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【む、無理です! 絶対無理です!】
【ですよねー】
壁や扉、屋根なんかのメッキを剥がして塗装する改装作業が進む屋敷のお風呂場にレーネさんの念話の絶叫が響き渡る。実際は響き渡ってないけど。
エイド君からの弟子入り志願の話をレーネさんにしたところ予想通りの答えが帰って来た。
エイド君からは前衛を増やさないかという話だったが、どう考えてもレーネさんへの弟子入り志願にしか聞こえなかったのでそう伝えたのだ。
結果は予想通りすぎるものだったけど。
「私もあんまり賛成できないかなー」
「うん? どうしてですか、エリザベートさん?」
メロンをロケットにしてツンと突き出すように背伸びをしているエリザベートさんがそのままぷるんぷるんと背伸びしたまま横にくねくねしながら言って来る。
「だってエイド君は男の子じゃない」
「男の子ですね」
「男は狼なのよ?」
「エイド君ですよ?」
「エイド君も狼なのよ?」
「ふーむ……」
エリザベートさんの理論では男はみんな狼のようだ。
オレにとってみればエイド君は可愛い弟のような存在だ。ちょくちょく会っては話をしたり情報を貰ったりしている。
見た目はまったく逆でオレの方が妹みたいな感じになっているだろうがそれはどうでもいい。
それにオレにしてみればエイド君が狼じゃなくてエリザベートさんが狼みたいなもんだし。
アルがいるから何も問題ないけれど。
「まぁレーネさんが無理っていうなら無理強いする必要もないですから、エイド君にはお断りの返事を返しておきますね」
「すみません……」
レーネさんが大きな体を縮こませて本当に申し訳なさそうにお湯の中に顔を半分沈ませている。
このまま沈んでいったら溺れちゃうかもしれないので、エイド君の話はこれでおしまいだ。
ちなみにネーシャは日々泳ぎが上達している。
鍛冶以外にもこっちの才能もあったようだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌日。
冒険者ギルドの受付のお姉さんにエイド君への返事の手紙を渡してくれるようにお願いしてからレーネさんが予め確保しておいてくれた依頼を受ける。
エリザベートさんは奥の方の仕事に回されているようでいなかった。
今回受けた依頼は次の探索予定の迷宮に入るために必要なランクを確保するための所謂ランク上げのための依頼だ。もうお金は腐るほどあるし。
ランクは冒険者ギルドへの貢献値によって上がるので手っ取り早く上げたかったら受けられる依頼の中でも難易度が高く、且つ効率的に貢献値を稼げるようなものを選ぶ必要性がある。
効率的に貢献値を稼ぐにはやはり討伐系の依頼が手っ取り早い。
討伐系の依頼でも最低数+αという依頼が狙い目だ。
これは最低限倒さないといけない数の他にも倒した分だけ加算されるタイプのヤツだ。
でも大体の討伐依頼ではその+αにも限界がある。
魔物自体も無限にいるわけではないし、依頼には期限がある。
それでもやはり他の依頼よりはランクを上げるには狙い目とされるものでかなり競争率が高い系統の依頼だ。
朝早く、もしくは依頼が張り出されればすぐにでもなくなってしまうような依頼なのだ。
依頼確保はレーネさんが任せて欲しいというのでお任せした結果、ラッシュの街から少し遠いが4つ同じ場所で出来る依頼を確保してくれていた。
そのうちの2つが討伐系だ。うち1つが+αがついているタイプ。
+αがついているような依頼はなかなか出ないのが実情なのでラッキーだったといえる。
そしてそんなラッキーな依頼をしっかり確保しているレーネさんはやっぱりすごい。
レーネさんの大きな体とソロでランクを上げてきたという一目置かれる存在だからこそできることだろう。
オレ達が確保しようとしたら大勢の荒くれ者達にもみくちゃにされてしまう。ギルド内で蹴散らすのも躊躇われるし。
そんなわけでさっそく依頼の場所に行く事にした。
今回の依頼はラッシュの街から少し遠い場所だが、移動手段があるし帰還用魔道具もあるので別段問題にもならない。
ただ帰還用魔道具を誰かに持たせて移動してもらい、目的地についたらオレ達が移動するという手段は帰還用魔道具のレア度を考えると控えた方がいい。
予備の戦闘奴隷の人達にやらせるという案も出たが、ただでさえ他の人より楽が出来るのに今からそれに頼りっきりではどうかと思う。
そういうわけで今回もオレ達が馬車に乗り込み移動して、馬車ごと帰還用魔道具で帰って来る感じにした。
まぁデーイス迷宮に行く時も似た様な感じだったけどね。
必要な物はアルとレーネさんが事前に準備してしまったし、アイテムボックスを拡張しているアルが全部収納してしまったので馬車には基本的にオレ達しか乗っていない。
今回の馬車は豪華な箱馬車ではなく、普通の幌馬車だ。
豪華な箱馬車は非常に目立つので山賊なり盗賊なりに襲ってくださいと言ってる様なものなのだ。
顎達もそのような愚はさすがに犯さなかったようで、きちんと普通の馬車も屋敷にはある。
でも見た目が普通なだけで魔道具で補強されているので悪路でも揺れを軽減してくれたり、耐久力も通常では考えられないほどあるそうだ。
そのため曳く馬の体力さえ持つならかなりのスピードで移動が可能になる。
「詰まる所全然普通の馬車じゃないよね、これ」
「答えは是。見た目だけ普通ですが、走っている所を見られれば普通とはとてもいえないものになります」
「ぁはは……」
レーネさんの小さな笑いは乾いていたがかなり控えめだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
目的地はラッシュの街から東南にある森を越えた先にある巨大な山岳地帯の麓のあたりだ。
この辺りには街どころか村さえないが放置しておくと魔物が溜まってしまって山岳地帯にある鉱山街になだれ込む危険があるそうだ。
そこで鉱山街でも定期的な駆除を行っているそうだが、鉱山街以外で1番近いラッシュの街でも依頼が出されることが度々あるそうだ。
ちなみに距離的にはラッシュの街から東南にある森を迂回しながら進むので普通の馬車で10日前後の位置で鉱山街からは5日程度の位置だ。
だが馬車の耐久力が高いし、それに合わせた馬ももちろん確保してある状態なのでかなりの時間短縮が見込まれる。
具体的には10日の工程が4日くらいになる予定だ。
その分+αで狩れる魔物の数を増やせるという狙いもある。まぁ魔物の数次第ではあるが。
倍以上のスピードでひた走る馬車の旅はなんというか……酷かった。
酔いこそしないものの軽減されているのかわからないほど揺れる揺れる。
御者はアルとレーネさんが交代で行い、オレは揺れる荷台を転がっていた。
【ワタリさん、大丈夫ですか?】
【だいじょ~ぶ~】
【やっぱりお屋敷の方で待っていらしたほうがよかったのでは……】
【レーネさん達ばっかりに働かせて自分だけのうのうとしてるのはちょっとねぇ~】
【ではやっぱり奴隷を使った方が……】
【こういうのにも多少は慣れないとだめでしょ~】
【それはそうですが……せめて私に掴まってください!】
馬車の揺れに合わせて荷台をごろごろ転がっていたオレに我慢できなくなったレーネさんが遂に強硬手段に出てきた。
結構揺れに合わせて転がっているのもアトラクションみたいで楽しかったんだが仕方ない。
レーネさんは巧みなバランス感覚で揺れる車内でも転がることなく、うまく座っている。
そのレーネさんにすっぽり抱え込まれるようにしているのがオレだ。
予期せぬ戦闘も想定している馬車の中とはいえ、完全武装というわけではないがさすがに鎧を着込んでいるレーネさんは硬い。
もちろんその辺も考慮してくれているのか毛布を挟んでクッションにはしてくれているのだがやはりエリザベートさんのメロンには敵わない。
その辺をちょっと残念に思いながらも、抱っこされているという事実はちょっと気恥ずかしいものがある。
しかもしっかりと腕を回されて固定されているし、レーネさんの薄い体臭もばっちり嗅げるくらいの距離だ。
レーネさんは当然ながら香水なんかは使わない。
体臭くらいなら別に対策する必要性はないが、風向きなんかをきちんと考慮してもやはり強い匂いは控えるのが冒険者として当然のことだ。
レーネさんの体臭は薄く、最近は屋敷のお風呂に毎日入りに来て食事も一緒に摂っているのもあってオレ達と似て来ている。
でもやっぱり違う。
レーネさんの匂いを嗅いでいると本人も気づいたようでちょっと……いや相当顔を真っ赤にしていたがそれでも抱っこから解放される事はなかった。
ネーシャは最近なんだか金属質のするような変な匂いが染み付き始めている。金属質のするような匂いというよくわからない匂いだけど、別段嫌な感じはしない。
鍛冶や彫金なんかが馴染んできた証拠というやつだろうか。実にいい事だ。
ちなみにアルの匂いは安心する。
なんというかこう……自分の居場所のようなとても安心する匂いだ。
アルの匂いならたぶん一日中嗅いでいても飽きないんじゃないだろうか。
恥ずかしそうにしながらも決して離さないレーネさんの匂いを嗅ぎながらも、猛スピードで走行する馬車に揺られ続けた。
レーネさんへのワタリちゃんの行動がだんだんと遠慮のないものになっていっています。
それだけ仲良くなってきたという事ですが。
次回予告
移動に数日を要する為にワタリちゃんは野宿をすることに。
リリンの羽根があるけれど、これも経験。
はてさて屋根のあるところでは野宿というのだろうか。
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