第148話
『お初にお目にかかる。『叡知の書』と言う。ご婦人には以後見知りおいて頂きたい』
俺の差し出した本がスラスラと言葉を話すのを見てデトクが一瞬固まってしまった。
「こいつが俺の心当たり。『叡知の書』って言うんだけど」
デトクは俺の言葉でなんとか気を持ち直したようで『叡知の書』に挨拶を返した。
「色々と想像を膨らませていたんだが『知性ある物』とは予想外だったよ。ご丁寧な挨拶、痛み入る。私はデトク、一応医者のはしくれだ」
驚きが治まって来たのか興味深げに『叡知の書』を眺めるデトクに『叡知の書』が返事を返す。
『うむ、羊獣人か。我の知り合いにも偏屈な学者の羊獣人がいた。やはり羊獣人には知的な職種がよく似合う』
聞き方によっては悪口にも聞こえるような事を言い出す『叡知の書』。
しかし、デトクは誉め言葉と受け取ったようだ。
「お恥ずかしい限りだ。ほんの少し薬草学をかじっていただけの私をみなが『先生』とおだててくれてその気になっているだけなんだよ」
『教会では扱っていない学問を独学で物にしているのだ。ご婦人は『先生』と呼ばれるに相応しい方だろう』
魔力を含まない薬草の研究は『教会』では行われていない。
『教会』は、魔力を含む魔法薬の方が効果が高いから。などと言っているらしいが魔力を持たない『医者』が増えて患者が減るのを恐れての事ではないかと俺は考えている。
そして、この世界で『教会』の協力を得られないと言うのはそれだけで大きな障害となるのだ。
それをデトクは細々とだが十数年間やり続けた。
確かに生半可な覚悟では出来ない事だろう。
『我の知識がご婦人の様な高潔な方の役に立つ事を誇りに思おう』
「や、やめてくれ、背中が痒くなる。私はそんな立派な人では無いよ!?」
顔を真っ赤にして照れているデトクに『叡知の書』が追い討ちをかけていく。
『謙遜されるな。我の記録の中にも貴女ほどの人物はなかなかいない』
とうとうデトクは両手て顔を覆って首を左右に振り始めた。
デトクは初老と呼ばれるような年齢ではあるが、歳を感じさせない顔と相まってこういった可愛らしいしぐさが意外と似合う。
このまましばらく見ていても飽きないだろうが、話が進まないのでデトクに助け船を出してやる。
「デトク、『叡知の書』の事なんだが」
「あ、あぁ、なんだ?」
「実は俺の物じゃなくて『天龍教』の持ち物なんだよ」
「そうなのか?」
「あぁ。デトクが困ってるから、って特別に巫女様に頼んで借りてきた」
昨日の夜、『叡知の書』には既にそう振る舞えと指示しておいた。
自分で頼んでおいてなんなのだがあっさりと『叡知の書』が承諾したのには驚いたが、
『『書物』の意味は『人』が決めるものだ。同様に『書物』の価値も『人』が決めるもの。あらゆる知識を修めた我だ。その用途も多岐に渡るであろう』
例えば、『枕』代わりにされる事もあるだろう。と少々トゲのある言い方をされてしまう。
悪かったよ。
『構わぬ。『枕』となることで得られる事もあるやもしれん』
だから『天龍教』の『教典』とされる事に抵抗など無く、そうなる事で新たな出会いもあるのだ。と『叡知の書』が言葉を続ける。
実際に『叡智の書』はデトクとの出会いを本気で喜んでいるようだ。
「そんなに大切な物を私に預けて構わないのか?」
デトクの反応で『話す教典』が異世界であっても珍しいのだと分かった。
まあ、俺達も『叡智の書』以外の『知性ある物』をまだ見たことが無いのでそれ自体の数が少ないのだろう。
「もちろん、『叡知の書』を預けている間は俺がそばで監視するさ。それに『叡知の書』がデトクの知識を得られる、と言う利点もこちらにはあるさ」
俺が付くのには他の理由もあるのだが、それは言う必要は無いだろう。
「それにこちらからも条件を出させて貰う」
「あぁ、私に出来ることなら何でもしよう」
ある程度予想していたようでデトクがよどみなく頷いてくれる。
「あんたにしか出来ないさ。大変だとは思うけどな」
『天龍教』からデトクへの条件。
それは『信者』全員の『健康診断』だ。
「ぜ、全員!?」
今日のデトクはリアクションが大きいな。
飛び上がるようにしてのけぞるデトクを見ながらそんな事を考える。
「無理だ。私だけでは2、30人の患者の面倒を見るので精一杯だぞ」
「『天龍教』から資材や人材も提供するよ。それにあんたの元で修行中の奴らの勉強にもなるだろ?」
「それは、確かにそうだが」
「状態のひどい患者には優先して魔法や魔法薬での治療を施すことも出来る。あんたの信条からは外れるかもしれないけどな」
結局、デトクはすぐに了承してくれた。
自分だけでは手が回らない事くらいデトクには分かっていたのだろう。
「私は魔法や魔法薬での治療を嫌っている訳ではないよ。それだけでは足りないから薬草を使っているだけだ」
そう言って、とりあえず面倒を見ている患者達の病状を『叡智の書』に説明し始めた。
『叡智の書』の知識の中に現状を打開できる薬草の情報があるかもしれない、と考えての行動だ。
本当なら患者をこの目で確認したかったのだが、デトクがマメに診断している患者なので本当に弱っている者達がほとんどだろう。
それならステータスの確認は後回しでも構わない。
本番では俺と『叡知の書』が同席して信者達のカルテをデトクに作成して貰えればいいのだ。
デトクの簡単な健康診断と俺のステータス確認の結果を逐一『叡知の書』に記録していくだけで信者達のカルテは『戸籍表』や『履歴書』代わりになる。
移動中に出来るだけ信者達の能力の把握を終えて新天地に到着したらすぐに街作りに着手するためにもこの診察は出来るだけ早く始めたい。
「早速、明日からでも始められるか?」
「ずいぶん急だな。急ぐ理由があるのか?」
「手遅れになる奴は少ない方が良いだろ?この移動が原因で体調を崩してる奴もいるかもしれない」
『うむ、出来るだけ早急な行動が必要だ』
『叡智の書』が『健康診断』に乗り気な訳は昨晩の『切り札』の副次的な効果だ。
『やぁ、持ち主。またこうして会話できることを嬉しく思うぞ』
開口一番の言葉がこれだった。
『叡智の書』に表情は無いが言葉通りに受け取れるほど声質は平坦ではない。
「すまなかった。魔力切れになってすぐに起こそうと思ってたんだけど、その、忙しくて」
『なるほど、持ち主には我以上に優先すべき事柄が有った訳だ。それはさぞ高尚な物だろう。ぜひ、武勇伝のひとつも聞きたいところだ』
完全にご機嫌斜めな状態だ。
仕方が無いので、早々に『切り札』に登場願った。
「そうだな、まずは勇者の木乃伊の話をしようか」
『勇者?ミイラ?どういうことだ?』
人間の三大欲求が存在しない『叡知の書』に唯一ある欲求が『知識欲』だ。
美味い酒や美女には惑わされないが自分の知らない知識には目がない。
今回は、誰でも知っている『勇者』と言う言葉とおそらく『叡知の書』も知らないはずの木乃伊と言う言葉で興味を引いてみたがなかなかの食い付きだ。
「木乃伊ってのは死後も腐らずに残った遺体の事だ」
『腐らずに残る?』
「ああ、特殊な条件を満たせば死体は腐らずに木乃伊になる」
『詳しく教えてくれ』
「それより、直接見たくないか?」
『叡知の書』には眼はないが、俺をこうして認識している以上なんらかの感覚器官があるはずだ。
それならば、直接『見る』事に意味もあるだろう。
『見られるのであれば是非見てみたい』
やはり食いついて来た。
「なら、少し手伝ってくれないか?」
『なにをだ?』
「この集団の目的地に勇者の木乃伊があるんだが、行軍速度をあげるのを手伝ってくれないか?」
『集団?我々だけで先行することは出来ないのか?』
「出来なくはない。ただ、立場上難しいんだ」
『・・・我は何を手伝えばいい?』
「デトクと言う医者を手伝ってやってくれ」
『医者か、なかなか珍しいな』
どうやら、『医者』にも興味があるようだ。これは嬉しい誤算である。
「あらゆる知識をおさめた『叡智の書』なら簡単だろ?」
『無論、我が記録の中には薬学についても記録されている』
『叡智の書』がかなり乗り気になってきているここで更にダメ押しをする。
「そうか、じゃあお礼にいくつか良い事を教えてやるよ」
『持ち主の知識か。興味がある』
俺は、自分の知識から街作りに使えそうな様々な事を『叡智の書』に伝えていった。
おかげで『叡智の書』はそれらの知識を実践したくてたまらないのだろう。
機嫌が悪かった事も忘れて非常に協力的になってくれた。