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 帝都の中心に佇む宮廷。

 広大な敷地には、帝国で最も高貴な方とその血縁者が住まう紫真宮(ししんきゅう)と、国の政事を行う行政院(ぎょうせいいん)が並び建っている。


 宮廷は焦茶色の、人よりはるかに高い塀で囲われており、正面門には常時見張りが置かれていた。入門する際は、見張りに身分や目的を知らせなければ立ち入ることはできない。安易に立ち入れる場所ではないのだ。


「おはようございます」


 茶色のスーツを着こなした蒼弥が颯爽と現れると、見張りは深く頭を下げた。


「おはようございます。文官長」


 文官長――

 九条蒼弥はここ宮廷で文官の長として、外務省や総務省など全ての省庁を取りまとめている。


 文官長としての役目は、遥か昔から九条家の者が果たしている。帝の片腕とされ、地位も財力も帝国で上から数えて五本の指に入るほど由緒正しい名家だった。


 先代である蒼弥の父は、病弱である母の為にその地位を一年前に息子に譲った。

 政事の中心にいる文官長はとても多忙で、朝早くに出勤し、日付を超える頃に仕事を終えることも、泊まり込みで数日帰って来れないこともざらにある。

 変則的な仕事であるため、夫を支える妻としての負担も大きいのだろう。日に日にやつれ疲れ切った顔をする母を見て、父は早々に立場を息子に譲ることを決意したのだった。


 齢二十六歳の文官長。

 前代未聞、若すぎる文官の長にはじめ宮廷内はざわつき、懸念する声が多く上がった。

 しかし、幼少期から次期文官長として、みっちり教育をされてきた蒼弥は、数々の仕事を異様な速さで完璧にこなしていく。

 今までの九条家の中でもとりわけ仕事ができた蒼弥に宮廷内の古株たちも深く感心し、懸念の声も聞こえなくなっていった。

 さらに蒼弥の人柄は、人々を唸らせた。

 文官長として威圧的な態度もなく常に穏やかで頭の回転が早い。それにあの美貌だ。非の打ち所がない完璧な人間だと周りは噂した。


 そんな蒼弥は出勤するや否や、行政院の奥に位置する文官長室で、書類の山と格闘していた。

 各部署からの報告書や嘆願書、依頼書。読んでも読んでもキリがない膨大な量の紙を一枚ずつ確認し、判子を押していく。

 慣れた手つきで軽やかなように見えたが――普段より速度が遅かった。

 それでどころか、集中力が欠けている。


「はぁ……」


 蒼弥の口から大きなため息が漏れた。

 今ひとつ集中できていない理由には心当たりがある。昨夜の出来事が頭から離れないのだ。


 ――蒼弥の母の着物を見て涙を流す少女。

 体調が悪く、外に出られなかった母に変わって着物の直しをお願いしに行った先で出会った少女が忘れられない。


 身体は痩せ細り、顔色が悪いその少女は、使い古した着物に身を包んでいた。

 にこりとも笑わず無表情に話していたのに、蒼弥が着物を差し出した途端、琥珀色の瞳から真珠のごとく涙がこぼれ落ちていた。


 彼女は何者なのだろう。

 なぜ、粗末な身なりで夜遅くに店にいたのだろう。

 なぜ、無表情で表情が変わったと思えば、着物を見て涙を流していたのだろう。

 あの店の店員なのだろうか。

 次々と頭の中に疑問が湧いてくる。


(なぜ、こんなにも気になるのだろうか)


 気がつけば判子を持つ手が止まっていた。

 九条の名に引き寄せられ、女性から好意を持たれたことは数知れず。

 地位と財力、仕事の出来。申し分のない完璧な人だと噂は噂を呼ぶ。

 それにこの美貌だ。名家の人との繋がりを求める女性が放っておくわけがない。


 しかし、蒼弥は正直恋愛や結婚など興味がなかった。

 仲睦まじい両親を見ているから悪いものだとは思わないし、九条の名を残すためにもいずれしなくてはいけないとは思うが、今は仕事が中心の生活である。

 相手の為に自分の時間を割くことも難しいし、相手に苦労させるのも納得がいかない。

 それに、言い寄ってくる女性たちは皆、蒼弥の外面しか見えていないのが丸わかりだった。

 蒼弥に甘える猫撫で声や、過度な接触。裏に何かを隠していそうな含み笑い。

 面倒ごとが起きないように、にこやかに口元を緩め対応しているが、それもまた大変なのである。


 その点、昨夜の少女は何かが違う。

 特に媚を売るわけでもないし、何かを求める訳でもない。

 女性の涙は散々見てきたが、彼女は今まで見てきた涙とは違い、どこか惹かれるものがあった。


(一人の女性のことがこんなに頭から離れないなんて)


 こんなこと未だかつて無かったから困惑する。

 彼女のことが知りたい。涙の理由を知りたい。そんな思いを抱きながら、再び手を動かし始めた。


「九条さん〜いらっしゃいます〜?」


 扉の外から間延びした声が聞こえる。


「はい、どうぞ」 


 扉の方を見なくとも声の主を理解した蒼弥は、手を動かしたまま声をかけた。


「失礼しまー……わぁ、随分と書類に囲まれていますねぇ。お可哀想に」


「そう思うんでしたら手伝ってもらっても良いですか?冴木さん」


 入室するなり、砕けた口調で蒼弥に近づく男の名は冴木和人(さえきかずと)

 冴木家は代々、九条家の者の側近として共に勤めているため幼い頃から家族ぐるみで仲が良い。要するに幼馴染のような存在だ。

 蒼弥の四つ上である冴木は、お調子者で嘘がつけない性格。

 言葉を選ばない物言いにはらはらさせられる時もあるが、言っていることは正論なので助かることもある。

 質の良い紺色のスーツを着崩すところを見れば軽い性格であることが一目瞭然だが、仕事の速さは異常で、蒼弥の右腕とも言えるのだ。

 冴木は文官長室に他人がいないことを確認すると、さらに口調を緩めた。


「蒼弥、なにか悩み事かい?」


「なんです?いきなり」


 蒼弥、と名を呼ばれた蒼弥は、判子を置き冴木を見た。

 年下でも立場上では蒼弥の方が上だ。人前では立場をわきまえて敬語で話をするが、人目がない時は別である。元の兄貴のような幼馴染に戻る。


「いやぁ?普段ならこのくらいの書類もっと早く終わらせられてたなーと思ってね。兄貴分として相談にのってあげようか?」


「結構です。なにもありません」


「頑なだなぁ」


 頑なに断る蒼弥を見て、冴木はおかしそうに笑う。

 しん、としていた文官長室が少し温まった所に、また扉を叩く音が響いた。

 同時に扉を見つめる。


「はい」


「九条さん、小山です」


「どうぞ」


「失礼します……あ、冴木さんこんなところにいたんですか?探しましたよ」


 静かに入室してきた小山は、冴木を一目見るなり、眉を顰めた。


「おー小山。なにか用かい?」


「なにか用かい?……じゃないんですよ!この書類一緒に確認するって言っていたじゃないですか!それなのにどこにもいらっしゃらないし……」


「あー、ごめんごめん。忘れてた」


 不貞腐れる小山に、冴木は頭をかきながら謝罪するが、反省の色はあまり出ていないようだった。

 小山家も冴木家と同じ、代々九条家の側近を務めている。

 小山涼(こやまりょう)は蒼弥の一つ下であるが、真面目でしっかりしている。冴木の失礼な発言を訂正したり、おっとりしている蒼弥に喝を入れたりと年下ながらやることが多いのだ。

 個性豊かな三人だが、九条、冴木、小山この三家が帝を支え、文官の組織が成り立っているといっても過言ではない。

 蒼弥もなんだかんだこの二人には気を許し、信頼をおいている。


「まぁまぁ、落ち着いてください。小山さん、何かありましたか?」


「あぁ、そうでした。九条さんこの後、視察の同行をお願いしたくて」


「視察ですか……何か気になることでも?」


「はい、少し一緒に確認して頂きたくて」


「分かりました。良いですよ」


「ありがとうございます」


「えー、二人で行っちゃうの?俺も行きたい」


「駄目です。冴木さんはこの書類に目を通していて下さいね!私は全て目を通しましたので!」


「ったく、分かったよ」


 年下の小山にはっきりと言われ、ぐうの音も出ない冴木。

 そんな二人のやり取りを横目に蒼弥は、書類に判子を押す手をまた動かして始めた。

 


 

 

 

 

 

 

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