2,命名式
閉じている目に光が眩しい。
人間の目は閉じていても、強い光を浴びれば眩しく感じる。
眩しさに目を開けると、そこに広がっていたのは緑の海だった。
文字通りに緑色の海ではない。さすがにそんな海だったら毒の海かよって突っ込みを入れるのは間違いない。
だが、そんな無粋な突っ込みは出てこない。当然だ、オレの目の前に広がっている光景は草原。
それも大草原だ。
一面――見渡す限り全て草原なのだ。緑の海っていうのはそういう意味だ。
普通なら点々とでも木が生えていてもおかしくないものだが、見渡す限り草しかない。その草も自分の腰ほどまである。
オレの身長は180cm近くあったはずだ。そんな大きさの草となると、歩くのも大変なのではないだろうか。この先の苦労が偲ばれる。せめてもう少しマシなところにして欲しかったものだ。
「目を開けて周りを確認したら、まずは手に持った本に名前を付けてあげて欲しい」
全てが白かった人物から言われた言葉を思い出した。
彼――創造神は確かにそういっていた。
確かにオレの右手には重さをほとんど感じないにも関わらず、脇に抱えるほどの大きさの本が存在していることが見ずにもわかっていた。
「本に名前を……か……あ?」
おかしい。明らかにオレが発したはずの声がオレの声じゃない。
聞こえた声は明らかに高く、可愛らしい声だった。
オレの声は正直、野太いダミ声。
……だったはずだ。だが、今聞こえた声は明らかにその野太いダミ声ではなかった。
骨伝導で届く声と声帯から発せられた音を鼓膜の振動から聞いた声では、違いが出るというのは知っている。一番簡単なのは録音した自分の声を聞くことだ。試しにオレもやってみたことがある。笑えるくらいに別人の声だった。
だが、そんな骨伝導とか声帯を鼓膜でとかそんなチャチなもんじゃない。もっと恐ろしく可愛い声を聞いたような片鱗を味わったぜ……。
「落ち着けオレ。まずは確認だオレ。あーあーあーあめんぼあかいなあいうえおー」
間違いない。これはオレが発している声だ。思ったとおりのことを思ったとおりにきちんと声に出せている。
そしてやはり聞こえる声は可愛らしい子供の声だ。
33歳だったはずのオレは決して子供ではない。身長180cm体重84kg足のサイズは30.5cmの割とがたいのいい、サイズの合う靴を探すのが大変だった熊男だったはずだ。脂肪ではなく筋肉で重さをました体重と、毎日の自主トレで培ったえせ体術が自慢だった。
そうだ。声が可愛らしい子供だったとしても、体はどうか。可愛らしい子供の声の熊男なんて世にも奇怪な生物以外の何者でもないが、それだけは出来れば避けたいがこの際それもありかもしれないと諦めも肝心かもしれない。
……だめだ。絶対混乱しているな。まぁ仕方ない。とりあえず確認だ、確認。
緑の海だった視線を下に落とす。見えたのは割と簡易な麻製っぽい長袖の服とその袖から出る小さな手、右手に持った大きな本、運動性重視の麻製っぽいズボンと小さいが頑丈そうな革靴。
どうこからどう見ても、大きさがおかしい。縮尺がおかしいというか、明らかに子供サイズだ。
子供の声と子供の体。
頭脳は大人という台詞が脳裏をよぎったが、かぶりを振って消しておいた。
下に落ちた視線が上にゆっくりと移動していき、青く澄み切った天空を仰ぐ。ゆったりと流れる雲と移動の最中に見えた2つの太陽。この場に寝転がってちょっとしたピクニック気分を味わいたい衝動に駆られる。
「まてまてまて! 太陽が2つだと!?」
二度見した太陽は確かに2つだった。大きな太陽と小さな太陽。
まるで兄弟のような太陽達が、昇り始めたばかりなのか緑の海の地平線の少し上に存在していた。
真っ白な創造神の言葉が脳裏に再度再生される。
「君がこれから行く世界は君にとっては異世界だ。元の世界とは重力や基本的な生命に必要な環境なんかは同じだから安心してくれ。でもやっぱり異世界だからね。違ったところもある。
でもそんな違うところも楽しめる要素だとボクは思うんだ。だから安心して欲しい」
あーそうだった。ここは異世界。確か名前をウイユベール。
創造神の説明では、たくさんの種族が入り乱れて住むが、ここ300年は戦争がないという割と平和な世界だと言っていた。
そうは言っていたが、これは聞いてない。オレの体が子供になっているなんて聞いてない。契約不履行だ、損害賠償を要求する。むしろやり直しを要求したい。
しばし、ゆったりと進む雲を眺めていた。
オレの心を端的に表そうじゃないか。それは放心。その一言に尽きる。
確かに彼は言った。異世界だと。元の世界とは違うが、楽しめるだろうと。それはオレもそう思う。ゲームは好きだし、漫画も好きだ。当然小説も読む。主にライトノベルだけど。
だが、そんなライトノベルでよくある異世界物。もちろん大好物だ。いつか異世界にいってハーレム作ってオレTUEEEしたい。そんな妄想をよくしたものだ。
だが、敢えて言わせて欲しい。
「せめて異世界トリップ物か、もう少し成長させた体にしてくれえええええ!!!!」
清々しい草の香りと、澄み切った青い空。徐々に高さを増している2つの太陽。
そんな情緒溢れる世界でオレは全力で叫んだ。
可愛らしい声が辺りに木霊するようなことはなかったけど、緑の海に静かに吸い込まれて消えていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「空が青い……」
耳に聞こえるは可愛らしいという表現がぴったりの声。
それを発した体もその声に反しない、未熟な肢体。
だが、その頭脳には33歳のおっさんが搭載されている。
こんにちは。初めまして。どうもどうも、キリサキワタリです。
オレは今見渡す限りの緑の海にいます。そして今子供です。精神的には大人です。
意味不明ですね。すいません。自分でもあまり状況が理解できていません。
「ふー……吸ってー吐いてー吸ってー吐いてー」
深く深呼吸を行い、肺の隅々に酸素を送り込む。茫然自失とした脳みそにも酸素が供給され、ゆっくりと静かに正常稼動へ向けて動き始めていく。
まずは落ち着こう。落ち着かなければ何も始まらない。むしろまだ何も始まってすらいないんだ。何も始まってすらいないのに、慌ててどうするんだオレ。
慌てる要素は多分にあったが、むしろあのまま慌て続けていても許されるような状況だったとは思うが、ここは落ち着いて冷静になろう。
そうだな。どこまで思い出せば落ち着けるだろうか。
まずはそうだな。選択肢の話辺りから思い出しておこう。もしかしたら創造神も何か今の状態を示すような発言してたのかもしれない。
ゆっくりと目を閉じると蘇る、ついさっきの光景。白いローブに白い髭。自分を創造神と名乗り、オレが死んだことを教えてくれた人。
死んだ事実を受け入れて、彼は選択肢を提示してくれたのだった。
「じゃぁボクの用意した選択肢を言うよ」
「お願いします」
「まず、大前提として君は元の世界に生き返ることはできない。
これはすでに輪廻に確定された事象として覆らせることができないことだ。だが、生き返れないだけで、転生という方法が残っているんだ」
「転生……?」
元の世界に生き返ることはできないのは、死んだのだからしょうがないと思う。だが、提示されたのは転生。違う存在に生まれ変わるということ。
「そう、転生。君が思っているように違う存在に生まれ変わることだよ。今回の君の死亡の原因はボクにある。だから今の記憶を持ったまま転生させることにしたんだけど、これは結局ボクの独りよがりだからね。
そこを君に決めて欲しいんだ。どうだろう? 君は……記憶を持ったまま転生するかい? それとも記憶を消して新しい人生を歩むかい?」
答えるまでもない問いだった。オレは正直遣り残したことが多い。特に3億。せっかく当たった宝くじが無かったことになってしまったのだ。遣り残したことは多すぎるくらいだ。
その遣り残しを消化するためにも、是非とも記憶はそのままにしてほしい。
「そうか、わかった。記憶は残ったままでいいんだね?」
「あぁ、残ったままで頼む」
彼は心が読める。だが、心が読めてもきちんと言葉で確認してくれる。それは彼の優しさなのだろうか。それとも罪悪感からの何かなのか。
「ふふ……君は意外と厳しいよね。そうだな……これは罪悪感の方かな。
まぁ……それじゃ続きだね。君の行く世界は元の世界じゃないんだ。輪廻の関係で転生するにしても元の世界にはならなくてね。もちろん行きたい世界も選ばせてあげられない。
だから、ボクの謝罪を受け取って欲しい」
「謝罪? もう謝ってはもらったけど?」
彼には何度も謝られた。どんな原因だったかはわからないが、彼の過失でオレは死んだ。それは謝られた。そしてオレはそれを受け入れた。もう終わったことだし、そんなに謝られても正直困る。
「違うよ。謝罪というのは物というのもおかしいけど、贈り物での謝罪ということだよ」
「贈り物……どんな?」
「君は死ぬ前に3億ほどの価値のある物を手に入れただろ? あれに代わるものを用意したんだ。どうだろうか? 受け取ってもらえるだろうか?」
なるほど。確かに死ぬちょっと前にオレは宝くじで3億ほど当たった。正確には一等当選者が何人いたのかわからないから3億なのかどうかはわからないけど、大体3億だと思う。
「うん、大体3億だね。君の行く世界での代わりのようなものだよ。ただ……お金ではないけど、君にとってはそれ以上に価値がきっとあるものだと思うよ」
「わかった。じゃぁそれを受け取るよ。ありがとう」
真っ白な彼はにっこりと笑い、オレもそれに釣られて微笑んだ。
「じゃぁ言いたいことはそれだけなんだ。特に何もないようなら、次の世界への転生準備に入るけど、何かあるかい?」
「いや、特にないよ。色々ありがとう」
答えは、微笑みで。
彼――創造神が手を翳した瞬間、全てが光に包まれた。そこでオレは聞きたいことを一つ思い出した。
「あーそうだ。オレが死んだ原因ってなに?」
光がオレの体を分解していく。全てを分解し、再構築する。これが転生なのだろう。
気にしても仕方が無い死亡原因だったが、思い出したのだから聞いてみたかった。
「あー……居眠りなんだ」
てへ☆ぺろと舌を出した白いやつは、呆れを通り越した死亡理由を吐き出してきやがった。
「なんだそりゃああああああああぁぁあっ」
絶叫が尾を引く中、オレの意識は光によって分解された。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そして今に至る。
うん、どうやら転生したからこうなったようだ。ならそれはそれで注意くらい欲しかった。
とりあえず、原因も判明した。ならば、やろうとしていたことを続行するのが、建設的な思考ってもんだろう。考えてもイラつくだけだ。
右手に持っている重量をまったく感じない、かなりの大きさの本を確認する。
革張りの重厚な装丁。厚さは800ページに届くだろう分厚さ。平均的なライトノベル2冊ちょい分くらいはありそうだ。
大きな鍵のようなもので閉じられており、普通にやっては開きそうもない。
鍵なんて貰った覚えは無いし、どうしたらいいのだろうか?
「そうだ。名前を付けるんだっけ?」
居眠りくそ野郎が言っていた。本に名前を付けて欲しいと。
名前をつけると鍵が開くとか? ファンタジーにありがちな設定を思い浮かべながら、ここは異世界だったっけと思い出す。
「んータイトルは……チュートリアルブック、か」
本の側面。タイトルが書かれている部分にはそう英語の筆記体で書かれていた。つまりこれは初心者教本なのだろう。異世界に転生させて、初心者教本を持たせられる。
詰まるところこれはゲームでいうというところの最序盤。ストーリー進行前の準備期間。チュートリアル中なのだろう。
「チュートリアル中か……ならおまえはチュートリアルからとってアルだ!
おまえを " アル " と命ずる!」
初心者教本を澄み切った青空に掲げ、叫ぶように――だが、可愛らしい声で色々と台無しのまま本に名前を付けた。
よくある設定。
よくある始まり。
よくあるオレTUEE物。
そしてよくある自分は幼女。
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