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 蒼弥は内心焦っていた。

 理由は明確。簪を渡した途端、和花の目が潤んでいったから。

 良かれと思って渡した簪。しかし、意匠が素敵だからとか、和花に似合うからとかそういう簡単な理由でこの黄色い簪を用意したのではない。


(やり過ぎてしまったか……?驚かせてしまったかもしれない)


 和花を思ってこれを用意したつもりだったが、逆効果だったかもしれない。

 だが、後悔してももう遅いし、前言撤回するのは難しい。申し訳なさから和花を見ることができなかった。

 あたたかく吹いていた春風が、途端に冷えた気がした。


「和花さん、ご気分を悪くさせてしまいすみま――っ!」


 意を決して視線を和花に戻し、謝罪を口にした時、蒼弥は信じがたい光景に目を大きく見開いた。


 和花がほんのり笑っている。

 口元が控えめに、だけど確かに弧を描いていた。

 初めて見た和花の笑顔。目には涙を浮かべているが、それすらも美しい。

 瞬きするのも忘れ、蒼弥はただただ見入っていた。


「……ありがとうございます。九条さま」


 可愛らしい唇がゆっくりと動き、感謝の言葉を述べられる。我に返った蒼弥は、嬉しさを押し込めながら平然と尋ねた。


「喜んで頂けて良かったです。……もし間違っていたらすみません。和花さん、その簪見たことがあるのではないでしょうか?」


「え?」


 和花は一瞬驚いた顔をしたが、こくんと頷いた。


「やはり、そうでしたか……」


 一人納得する蒼弥に、和花は首を傾げた。


「これは私の母が呉服屋、藤崎屋さんでかなり前に購入したものなんです」


「藤崎屋」の名を聞き、和花の身体はぴくりと動いた。それを蒼弥は見逃さなかった。


(やはり、私の読みは当たっていたということか)


 母が贔屓にしていた呉服屋「藤崎屋」

 一年ほど前に唐突に店を閉めてしまい所在が分からなくなったが、ここにきて点と点が繋がった。

 藤崎屋で購入した着物を目にした途端、涙を流した娘。そしてその娘の苗字が店名と同じだということ。

 あることを予測した蒼弥は、藤崎屋、それから藤崎家のことを調べた。


 店主は一年以上前に死亡。その妻の詳細はよく分からなかったが、一人、娘がいることが分かった。

 それがきっと和花なのだ。まだ確信を持てないが。


 だから一か八か、それを確かめるためにも藤崎屋で売っていた物を母に譲ってもらったのだ。きっと聞いても素直に答えないであろう和花のことを考えて。


「これは、この簪は……私の父と母が作った物なんです」


 和花は懐かしむように簪を見つめ呟いた。


「……私の両親は、九条さまのお母さまがご贔屓にして下さった、藤崎屋を営んでいました。この簪は、父が和布に模様をつけ、母が折り合わせた物なのです」


「……」


 静かに耳を傾けることしかできなかった。話が進むたび、和花はどんどん声を詰まらせていく。


「……一年前にお店を畳んでしまってから、お店の物は私の手元に一切なくて……父と母を感じられる物を頂けてっ……とても、嬉しいですっ……」


 彼女はどれだけ我慢をしていたのだろう。

 蒼弥は胸が苦しくなった。

 だが、涙を流しながらも口元を綻ばせ、こちらを見つめる和花が、無性に愛おしく感じた。

 こんな気持ち初めてで戸惑ってしまう。

 ただ、彼女の笑った顔をもっと見たい。苦しみから解放してあげたい。そんな思いが蒼弥の心を占める。


 憶測だが、この加納家で暮らす中で、あまり良い顔をされていないのだろう。

 粗末な着物に水仕事ばかりしているような手、やつれた顔つき。

 和花を救いたいと思った。


「和花さん、これはお守りです」


「……お守り?」


「はい。きっとお父さまとお母さまが和花さんのことを守ってくれると思いますよ」


 お守りだなんて子どもじみた話、この場の気休めかもしれない。しかし、少しでもあたたかい気持ちになって欲しいと願いを込めて、自分が少しでも力になれたら、そんな思いを込めてそう告げた。


「ふふ、ありがとうございます」


 口元に手を当てて笑う和花は今まで見たどの女性よりも美しく、魅力的だった。


「また近々着物のお直しをお願いします。その時はまた、和花さんが喜ぶ物をお持ちしますから」


「お待ちしております、九条さま」


 指先で涙を拭った和花は、にっこりと笑った。

 和花の手の中の簪は、まるで二人を見守るように、光を放ち美しく輝いている。

 そんな穏やかな二人のやりとりを、驚いた表情で影から見ている人がいた。




  ◇◇◇




(愛おしい……か) 


 先程の光景が頭から離れない。

 初めて見た彼女の笑顔。

 まるで小さな花が咲き始めたように、うっすらではあったが、あれは確実に口角が上がっていた。

 上品さ溢れる笑みをもっと見たいと思った。


「あの、九条さま……!」 


 店を出て、悶々としながら歩いていた蒼弥の背後から、申し訳なさそうに声がかかった。

 振り返ると、立っていたのは垂れ目が印象的な優しそうな女性。小豆色の着物を着ている。


「突然呼び止めてしまい、申し訳ありません。私は加納家の使用人をしております由紀と申します」


 丁寧に頭を下げた由紀は、一度周囲を見回し、人がいないことを確認すると、声を潜めて話し出した。


「あの、九条さま。ありがとうございました」 


 今度は地面に頭がついてしまうのではと思うほど、勢いよく、そして深々と頭を下げた。

 突然のことに蒼弥も圧倒される。


「え?あ、あの……?私なにか……?」


 困ったように首をひねると、由紀は「和花さんのことです」と呟いた。


「え?」


「和花さんの笑った顔、私初めて見ました。九条さまのおかげです。ですから、ありがとうございました」


 蒼弥は呆気に取られた。 


「お顔をお上げください」


 顔を上げた由紀は元々の垂れ目をより下げて、泣きそうな表情をしていた。


「教えてくださいませんか、彼女のことを。私はほとんど知りません。彼女はここの使用人ですか?」


 蒼弥はずっと気になっていたことを口にした。

 彼女はこの家にとってどんな存在なのだろう。ずっとそれが気になっていた。

 蒼弥の疑問に、由紀は顔を曇らせた。言葉を詰まらせるところを見れば、和花が良い扱いをされていないことが嫌でも分かってしまう。


「……和花さんは、使用人ではありません。和花さんは……加納家長男の直斗さまの婚約者です」


「こん、やくしゃ……」


 頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。

 婚約者……?これは本当に婚約者に対する扱いなのか?

 使用人、いや使用人以下では無いか。


「なぜです?この家は婚約者も使用人の方と同じように働くことがあるのですか?」


「そういうわけではございません……ですが、和花さんはこの家に来てからというもの、ずっと虐げられているのです」


「なぜ彼女が虐げられているのですか?」


 思っていたよりも低い声が出た。

 婚約者としてこの家に来た途端、虐げられた彼女はどんな思いで今日まで過ごしていたのだろう。

 生きていくために、自分の気持ちを全て隠して、感情もなくして。

 どれほど辛かっただろう。 


「申し訳ありません。私も理由はよく分からないんです。ある日唐突に始まりまして……」


 由紀は今にも泣き出しそうだった。日々の和花の生活を目の当たりにしているのだから、彼女とて苦々しい思いをしていることだろう。

 詳しく聞けば和花は、加納家にとっては使用人以下の存在で、日中は家事や着物の直しなど休む暇もなくずっと働いているそうだ。


(なぜ、あのような扱いをされているんだ……彼女は何か悪いことでもしたのだろうか)


 そんな人には見えない。

 むしろ人のことを考え、自分を抑えているように見えた。

 彼女を救う手立ては無いのだろうか。


(まさか一人の女性の方がこんなに気になるとは……)


 少し前の自分には想像もできないだろう。だけれども、今の蒼弥の頭の中は、和花のことで埋め尽くされていた。


「私のようなしがない使用人は助けたくても何もできない。それがとても悔しいのです。彼女は……和花さんはとても素敵な方……ただただ幸せなって欲しいと願うばかりです」


「……」


 彼女を取り巻く環境は思っていた以上に深刻なのかもしれない。


「ですので九条さま」


「はい」


「これからも和花さんのことを気にかけてくださると嬉しいです。九条さまの前ですと、和花さんは普段より柔らかく見えます。和花さんのことを救えるのは、九条さまかもしれません。どうかよろしくお願いします」


「由紀さん」


 礼儀正しく頭を下げる由紀に、蒼弥は優しく声をかけた。


「はい」


「私は、彼女のことがもっと知りたいと思っています。辛い環境におられるなら、救いたい、助けたいです」


「九条さま……」


「ですので、もし、何かありましたらいつでも教えてください」


「はい……!ありがとうございます」


 一礼した蒼弥は踵を返し、その場を後にした。

 ざわざわと胸の奥が騒ぐ。

 加納家の人に対する怒りが湧き起こり、止められなくなりそうだった。

 唇を噛み締める。


(和花さん、あなたを救いたい。私の手で)


 蒼弥は薄々気づいていた。

 和花に対するこの思いは、特別なものだということを。

 愛おしい、守りたい。

 だが、自覚することが怖かった。

 しかし、今由紀の話を聞き、彼女に対する気持ちが強くなったと思う。

 決して同情ではない。彼女に、惹かれている。


(本当に、らしくない)


 自分の心境の変化に驚きながらも、彼女を救う手立てを考えながら帰路に着くのだった。


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