ、それでも「やるべきことをしているだけ」と気丈に答えて見せた。


 それが、彼女たちの気に障ったらしい。


 次の日から、まず無視が始まった。上級生だけであれば何の苦にもならなかったが、最初は名を知っている程度のクラスメート、次第に仲の良かった友人からも相手にされなくなった。

 彼女は知るよしもなかったが、彼女を呼び出した上級生たちのうち一人は、生徒の中でかなり幅をきかせていたらしい。

 やがて同学年で彼女のことを疎ましく思っていた者がそれに加わり始めた。廊下で誰かとすれちがう度に聞こえる舌打ちの音は、少しずつ彼女を追い詰めていった。


 やがて、状況は少しずつエスカレートしていく。

 机に書かれたいわれのない落書き、ひそひそと囁かれる噂話、「死ね」「キモい」「ビッチ」といった直接的な誹謗中傷、物が無くなるのは日常茶飯事。そんな日々が、何日も何日も続いた。


 かつて高かった成績は少しずつ下がり始め、眠れぬ夜が続き、懇談会では努力がみられなくなってきたと言われたあげく「もっと頑張れ」と、気づかれぬ悲しみと共に彼女の責任感を煽って、無意識に彼女を追い詰めた。家族とも上手く行かずやがて疎遠になり、頼るものの存在がない状況が際限なく彼女を苦しめる。


 既に彼女は、限界にほど近い位置にいた。


(ひと思いに死ねたら、楽なのかな…)

 夏も終わりに近づいて。交差点で、傘を差して、信号機と行き交う車を眺めている彼女は、既に『死』を考え始めていた。

 入学から、およそ五ヶ月。ほぼ同じだけの時間、じわじわと精神攻撃にさらされていた彼女の心は、既に擦り切れてしまっていた。

 それでも彼女の思いを現世に留めているのは、自分が引き受けている仕事の責任だとか、自分とかかわりのある人々のことだった。

 彼女は、それを気にできてしまう程度には真面目であった。だからこそ苦しんでいた。

 信号が青に変わった。人混みが動き出すが、傘のせいで人々の隙間は開ききっていて、彼女がわたり始めるその一歩手前で、信号が点滅を始めた。

 足を止めた直ぐ先を、名も知らない日系の車がスピードを上げて走り去っていった。排気の臭いを微かに感じながら、再び彼女は死を思起する。

 が、首を振ってそれを頭から打ち消す。その視界の隅で、左の信号機が点滅しているのを見る。

 もうすぐか、と、彼女は一歩だけ足を前に進めた。


 それは、単なる偶然。

 その時横を向かなければ、彼女は信号が変わろうとしていることには気づかなかった。

 その時雨が降っていなければ、傘のない視界は広いまま、周囲の様子にも気を配ることができた。

 しかし、その日は雨で、そして偶然は重なった。


 自動車用の信号機が、黄色に変わる。

 そして、歩み始めの彼女の体が、後ろから僅かに押された。


「―ぁ」


 それで、十分だった。

 不安定な体勢の彼女はその小さな刺激でよろめいて、反射で数歩前に出てしまう。

 そして、信号が変わりきるより前に直進しきれると踏んだトラックが、交差点の奥から猛スピードで走ってきて。

 二、三歩よろめいた彼女は、車道へと踏み込んでしまっていた。

 傘が、風にさらわれて転がっていく。

 雨が頭を濡らしながら冷やしていくのを感じて、

 妙に引き伸ばされた刹那に、状況を認識して、

 急ブレーキの音と、クラクションの音は既に意識の彼方へと去り、

(―死にたくないなぁ…)

 場違いにゆっくりと、そんなことを思い、そして、笑う。

 あぁ、私は、もっと生きていたかったんじゃないか。

 未来に、希望を抱いていたんじゃないか。

 それを知って、でもそれは余りにも遅きに過ぎて、

 長い髪が風に揺らいで、

(―死にたく、ない)

 もう一度思った、その言葉はしかし口にすることは叶わず。

 彼女の小柄な体駈に対して圧倒的な質量が、文字通り引き潰さんと迫ってきて、


 暗転。

 頬に、微かに生温い感触を、感じた。

最初からおどろおどろしい感じでごめんなさい。

解説は後で活動報告に!

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