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なにかをしたいとは思うが、どうしたら感謝の気持ちを伝えられるかよく分からない。
一応、手紙のやり取りの中で毎回感謝の気持ちは述べているが、それだけでは足りない気がする。
贈り物をする案も自分の中で浮上したが、蒼弥になにを贈れば良いのかよく分からなかった。
これまで、異性に贈り物をしたことなどない。だから、なにが喜ばれるのかが分からない。
それに、蒼弥は和花とは雲泥の差の華やかな世界に住む人だ。和花が贈るものよりも遥かに良い物は持っているはず。それなのに、自分なんかが物を贈って良いのか頭を悩ませた。
一人で解決が難しかった和花は、ある人に聞いてみることにし、部屋を飛び出した。
「由紀さん……!」
庭先で洗濯をしていた由紀は、大きな和花の声に目を丸くして手を止めた。
「和花さん?どうされました?」
和花が自ら声をかけてくるなんて珍しい。由紀は何事かと急いで手を止め、和花に駆け寄った。
「あ、あの……!」
「どうかされましたか?」
「えっと……」
「はい」
「あの、その……贈り物をしたい方がいるのですが……」
「まぁ!なんて素敵なんでしょう!」
全てを言い終わる前に、由紀は手を頬に当て、明るい声色を浮かべた。
「どなたにどんな物を贈るのですか?」
「お相手は九条さまで……」
「あら!確か先日お会いした時にお話されていましたもんねぇ!素敵ですわ和花さん!」
まるで少女のように由紀は一人盛り上がっていた。
「ですが、なにを贈れば良いのか分からなくて……」
和花の話に興味津々な由紀は、洗濯することも忘れ、縁側に腰を下ろして考え込んだ。
自分のために一生懸命考えてくれる由紀の行動が嬉しかった。
「そうですね……」と唸っていた由紀は、やがてにっこりと微笑み、和花に自分の隣に座るよう合図した。
「大丈夫です。誰も見ていませんから」
躊躇いがちに座ると由紀は話を切り出した。
「和花さん、九条さまへの贈り物、とても素敵だと思います。贈り物の内容ですが、きっと九条さまはなにを頂いても嬉しいと思います」
「……そういうものなのでしょうか?」
「はい。別に高価な物にこだわる必要はありません。大切なのは気持ちですよ」
「……気持ち」
「はい。和花さんが九条さまのことを思って用意した物には価値があります。それはどんなに高価な優れた物にも叶わないのです」
「……」
由紀の言葉がすとん、と和花の中に落ちてくる。
「例えば、普段お使いになりそうな物をご用意するのも良いと思いますよ。道中財布や巾着はいくつ持っていても助かりますからね」
蒼弥が普段から使えそうな物。
和花は頭の中で蒼弥の姿を思い浮かべた。
「あ」
和花が最も印象に残っていたのは、初めて会ったあの日、初対面にも関わらず優しく、だけれども心配そうな顔でハンカチーフを差し出してくれた姿だった。
今も大切にとってある桜柄のハンカチーフは、和花の心を動かすきっかけになってくれた物だと言っても過言ではない。
「……ハンカチーフなんて、どうでしょうか?」
ぽっと出た和花の言葉に、由紀は大きく頷いた。
「ハンカチーフであれば常にお持ちになりますもんね!良いと思いますよ!その案……!」
由紀はまるで自分のことのように喜んで賛成してくれる。
「由紀さん、一緒に買い物に付き合って頂いてもよろしいでしょうか?……あ、でも……」
由紀に褒められて嬉しくなった和花の声がやや弾んだが、それも一瞬だった。
脳裏に義父母の姿が映し出され、外出は無理だと悟る。
「……せっかくの提案、とても嬉しいのですが、お義父さまが出掛けることを許可してくれるとは思いませんし……」
昂っていた感情が、一気に急降下していった。途端に顔を歪ませる。
(やはり私が誰かに贈り物をするのは、難しいのかしら……)
自分にはこんなにも自由がないのか。ここにきて初めてそう思った。情けなくてどうしようもない。爪が食い込むほど、手を固く握りしめた。
「和花さん、買いに行かなくても大丈夫ですよ」
「えっ」
隣に座る由紀は、優しく和花の肩に手をのせた。それはとてもあたたかい手。
「なにも買わなくても思いは伝えられます。そうですね、例えばハンカチーフならお好きな布を縫っても作れますし、無地の布に絵を入れることもできます。そうやって手作りすることで、さらに和花さんの気持ちを込めることができると思います。いいえ、お店で買うよりも、もっともっと気持ちが伝わると思います!」
「絵を入れる」何気ない由紀の言葉は、和花の心を振動させた。
さあっと風が吹き、今まで抱えていた不安や心配が一気に風と共に飛んでいき、和花の中で眠っていた心の花弁が、ゆっくりと開く。
手袋で隠れている右手が、熱く熱を持った気がした。
忘れていた。
思いを込めて絵を描けば、相手にもきっと伝わるということを。
これまでの人生、和花なりに着る人への深い思いを込めて、着物を仕立ててきたはずだ。
それなのに、父が亡くなり、ここに来てからは、そんな気持ちを思い出す余裕もなかった。
ただ生きることに精一杯で、筆を取るたびに心が凍りついてしまっていた。
けれど今、胸の奥に灯がともる。
誰かのために描きたいと思える――久しぶりの感覚が湧き上がる。
蒼弥に伝えたい。
細く暗い、足取りが悪い一本道を頼りなく歩いていた自分に、柔らかな光で足元を照らしてくれた優しい蒼弥に。
感謝の気持ちを伝えたい――
「由紀さん、私描いてみます」
「え?」
「ハンカチーフに絵を描いてみます。ありがとうございました」
和花は勢いよく立ち上がると深々と頭を下げた。
今なら、できるかもしれない。
久しぶりに絵が描けるかもしれない。
蒼弥への思いが膨れ上がっている今の和花は、なんでもできる気がした。




