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 昨夜はなかなか寝付けなかった。

 眩しすぎる光景が脳裏に焼きつき、何度も思い返される。

 懐かしい煌びやかな着物、初対面である自分に向けられた優しい声とまなざし。

 久しぶりに涙を流したからか、やや目が開けづらい気もしたが、なんとか自分を奮い立たせ、涅色の着物に袖を通した。

 いつもと変わり映えのないみすぼらしい装いに、まるで昨夜のことが幻のように感じる。

 しかし、文机の引き出しに仕舞われていたハンカチーフを一目見れば、嘘ではないことが一目瞭然だった。


 使用人とともに朝食の支度を終え、義家族が待つ部屋に運んでいると、何やら盛り上がっている。

 襖を隔てても聞こえてくる美夜の声は、うきうきと弾んでいた。


「お父さま!それは本当なの?本当に九条さまがいらしたの?」


 顔を見なくても分かるくらいの明るい声色。きっと、目を輝かせ義父に聞いているのだろう。


「あぁ、昨晩いらしてな」


 和花には決して向けられることのない優しい義父の声。こんなにも穏やかな声が出るのかと疑ってしまう。


「あの名家の九条さまがねぇ……本当に驚きだわ」


「やっぱり素敵な殿方でしたか?私もお会いしたかったわ」


「そうだな。背も高くてなかなかの好青年だったな」


 三人の話に水を差さないように、和花は静かに入室し、机に朝食を並べた。


「またいらっしゃったりしないの?お父さま」


「あぁ、着物のお直しをご希望されたから二週間後に取りに来る予定だ」


「え!そしたら私その時にお会いしてみたいわ!」


「素敵な方ならきっと美夜にお似合いね」


「まぁ!お母さまったら!気が早いわよ」


 どんどん話が進んでいく。

 確かに、美夜の容姿は美しい。焦茶色の髪は艶やかで、目も人形のように大きくぱっちりしている。色白の肌に、すぐに折れてしまいそうな儚い雰囲気の美人。昨日会った九条蒼弥の隣に立てば、お互いを引き立てられる容姿端麗の二人と言えるだろう。

 しかし、容姿と中身は別物だ。

 いくら外見が美しくても、内面が腐っていたら台無しだ。ここで暮らしてきて和花はそれをひしひしと実感している。


「おい」


 声をかけられた和花は、手を止め義父を見る。


「は、はい……」


「昨夜の九条さまからの着物、お前が手直ししろ」


「……私が、ですか?」 


「なんだ?不満か?」


 不満というわけではない。

 ただ、あの着物と向き合うことが少々怖く感じた。

 あの着物を目に入れ、触れると自分の気持ちが溢れ出てきてしまう。

 寂しさ、悲しさ、嬉しさ……

 この家にいても傷つかないように、苦しくならないようにと心を鈍らせているのに、あの着物一つで自分の心が乱れていくことが予想できる。

 だって、昨夜の束の間の出来事でさえ、べったりと脳裏に焼きついているのだから。


「い、いえ。やらせていただきます」


 そうは思っても、義父からの言いつけを断ることはできない。和花は人形のように「はい」としか言えないのだ。


「名家、九条さまの私物だからな。丁寧に扱えよ。失敗は許さないからな」


 普段より熱のこもった言い方に、九条家がどれだけ高貴な方なのかが分かる。


「かしこまりました……あの、お義父さま」


 しん、と静まり返り、三人の視線が和花に向く。


「……お直し用の糸を買いに外に出てもよろしいでしょうか?」


 義父に何かをお願いすることなど滅多となく、声が震えた。

 けれど今日は、言わなければどうにもならなかった。

 昨日の着物を直している途中、糸を全て使い切ってしまったのだ。


 和花は基本的に加納宅と呉服屋の往復しかしない。出掛けたとしても物を買うお金もないし、そもそも出掛けるために義父母に許可を取らなくてはならないから自然と足が遠のいた。

 しかし、こればかりは行かせてもらわないと仕事にならない。


「ふん、勝手にしろ」


 自分で仕事を頼んでおいて、なんて他人事な言葉だろう。

 まぁ、買いに行ける許可をもらえたならどうでもいいが。 


「ありがとうございます」 


 立ち去る背中に美夜の高い声が聞こえた。


「お義姉さま、そんなみっともない姿でお出かけするの?」 


 美夜につられて義母も馬鹿にしたように笑う。 


「本当にねぇ、恥ずかしくないのかしら」 


 嘲笑する二人。そんな言葉は聞こえなかったふりをして、和花は支度に取り掛かるのだった。

 

 

 

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