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婚約破棄の事前審査窓口を開設したところ、おやめになる方が続出しています

掲載日:2026/06/19

王宮式典局の朝は、整理券の補充から始まる。


「リタ、本日の予約は何件?」

「じ、十一件です、アシュフォード補佐官! 婚約破棄の事前審査が九件、相談が二件!」


 新人文官のリタが、緊張で直角になりながら報告してくる。よろしい。わたしは窓口の札を裏返した。


『婚約破棄事前審査窓口 受付中』


 ……我ながら、何度見ても妙な札である。


 ことの起こりは二年前、わたし――メルディナ・アシュフォード(旧姓ロウ)が起案した『卒業記念舞踏会における婚約破棄事案発生時対応要領』だ。舞踏会の断罪劇を「その場で真贋確認し、偽造なら申立人ごと処理する」と定めたあの内規は、第二王子殿下の一件で広く知られることになった。


 結果、舞踏会での断罪劇は激減した。めでたい。徹夜も減った。実にめでたい。


 ところが、である。


 貴族の皆様は断罪を諦めたのではなかった。審査で散るのを恐れて、決行前に聞きに来るようになったのだ。「この証拠で通るか」と。


 非公式の相談が月に二十件を超えた時点で、わたしは腹を括り、窓口を正式に開設する起案を上げた。決裁者はヴェイン・アシュフォード次長。わたしの上司で、二年前から夫でもある人は、起案書に署名しながらこう言った。


「『どうせ来るなら、列に並ばせて記録に残す』。実に君らしい文書だ」


 褒められている、と解釈している。


   ◇


「本日一件目の方、どうぞ」


 窓口に座ったのは、胸を張ったマルロー伯爵令息だった。


「婚約者の不貞の証拠を掴んだ! 来月の夜会で断罪する! 審査を頼む!」


「拝見します」


 提出されたのは、婚約者の令嬢が「夜会で他の男と親しげに踊っていた」とする目撃証言三通。わたしは様式に沿って確認する。


「証言者三名のお名前が、いずれもあなたの弟君と従弟殿ですね。利害関係者の証言は補強証拠が必要です。それから、問題の夜会の日付ですが――」


 わたしは王宮の行事記録をめくった。


「この日、該当の令嬢は王妃陛下の慈善茶会に出席しています。出席簿に署名がございます。夜会には物理的にいらっしゃいません」


「な……っ、では弟たちが見たのは」


「別のどなたかでしょう。以上により判定は『却下』。なお虚偽の証言で断罪を決行された場合、要領により公文書偽造及び名誉毀損として処理されます。お気をつけて」


 伯爵令息は青い顔で帰っていった。リタが小声で聞いてくる。


「あ、あの、補佐官。いまの方、弟さんに騙されていたのでは……」


「でしょうね。家督争いの匂いがします。ですから判定書の写しを一部、ご本人に持たせました。家に帰って、まず弟君と話し合う材料になるでしょう」


 窓口の仕事は、断罪を止めることではない。事実と思い込みを仕分けることだ。仕分けた先でどうするかは、ご本人の人生である。


   ◇


「二件目の方、どうぞ」


「婚約者が冷たい! 僕がどれだけ傷ついたか、ここに全部書いてある!」


 ばん、と置かれたのは、革装の立派な帳面だった。開く。


『四月三日。彼女は僕の新しい上着を褒めなかった。心が冷えた』

『四月十日。彼女は僕の詩の朗読の途中で咳をした。わざとだと思う』


「……子爵令息。これは証拠ではなく、あなたの日記です」


「じょ、情緒の被害記録だ!」


「情緒は要領の管轄外です。却下。なお僭越ながら一件、事実確認を。四月十日の朗読は、お相手のご令嬢が風邪の治りかけと知った上で開催されたものでは?」


「な、なぜそれを」


「ご令嬢のお宅の侍女から、相談が一件入っております。『うちのお嬢様の婚約者をどうにかしてほしい』と」


 相談二件のうち一件は、あなたの案件なのですよ、子爵令息。彼は日記を抱えて逃げるように帰った。あちらの婚約は、おそらく長くない。ご令嬢にとっては朗報である。


 三件目は侯爵家の三男だった。婚約者の「浪費」を断罪したいという。提出された帳簿を確認すると、ご令嬢の支出はドレス二着と書籍代のみ。一方、申請者ご本人の競馬の負けが、その八倍あった。


「却下です。ついでに申し上げると、この帳簿をご令嬢側が入手された場合、断罪されるのはあなたです。窓口としては、賭場より先に隣の神殿で懺悔されることをお勧めします」


 四件目、五件目、六件目。

 証拠が手紙の写しだけ(原本照合不能、却下)。証人が「精霊」(出廷不能、却下)。断罪の動機が「新しい恋人に頼まれた」(論外、却下。ついでに新しい恋人とやらの素性を調べたら、三つの家を渡り歩いた結婚詐欺の常習者だったので、衛兵局に回した)。


 昼休み、リタが疲れ切った顔で言った。


「補佐官……婚約破棄って、こんなに、その、『しょうもない』ものなんですか」


「リタ。逆です」


 わたしは午前の判定記録を綴じながら答えた。


「しょうもないものが、審査で全部ここで止まるようになったのです。二年前までは、いま帰っていった全員が、夜会の壇上であれをやっていました。楽団が止まり、料理が冷め、誰かの名誉が怪文書で傷つけられ、わたしが徹夜していました」


「……窓口、偉大ですね」


「ええ。紙とインク代だけで王国の夜会が守られています。費用対効果の鑑です」


   ◇


 午後、七件目から十件目までを順当に却下し(うち一件は審査の途中で申請者同士が窓口前で鉢合わせ、互いの婚約者を取り合っていたことが発覚して勝手に自滅した)、最後の予約者の名を呼んだ。


「十一件目の方、どうぞ」


 窓口に座ったのは、申請者の列で午後ずっと俯いていた、若い令嬢だった。


 断罪志願者は九割が男性で、令嬢の申請は珍しい。それに――手が、震えている。


「あの。わたくし、ファロン男爵家のシルヴィと申します。審査を、お願いしたいのです。その……わたくし自身の、婚約の破棄を」


 リタが息をのむ。わたしは様式を一枚、引き出しに戻した。代わりに白紙を出す。様式から始めてはいけない案件が、たまにある。


「お聞きします。最初から、ゆっくりで結構です」


 令嬢は、ぽつりぽつりと話した。相手は資産家のドゥラン商会長子息。男爵家の借金の肩代わりと引き換えの婚約であること。婚約後、相手の「指導」が始まったこと。友人との文通を禁じられ、外出に許可が要り、先月は人前で頭を下げさせられたこと。


「父は、商会に逆らえば家が終わると。わたくしが我慢すれば済むことだと。……でも、先日、街で噂を聞いたのです。あの方の前の婚約者の方も、同じ目に遭って、破談のときに莫大な違約金を求められたと。わたくし、怖くて。破棄を申し出たら、家ごと潰されるのではないかと。だから、その前に、こちらで」


 令嬢は、小さな包みを差し出した。


「証拠に、なるか分からないのですが。あの方から来た手紙を、全部、取ってあります。それから、外出を禁じられた日付の日記と、人前での件を見ていた方のお名前を」


 わたしは手紙の束を確認した。日付、署名、筆跡、一貫している。内容は――脅迫の構成要件を、丁寧になぞっていた。


「リタ。要領の別冊を」


「べ、別冊って、あの、まだ施行前の」


「本日施行します。決裁はわたしが、夫を捕まえて一刻以内に取ります」


 別冊『婚約関係における強要等事案の保護手続』。窓口を開けて半年、いつかこういう方が列に並ぶ日が来ると思って、起案だけしてあった。断罪したい人が九割並ぶ窓口にこそ、断罪から逃げたい人も、いつか並びに来る。


「シルヴィ様。審査結果を申し上げます。あなたの婚約破棄は――『適正』。証拠は十分です。ただし」


 わたしは令嬢の目を見て、はっきり申し上げた。


「これはあなたが壇上で戦う案件ではありません。脅迫と強要は刑事の領分、違約金条項の不当性は法務官の領分、男爵家の借金は王立金庫の救済制度の領分です。本件、式典局から各局へ正式に回付します。あなたのお名前で戦わせるのではなく、王国の手続きに戦わせます。それが手続きというものの、本来の使い道ですので」


 令嬢は、しばらく言葉を失っていた。それから、窓口に額がつくほど頭を下げて、泣いた。


 リタが、そっと茶を出した。新人は今朝より、ずっといい顔をしていた。


   ◇


 半年後の報告を、記録のために残しておく。


 ドゥラン商会長子息は強要罪で有罪、商会は王室御用達の指定を返上。違約金条項は法務官審査で無効。ファロン男爵家の債務は王立金庫の借り換え救済が認められた。シルヴィ嬢は現在、王立学院の文書科に通っておられる。先日窓口に菓子を持って現れ、「将来は式典局を志望します」と仰った。リタが泣いた。


 なお、窓口の判定実績は開設一年で申請百四十二件、適正三件、却下百三十九件。


 この数字を見た夫が、夕食の席でしみじみと言った。


「つまり世の断罪劇の九十八パーセントは、紙を一枚確認すれば消えるものだった、ということか」


「ええ。ですから次長、来年度の予算要求に書いてください。『当窓口は王国で最も安価な平和維持装置である』と」


「決裁しよう。――ところで補佐官。本日の夕食が君の好物ばかりである件について、起案者の意図を伺っても?」


「結婚記念日です。二年目の。……まさか、お忘れですか」


「忘れていない。証拠もある」


夫が懐から出したのは、小箱――ではなく、一枚の文書だった。『記念日計画書(三案併記、予算根拠付き)』。


 まったく、この人は。

 わたしは三案のうち一番上に決裁印を押しながら、思う。


 婚約も結婚も、紙切れ一枚だと人は言う。

 その通り。そして紙切れ一枚を、馬鹿にしてはいけないのである。

お読みいただきありがとうございました。『対応要領』シリーズ第二弾です(前作「卒業舞踏会での婚約破棄が多すぎるので、王宮式典局は対応要領を整備しました」も、単体で読めますのでよろしければ)。


制度を作ると、利用者は必ず制度の手前に列を作る――というお役所あるあるから生まれた話です。窓口の却下百三十九件には、それぞれのしょうもない人生があります。たまに本物が混ざるから、窓口仕事はやめられません。


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― 新着の感想 ―
きちんと、AI直接使用と表記して下さっていたので、納得して読むことができましたし、それを踏まえても面白かったです!
とても興味深く読ませていただきました。 独特の視点が面白かったです。 御役所仕事の極み、かな?
AI直接使用のタグが入ってから、作風が変わりました? 私は、今の方が好きです このシリーズも楽しみにしてます
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