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白い肌に赤い口紅が映える。
加納美夜は、鏡に映る自分を見て、にっこりと微笑んだ。
華やかな着物に身を包む自分に、目を奪われない人がいないわけがない。美夜は本気でそう思っていた。
(九条さまに見初められれば、私の人生は上手くいくわ)
ずっとこの日を待ち侘びていた。
自分に見合う素敵な方と出会えることを。
両親にとって美夜は、待ち望んでいた娘で、それは大切に大切に育てられてきた。
要望はなんでも聞いてもらえるし、なにをしても褒めてもらえる。そんな環境で過ごせば、自然と自己肯定感もわがまま具合も上がるものだ。
家の中では常に自分の思い通り。気に入らないものはすぐに排除しようとする美夜は、嫁いできた和花を標的にした。
嫁いできて数日は、和花も両親から優しくされていた。今まで自分が家の中での中心だったのに、和花に注目が集まる。それが許せなかった。
怒りに支配された美夜は、両親に嘘をつく。
和花にいじめられている、と。
初めは冗談だと交わされていたが、その後すぐに状況は一変した。
なぜか父をはじめ母も和花を雑に扱うようになったのだ。
理由はよく分からない。自分の嘘を真に受けたのかもしれないし、他に理由があったのかもしれない。
しかし、美夜にとっては好都合だった。
だから両親と一緒に馬鹿にしたような振る舞いをしてやった。
自分はこの家で、いや、どこにいても可愛がられて、言うことを聞いてもらわなくてはならない。自分の望みはすべて思うように叶えられるのだと本気で思っていた。
だから今回も。帝国の中で由緒ある名家の方、地位もお金も、そして美貌も持っているであろう方を手に入れて、周囲から羨ましがられて生きていくべきだと思った。
「美夜、九条さまがいらっしゃったわよ」
「今行くわ」
母から声をかけられ、もう一度鏡に向かって笑いかける。
――この笑みで九条様を自分のものにする。
そう誓い、店へ向かった。
「お待たせ致しま……」
裏口から中に入り、目の前に見えた人物に美夜は息を呑んだ。
九条蒼弥は美しい方と聞いてはいたが、想像以上の美しい男性がそこにはいた。
背は高く細身だが、決して頼りないわけではない。男性らしさも十分にあり、スーツがとてもよく似合っていた。
端正な顔立ちで、優しそうな瞳が自分に向けられていることに気付いた美夜は、頬を赤らめた。
「おぉ、美夜やっときたか。九条さまの着物を持ってきてくれるかい?」
「……は、はい。かしこまりました」
動揺する頭をなんとか回転させ、父との打ち合わせ通り裏に着物を取りに行く。
普段、加納屋に出入りすることなんてほとんどない。
だから、仕事のやり方もなにをしたら良いのかも分からない。
ただ、それだと印象が悪いため、父と話を合わせ、やることを決めておいたのだ。
義姉が直した着物は綺麗に畳まれ、箱に入れられていた。それを持って店に向かう。
「お待たせ致しました。こちらでよろしかったでしょうか?」
丁寧な言葉を意識して、台の上に箱を置き、中身を広げていく。
「素晴らしいですね。綺麗になっています」
蒼弥は嬉しそうに口元を綻ばせた。
元々麗しい顔面は、笑うとさらに目が離せなくなる。
見惚れる美夜の横から、父がにこやかに言った。
「九条さま、こちら娘の美夜です。親がいうのもお恥ずかしいですが、加納屋の手伝いもする器量の良い娘でして」
「そうでしたか……初めまして。九条と申します」
「加納美夜と申します。九条さまとお会いできて嬉しいですわ」
やや緊張しながらも、最上級の笑顔を向けた。
蒼弥の優雅な笑みと仕草に、目も心も奪われていく。
(なんて素敵な方なの。生涯私の隣にいる人は九条さまこそがふさわしいわ)
蒼弥を自分のものにしたい欲がむくむくと湧いてきた。
しかし、次の瞬間、美夜の顔は一気に歪んだのだった。
「ところで、今日はあの娘さんはいらっしゃらないのですか?」
唐突な質問に父も美夜も首を傾げる。
「あの娘と言いますと?」
「お直しをお願いしたあの夜にいらした方です」
(……は?)
美夜は口から怒気の含んだ声をあげそうになり、必死に飲み込んだ。
あの夜に会った娘と言われれば、あいつしかいない。
あの薄汚れた惨めな義姉。
目の前にこんなに美しい自分がいるというのに、よりによって粗末な身なりの役立たずな義姉のことを気にしている所に腑が煮え繰り返った。
「そ,そんな娘いらっしゃいましたかね?」
父は焦り、義姉の存在を隠そうとした。しかし、蒼弥も折れない。
「はい、ここへ来た時に一番初めに対応していただいたのですが……」
「あぁ、そういえばあの日はたまたまここの仕事を手伝ってもらっていたのでした。しかしあの娘は家の使用人ですのでこちらにはおりませんよ」
嘘をつき通せないと察した父はとぼけることをやめ、いかにも本当のことのように作り話を始めた。
父も怒りが込み上げているのだろう。固く握りしめた拳が激しく震えているのを見た。それでも懸命に笑顔を作る。
「そうでしたか。ではこちら、今回のお代です」
蒼弥はそれ以上聞くことはなかった。
父も美夜自身も、想定外の質問以降、義姉への苛立ちが止まらず、まともに対応ができない。
その間に蒼弥は代金を支払い、礼を告げて足早に立ち去ろうとしていた。
「っ九条さま!」
入り口から出るすんでのところで、美夜は蒼弥を呼び止めた。蒼弥はゆっくりと振り返り、視線が交わる。
ゆっくりと彼に近づき、スーツの裾を掴む。
美夜は怒りの感情を押し殺し、満面の笑みを浮かべた。
「また、いらしてくださいね?私、もっと九条さまとお話がしたいです」
「……はい、分かりました。失礼します」
あっさりスーツから手が離れる。
今の少しの間はなんだったのだろう。
周囲の人々は皆、いつも自分を優先してくれた。
それなのに彼は美夜に興味を示さないし、義姉のことを気にしていた。
気に食わない。
私が欲しいものはすべて手に入れなくては気に食わない。
許せない。
(――あの義姉さえ、いなければ……)
店の入り口で立ちすくむ美夜からは、殺伐とした雰囲気が放たれていた。




