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象牙色の手毬





 

 加納家から少し離れた所に停まっていた車に二人は乗り込んだ。


「出してください」


「承知致しました」


 乗るなりすぐに発進させるよう蒼弥は運転手の男に命じると、車は夜の道をゆっくり走り出した。

 和花はぐったり背もたれに寄りかかり、窓の外を眺めていた。


「和花、大丈夫ですか?」


「はい……」


 心配そうに顔を覗き込まれるが、今はときめいている余裕すらない。そのくらい和花は疲れ切っていた。


 ぼんやりと窓の外を眺める。

 外はすっかり日が沈み、家々や街頭の明かりがぽつぽつと灯る。帝都の夜景が静かに広がっていた。

 その景色を眺めながら、和花は今日一日を振り返る。

 心が一つでは足りないほどころころと心情が変わり、疲労困憊だった。

 身体にはさっきまでいた加納屋の空気が今もまとわりついている気がする。

 冷たい視線、恐ろしい声、重々しい圧……

 まだ胸の奥がざわついていた。


「もう、大丈夫です。何も心配はいりません」


 和花の心を読んだのか、蒼弥は前を見据えながらきっぱり言い切った。彼の声はよく耳に馴染む。

 そっと空いていた左手がぬくもりに包まれた。蒼弥の大きい手は温かく、とても安心する。


「ありがとう……ございます……」


 その声が揺れると同時に、和花の瞼が自然と落ちていく。

 彼の声と車の心地よい揺れに包まれて、いつしか和花は静かに眠りの中に誘われていった。





 気づくと隣からはすうすうと規則正しい寝息が聞こえてきた。

 目を閉じ、静かに呼吸を繰り返すその横顔は、少し肩の荷が下りたかのような表情で、蒼弥は安堵のため息を一つ吐いた。

 和花の前ではなんとか怒りを鎮めたが、今でもふと気を抜くと怒りに支配されてしまいそうだ。


 蒼弥が加納家に着いた時、庭先の光景は異様だった。

 辺りは焼き焦げた匂いが立ち込め、黒い残骸が広がっていた。そこで小さくうずくまり泣きじゃくる和花。

 どう見てもおかしい光景なはずなのに、和花の周りには人一人としていない。和花が見えていないように部屋には灯りがつき、人の話し声もかすかに聞こえた。

 それなのに、誰も和花に手を差し伸べようとしない加納家の人々に、怒りで身体が震えた。

 繋がれた手に力を込める。

 もう離さない。何があっても守ってみせる。

 そんなことを考えていると、見慣れた大きな屋敷の前に車が止められた。

 自分しか住んでいないというのに並外れた大きさの屋敷。

 自分の家だというのに隣に彼女がいるだけでどこか別の場所に来たような気持ちになった。

 ぐっすり寝ている和花を起こさないようにそっと抱き上げる。

 小さくて軽い 和花の身体は蒼弥の大きな腕の中にすっぽり収まった。


 車から出ると、夜風がほんの少し吹き込む。眠ったままの彼女は微かに眉を寄せた。それすらも無性に愛おしく感じ、思わずふっと笑みが零れた。


「あら?蒼弥様?おかえりなさいませ」


 大きな庭を通過し、玄関までたどり着くと中から初老の女性が顔をのぞかせた。


「本日はお帰りにならないご予定では……?あら?そちらは……」


 扉を大きく開き、蒼弥を中へ誘う女性――蒼弥専属の使用人、カナは蒼弥の手元を見て目が点になった。


 カナは蒼弥にとって母のような祖母のような存在である。病弱で寝たきりだった母に代わって幼い頃から色々面倒を見てくれた。

 六十路を過ぎているが、それを感じさせない若々しさとはつらつさがある。


「あとで説明します。布団を用意して頂いてもよろしいですか?」


「分かりました。少々お待ちくださいね」


「ありがとうございます」


 いそいそと部屋に戻るカナに礼を告げながらも、視線は和花にある。振動や人の声で目を覚まさないところを見ると、余程疲れていたのだろう。


(早く彼女を苦しめるものを取り除きたい)


 そんなことを考えながら、ゆっくりと足を進めると畳敷きの和室に丁寧に布団が敷かれていた。


 客室用の和室は余計なものは置いておらずすっきりしている。さらに普段からカナが念入りに掃除をしているのでチリ一つ見当たらない。


「こちらのお部屋でよろしかったでしょうか?」


「大丈夫です。ありがとうございます」


「何かありましたらお呼びください」


 手短に用件だけ伝えるとカナはそっと襖を閉めた。蒼弥は少々名残惜しさを感じながらもそっと布団に和花を横たわらせる。


「……」


 掛け布団を整え、ふぅと一息ついた蒼弥は寝ている和花の顔をまじまじと見つめた。

 白い肌に長いまつげと薄桃色の形の良い唇……

 元はいいが、日頃の精神的な疲れで顔はやつれてみえる。


「よく頑張りましたね」


 和花の頭にそっと触れる。想像通りの滑らかな髪に動けなくなった。

 とりあえず彼女をあの場から切り離すことはできた。だが、まだ全てが終わったわけではない。


(必ずあなたが安心して過ごせるようにしてみせます)


 ゆっくりと立ち上がり、去り際にもう一度彼女の顔を見た。心なしか笑っているようにも見える。

 安心しているこの寝顔をもう二度と曇らせたりはしない。そう強く自分に誓いながら、蒼弥は部屋を後にした。

 




「随分とお疲れのようですね」


 椅子に座り天を仰ぐ蒼弥を見て、カナはお茶を差し出した。


「ありがとうございます」


「とてもおきれいな方でしたね」


 唐突なカナの言葉に、蒼弥をは思わず飲んでいたお茶を吹き出した。


「な、なにを突然……」


「あらあら」と言いながら零れたお茶を拭き取るカナの顔には笑みが浮かんでいた。


「蒼弥さまが女性の方を連れて帰るなんて驚きましたわ。これは奥様にご報告しないいといけませんね」


「母には私から伝えます。カナさん」


「はい?」


 蒼弥の声色が変わったことに気付いたカナは手を止め、蒼弥を見た。

 いつになく真剣な表情に何事かと構える。


「私は彼女を、藤崎和花さんを婚約者として迎え入れ、いずれは結婚したいと思っております」


「まぁ……」


 突然の報告にカナは口元に手を当て固まった。


「和花は、今までとても辛い思いをされてきました。だから、気にかけてあげて欲しいのです」


「あんなお綺麗な方が……それは心が痛みますわね……もちろんです、蒼弥さま。ゆっくり彼女の心を温めてあげましょうね」


「ありがとうございます、カナさん」


 和やかな雰囲気になった所に電話の音が響いた。


「こんな時間に……?」


「誰でしょう?私が出ます」


 急ぎ電話を取ると聞き馴染みのある声が聞こえた。


「あ、九条さんですか?」


 締まりのない声に蒼弥の気が緩んだ。


「冴木さん、どうかしましたか?」


「家にいるということは……加納屋から帰ってきたんですか?彼女は?」


「えぇ。無事ですよ」


「良かったー!」


 冴木はまだ宮廷にいるのだろう。電話越しに後ろから小山や他の部下たちの声が漏れている。


「それより何かありましたか?」


「あぁ、忘れてたあ」と相変わらずだったが、ふと声色を変え部下らしく報告した。


「加納家及び加納屋の情報、証拠が揃いました」


「そうですか。分かりました」


 蒼弥は一呼吸おくと引き締まった声で言い放った。


「もう一つ調べたいことがありますので、それが終わり次第、加納屋に立ち入りましょう」  


「承知致しました」


 もう少しで準備が全て整う。

 全てを終わらせる。もう、彼女を苦しませるものは何も残さない。

 

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