けんけん墓
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
お墓。
誰もが生きているうち、死んでからもお世話になるべきもののひとつだろうな。
少し前まで私が感じていたのは、お墓というのは「つながり」を表すものであったと思う。法要を執り行うのみならず、お墓参りをすることで自分の知る故人、それよりも先に生きた先祖たちへ思いを馳せる場であったと。
しかし、メンタルや情緒に目を向けられるのは、根っこにゆとりがあってこそ。近年では墓じまいや永代供養などへ移行するケースも多く、昔ながらを守るというのは難しくなっている。
これから増えていくと見込まれているが、これまでも同じような流れの中で、変わっていったものは多いはずだ。お墓の土地スペースに困っていくだろうと、今の時点で思われているくらいだし、もはや土地という土地に何かしらの骨が埋まっている状態かもしれないな。
私の聞いたお墓にかんする話のひとつなのだが、聞いてみないか?
私のいとこが小さかったころ、子供たちの間で「けんけんぱ」が大流行していたという。
すでにごぞんじと思うが、地面に設置された複数の円に対し、片足でつく「けん」と両足でつく「ぱ」の組み合わせでリズムよく跳んでいく遊びだ。
自然と無数の円が成す列は、ひとつ丸と横に並んだふたつ丸の組み合わせが延々と続くことになる。そこへみんなが、円の並びに合わせて「けん、けん、ぱ、けん、ぱ……」といった具合に足をつきながら跳び続けていく。
いかにもシンプルで、はたから見ていると「なにが楽しいんだ?」と思う面もあるが、やる側になってみると察せられる部分がある。
いかに円の中へきれいに着地できるか、だ。幾度も跳んでいると、自分の跳び方のよからぬ部分が見えてくる。円からはみ出るとか、縁にかかるとかは論外だが、中心点から明らかにずれていたり、体重のかけ方がよろしくなかったりすると、頭の中がもやりとする。
しかも、進んでいかねばならないから、後戻りしてやり直すという真似は好まれない。そもそもしょっぱなの流れから、終わりに至るまでよどみなく進められてこそ良好なのであって、気になる部分だけやり直すというのは、けんけんぱを外れた何かなのだという。
いとこの熱弁もなかなかのものだったが、問題となるのはそのけんけんぱのロケーションだった。
今日は城址公園でけんけんぱをしよう。
珍しく早めに学校が終わったその日、クラスのひとりから提案されたことだったらしい。
けんけんぱ大流行中ということもあり、クラスの大半がそれに賛成。家にランドセルを置くや提案された城址公園へ、参加者が集合する。
今回のけんけんぱを提案した本人は、すでに現場へ到着しており、輪として使う無数のフラフープを用意していたらしい。
いとこがたどり着いたときには、すでに50あまりのフラフープが地面に並べられていたものの、そこからさらに倍する数が並べられ、合計で100を超える輪で構成された史上最長のけんけんぱ会場だったという。
もとより集まった面々はけんけんぱ大好き人間たちばかり。揚々と輪の並びに挑戦していく。
けん、ぱ、けん、けん、ぱ、けん、ぱ……。
輪の通りに足を運んでいくも、これまでにない長丁場ということもあり、一度できれいに跳びきれる者はいなかった。友達も進んでいく過程で、いくつかフラフープそのもにかすり、形を乱す失態をおかしている。
――次こそは、さらに完璧な「けんけんぱ」を披露してやる!
生来の負けん気もあって、いとこは二度、三度とけんけんぱへ挑んでいくものの、熱意で劣る面々は少しずつ離脱。一足先に帰ってしまったり、離れたところで別に地面へ輪を描いて、他のけんけんぱへ臨みはじめたりする者が出始めたらしい。
その仕掛け人たるクラスの子は、用意が終わってからは、近くのベンチに腰を下ろしてじっといとこたちがけんけんぱをしていくのを見守っていたのだとか。
二時間も経つころには、もはや大半がけんけんぱから離れている。
いとこを含めた数人の限られた面子は、相変わらずの芸術的な跳び方への探求か、純粋なけんけんぱへの熱中か。もはや何度目になるかわからない跳びを続けていた。
当時は冬場だったというが、それでもまだ夕方には早い時間帯。にもかかわらず陽はすでに赤みを帯び始め、公園全体を染め出していたのだとか。
「……ねえ、なんか湯気出ていない? 輪っかの中から」
渡り切った子のひとりがそうつぶやき、まだ跳んでいる最中だったいとこたちも、つい足元を見る。
一歩一歩の輪の中からごく小さくだが、白い湯気が立つ。踏みしめるたびに、わずかながら出る白い煙は、まるでヤカンが噴き出すもののよう。
「オッケー。これで大丈夫だ。みんな協力ありがとう」
ベンチに座っていた例の子が立ち上がると、さっと指を空へと向ける。いとこたち、残っていた者たちもその指の先を追った。
雲と呼ぶにはいささか低い、空と地上の間。その中空には湯気たちが消えることなくとどまっていたんだ。
いとこたちが目をぱちくりさせたのは、その湯気が馬にまたがる鎧武者の姿をしていたから。体のところどころに濃淡を見せるその騎馬武者は、糸で吊り上げられるかのように、微動せぬままスウーっと赤みがかった空の中へ吸い込まれていったらしい。
その子いわく、この城址公園は「たまりやすい」から時おり、こうして生きている人が意識的に「けんけんぱ」をして抜いてやらねばいけないのだという。
最後まで協力してくれた見返りとして、ひとり3本ほどアイスをおごってくれたらしいが、少なくともいとこの在学中に再び呼ばれることはなかったらしい。
あの湯気も、城址公園の土地でかつて散った者のものだろうか……と思う時はあると話していたね。




