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 何度も何度も手紙を読み直す。

 父のあたたかい言葉に涙が溢れて止まらない。

 かすみは、優しく和花の背を撫でた。


「あなたのお父さまは、大切な人……あなたへの贈り物を私に託したの。娘に何かあった時にこれを渡して欲しい、と。だから私は、あなたを探していたのよ。……お父さまは何かを自分の運命を知っていたのかもしれないわね」


 かすみの言葉は、和花の涙に追い打ちをかけた。

 そういえば、和花はこの着物の完成形はまだ見ていなかったのだ。なんせ、父が亡くなる二日前にできたものだったから。

 完成したが、すぐにお客さまに渡してしまったと事後報告された。とても残念だったが、こんな形でまた会えるとは思っていなかった。

 それに自分への父の思いが、こんなに詰まっているとは想像もしなかった。

 ふと昔のことを思い出す。それは、和花が初めて着物に絵を描いた幼い日の頃を。


 『お父さまは、どんな柄が好きなの?私、お父さまが好きなものを描いてあげるわ!』


『ほんとうかい?そうだなぁ。わたしは梅が好きなんだ』


『どうして?』


『梅の花は厳しい冬を乗り越えて春の初めに咲く花で、生命力の象徴とされているんだ。そして、春の訪れを告げる花とも言われるくらい縁起が良い。……どんなに冷たい環境でも必死に生きて、あたたかい春を、希望を待てる人でいたいな。もちろん、和花もそう思っていて欲しいし』


 ――どんなに辛くて、どんなに悲しくても梅の花のように強く美しく凛としているんだ。そうすればいつか、きっとあたたかい春がやってくるのだから。


 父は何も変わっていなかった。こんなにも和花を想ってくれていた。

 梅の花々は明るい色を放っている。父の言葉を肯定するように明るく、華やかに。それを見ていると、自然と気持ちが落ち着き、温かな気持ちになれた。

 やはり父の描く着物はすごい。そして、父の言っていることはあながち間違っていないのだと和花は思った。


 昨年一年は本当に冬のような日々だった。冷たさに怯え、終わりの見えない辛い日々に逃げ出したくなったこともある。美しさや凛とした姿勢は皆無だったかもしれないが、心だけは強く持とうと自分に言い聞かせていた。

 ここで折れてはいけない、負けてはいけない、と。辛い現実に、梅の花の話を思い出す余裕はなかったけれど、きっと心が折れなかったのは、父の言葉がお守りのように胸に沁みていたからかもしれない。

 そしたら本当に、和花に救いの手を伸ばしてくれる人はいて、今、和花は春へ向かいつつあるのだ。


「……父の着物を大切に持っていて下さって、ありがとう、ございます」


 和花は深々と頭を下げた。


「和花さん」


 かすみに呼びかけられ、和花はそっと顔を上げた。穏やかな表情のかすみと視線がぶつかる。


「蒼弥から色々お話を聞いていたわ。今まで良く頑張ったわね。偉いわ」


「……」


「大丈夫。もう寒い冬が来ることはない。いいえ、私たちがそうさせないし、もし誤って冬が来てしまったら、私や蒼弥が春に戻してあげる。だから私たちのそばにいてね」


 かすみの言葉に一度止まりかけた涙がほろほろと出てくる。 


 ここはもう、あたたかい春だ。

 冷たさなんて何も感じない、あたたかく思いやりあふれる春。

 和花を見つめるかすみと蒼弥の薄茶色の瞳からは、和花を想う優しさが溢れ出していた。


「それにね、私はあなたのことを知っていたのよ」


「……そう、だったのですか……?」


「えぇ。藤崎屋さんに行った時に、お店の奥で着物に絵をつけているあなたの横顔を何度かみたことがあるわ。真剣に着物と向き合っていらして、とても素敵だと思っていたわ」


「……すみません、知りませんでした」


「あぁ!いいのよ!私が勝手に眺めていただけだから。でもね、私とても嬉しいのよ。素敵だなと思っていたあなたが、私の娘になってくれるのだから。……その着物もとても似合うわ」


 そう言われ、和花は自分の着物を改めて見た。似合うかどうかは別として、繊細な模様がやはり美しい手毬柄の着物。


「私がこの着物をあなたに渡したのは意味があるのよ。手毬柄の着物は、どのようなことも丸く収まり、弾むような幸せが続くように。それから、丸い形から円満な家庭を築く。これから一緒に築いていきましょうね」


 かすみの言葉は和花の胸を強く打った。あたたかい涙が頬を濡らす。

 もちろん、和花のことを褒めてくれ、受け入れてくれるかすみの優しさに胸が熱くなったが、それ以上に、父と母が作った物に再び会えたこと、そしてもう存在の無い藤崎屋の物をこんなにも大切にしてくれる人がいたことがたまらなく嬉しかった。

 お礼を言いたいが、涙が邪魔をして言葉が出てこない。部屋には和花の鼻をすする音だけが響いた。蒼弥もかすみもそれを咎めることなく、優しい眼差しで和花を見守っている。


「和花さん」


 和花の背に手を当てたかすみは、泣きじゃくる和花の顔を覗き込んだ。


「……ありがとう、ございます……ありがとうございます……」


 途切れ途切れに感謝の言葉を繰り返す。今の和花にはこれが精一杯だった。

 背中をさする優しい手、言葉、二人を見守る蒼弥の柔らかい目つき。

 今までの不安がどんどん薄れていき、鮮やかな色が広がっていく。それはあたたかくて、優しくて、尊い気持ち。


「ここにある物はあなたの物でもあるわ。いつでも好きな時に使ってちょうだいね」


「……はい!」


 久しぶりに感じた幸せの感覚。

 身体中がほかほかと体温が上がるのが分かる。その中でも特に、右手に熱が集中している感じがした。

 ここには、かつて過ごした藤崎家のようなぬくもりがある。

 和花の口角は自然と上がる。その笑みは鮮やかに咲く花のようだった。




 屋敷からの帰り道。

 和花は窓の外を眺めていた。

 行きの車内では、緊張から景色を楽しむ余裕もなかったが、今は、流れゆく街の灯りを綺麗だと思えるほど、心が落ち着いていた。

 自分の膝元を見ると、華やかな梅の花が目に入る。人差し指でそっと赤色の梅に触れてみる。まだ信じられないような感覚に陥ったが、つるりとした絹の感触は、紛れもない現実だと自分に言い聞かせてくれた。


 あの後、ぜひ着てみて欲しいとかすみにせがまれ、梅柄の着物に袖を通したのだ。和花の色白な肌に、淡い水色はよく映え、上品さが増した気がした。


(お父さまが私に残してくれたお着物……とても嬉しい)


 自然と口元が緩んだ。

 隣から視線を感じ、顔を上げると、蒼弥と目が合った。蒼弥はとても穏やかな顔をしている。


「和花」


「はい」


「とても柔らかい良い顔をされていますね。それに、母と打ち解けられてよかったです」


「お義母さまは、とても素敵な方ですね。私も、お義母さんのようになれるよう頑張ります」


「ふふ、和花はそのままでも十分に素敵です。これ以上魅力的にならないでください」


「そ、そんなことは……!」


 必死に返す和花に、蒼弥は吹き出した。頬を若干赤らめながらも、和花もつられて笑みが溢れた。

 車内には二人の笑い声が響く。


「あの、蒼弥さん」


 ひとしきり笑い、落ち着くと、和花は自分の着物を見つめた。


「色々とありがとうございます。……蒼弥さんは知っていたのですか?この着物のこと」


 膝元に置かれた和花の手に力が入った。着物に少し皺が寄る。

 ここにきてまた不安になったのだ。

 蒼弥との出会いは偶然なのか、それとも意図的なのか。

 和花の父との約束を果たすために和花を探し、偶然を装ったのではないか。

 本当は蒼弥には違う道が、他の人と婚約する予定でもあったのではないか。

 考えてもどうしようもないことなのに、一度考え始めるとキリがない。

 しかし、和花の負の考えは、蒼弥の大きな手によって止められた。

 和花の手に、蒼弥の手が重なる。和花は思わず顔を上げた。


「確かに私は、母からこのことを聞いていました」


「……そう、ですか」


「ですが、あなたとの出会いは本当に偶然です。あの日、私はたまたま通り道にあった加納屋に行ったまでです」


「……」


「そして私は、自らの意思で、和花と共に生きることを選びました。だからなにも不安がらないでください」


「……蒼弥さん」


 今日何度目か分からない涙で視界がぼやける。

 加納家では、どんなに辛くても涙を出さないようにしていたのに、蒼弥と関わるようになってからというもの、こんなにも簡単に涙が流れてしまうのはなぜだろう。

 いや、そんなこと簡単だ。

 蒼弥のこの優しい目が、涙を流す和花の頬を撫でるあたたかい手が、どんな自分でも受け入れ、手を差し伸べてくれると分かっているからに違いない。

 蒼弥の隣だと安心するのだ。だから、素直な感情を出せる。

 和花は頬に添えられた蒼弥の手に、自分の手をそっと重ねた。そして、ふっと口元を緩める。


「蒼弥さん、わたし、あなたに出会えてとても幸せです」


「和花……」


 にこやかに微笑み本音を告げた和花を見て、蒼弥は目を丸くした。そして、柔らかく和花を引き寄せる。

 蒼弥の胸の中はあたたかくて心地良い。嗅ぎ慣れつつある香の匂いと、規則正しく聞こえてくる鼓動は安心感の源そのもの。


「私の方こそ、あなたに会えて幸せです」


 街灯の柔らかい光が二人を包み込む。

 あたたかい居場所。

 この人のそばにいたい、この人と共に生きたい。その思いが強く大きくなるのだった。

 

 

 

 

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