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針仕事を始めてどのくらい経っただろう。
ここ一年で起きた出来事を思い出しながら、着物に一針ずつ針を通していく。
鮮やかな模様が描かれた着物は、和花にとってとても眩しく見える。
この着物の柄のように絵を描きたいと願っても、それは叶わぬ夢なのだ。
爪が黒いまま絵を描いても悲惨な絵しか生まれないだろう。そんな絵を自らの手で生み出したくもない。
「和花さん、いらっしゃいますか?」
控えめに戸を叩く音が聞こえ、和花は手を止めた。
「はい」
そっと開かれた戸から顔を覗かせたのは、優しい垂れ目が印象的な、加納家の使用人の由紀だった。
「和花さん、お昼食べましたか?」
「いえ」
「それでしたら、こちらをどうぞ」
由紀が持つお盆の上には、湯気が沸き立つ湯呑みと形のいいおにぎりが置かれていた。
由紀は和花が加納家に来たばかりの時から、困っていると助けてくれる使用人である。
和花より少し年上の由紀は、この家で唯一和花のことを気にかけてくれる存在だった。
当たり前だが、和花の食事は用意されない。余った食材をもらい、自分で料理しなくてはならないが、日によっては余りの食材がなく、食事にありつけない時もある。
そんな時に、そっと手を差し伸べてくれるのが由紀だった。
気持ちは嬉しい。だが、和花と関わってもろくなことがない。
義家族に優しくしていることが見つかれば、由紀だってどんな罰を受けるか分からない。
だから自分と関わりを持たないように、そっけなく関わっているつもりだが、どういう訳か由紀は懲りずに面倒を見てくれる。
「握り立てなので美味しいと思いますよ。ゆっくり召し上がって下さいね」
「……すみません、ありがとうございます」
ここでにこりと笑って礼を言えればどれだけ良いか。だが、和花にはもう笑う力も残っていないのだ。
「……これ全て和花さんが繕われたのですか?」
「はい」
由紀の視線は、綺麗に畳まれた着物に向いていた。ほつれを直し、丁寧に畳まれて積み上げられた着物の山を。
それから、和花の手元に置かれた縫いかけの着物を見る。
「まぁ、和花さんは手先が器用なんですね。縫い目が揃っていて美しいです」
和花が縫った跡を見て由紀は目を見開く。
「ありがとうございます」
和花が機械的に礼を告げると、由紀は悲しそうな顔をした。
「和花さん、あまり無理をされてはいけませんよ。……今朝も奥様から理不尽なことを言われておりましたよね?」
無理とはなんだろう。
理不尽とはなんだろう。
考える力ことももう疲れた。
色々なことを考えて疲れるくらいなら、考えることを放棄して、無の感情のまま受け入れる方が楽である。
「お気遣いありがとうございます。私は大丈夫ですから」
淡々と礼を言い、着物に向き直る和花に、由紀の表情がさらに曇った。
しかし、由紀のその表情に和花は気づくことはなかった。




