序章
改稿版 彩色の恋模様 開幕です!
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「ねえ、お父さま。どうして私とお父さまはみんなと爪の色が違うの?」
琥珀色の純粋な瞳が、黙々と手を動かしていた細身の男性に向けられた。
衣桁が所狭しと置かれた決して広いとはいえない部屋。衣桁には、色とりどりの華やかな着物が掛けられており、目に入れただけで心が躍った。
そんな部屋の中心におかれた机では、男性が橙色の着物を広げ、筆を走らせていた。隣には幼い少女がその様子をじっと見ている。
少女からの熱い視線を受けた男性は、ふふっと穏やかな笑みを浮かべながら筆を置き、少女に向き直る。
「どうしてそんなことを聞くんだい?和花」
「どうしてかなって思ったの。それにみんなに手を見せるのは駄目だから、この手袋を付けるんでしょう?少し大きくてすぐ取れそうになっちゃうよ、お父さま」
そう話す和花小さな右手には、白いレースの手袋がはめられていた。
和花の手に対して少し大きい気もするが、繊細な花模様のレースが美しい手袋。それは色白の和花の手にとてもよく似合っていた。
眉を八の字にする和花を見た父は、そっと手を取り優しく握った。そしてしっかりと目を合わせ語り出す。
「和花、よくお聞き。私と和花の手は特別なんだよ」
「特別?」
首を傾げながらも、父から目を逸らさない。
「そう。人々に彩りと幸せを与えて下さる色神様に選ばれた特別な手なんだよ」
そう言いながら父は、握っていた和花の手から手袋を外した。
現れた和花の手の爪は、親指から赤、橙、黄、緑、青と一本ずつ色が違っていた。父はその手を愛おしそうに撫でる。それはすぐに壊れてしまいそうな、儚い大切なものを触るように……
「この爪の色は、色神様から力を分けてもらった証拠なんだ。だから、私と和花の爪の色はみんなと違うんだよ」
「私とお父さまは凄いのね!」
父の話を聞き、和花はきらきらと瞳を輝かせた。
ーー彩色の手
遥か昔、この帝国には色が存在しなかった。
空の青も山の緑もない寂しい所。人々の心は廃れ、貧しい暮らしをしていた。
ある時、眩い黄色い光が天から降り注ぎ、色神様が降り立たれた。黒く長い髪を靡かせ、背中からは色鮮やかな羽が生えている女性。優雅に微笑む美しい姿には誰もが目を奪われた。
色神様は色を作り、物に色を命を吹き込んでいった。
植物には安らぎの緑を。
夕日には心を癒し、前向きにする橙色を。
火には情熱の赤を。
色を与えられたものは生き生きとしはじめ、それは人々の心を明るくしていった。
そして色神様は周囲にいた人達の中から一人の男を見出し、力を分け与えた。
国を豊かに平和に彩り良くしていくために、「彩色の手」と呼ばれる不思議な力を与え、自分の代わりにこの国の美しさを守る役割を課したのだった。
この手を与えられた者は、絵を描く才能を授かった。さらに不思議なのは、その描いた絵を見た人は幸せになるという。
その力を適切に使い、国は豊かに幸せになっていった。
それから数百年、すっかり美しく平和になった帝国では、彩色の手を持つ者の表立った行動は見られなくなり、いつの間にかこの国の伝承物語として代々子に受け継がれるようになった。
しかし、それは伝承物語でも伝説でもない。
この力は男から子、そのまた子へ代々と受け継がれ、今現在も国のどこかにひっそりと、その不思議な力を宿した人が生きている。
それが和花と父、藤崎家の者なのだ。
「だからね、和花。この手を大切にして欲しい。藤崎家の人が代々、人々に幸せを与え、守ってきたこの手を」
穏やかだけど真剣な表情の父に和花は目が釘付けになった。意味を完全に理解したかと言われれば、完全ではないかもしれない。
しかし、幼いながら自分に課されたものの大きさに少々不安になった。
「私もお父さまみたいに素敵なお着物描けるかな」
和花は視線を机に向ける。机上には父が今しがた描いた白い梅の花が堂々と咲き誇っていた。
今だに筆を握ったことがない自分にできるのだろうか。気付けば口から本音が溢れる。
「あぁ、できるとも。和花は私の大切な娘だから。でもね、一つ約束だよ。絵は自分も幸せな時にしか描いてはいけないよ。悲しい時や怒っている時は描いてはいけない」
「どうして?」
「私たちが描く絵には私たち自身の感情がうつってしまうからだよ」
「感情?うつる?」
「はは、少し難しかったかな?きっとそのうち分かるさ。大丈夫、心配することはない」
父の大きな手が和花の頭を撫でた。その優しい笑みとお揃いの彩色の手を持つ父が、和花は大好きだった。
「さあ、もう一踏ん張りするぞ」
明るい父の声が静かな部屋の中に響いた。
(色神様からもらった、特別な手……)
和花は五色に輝く自分の手を見つめ、にっこり微笑んだ。
◇◇◇
――時は流れ十年後。
帝都にある呉服屋 藤崎屋藤崎屋。
人通りも途絶えた、静かな帝都の一角にある店内からはほのかな光が漏れていた。
その光を頼りに、一人の少女が真剣な面持ちで机に向かっている。
優し気な琥珀色の瞳に色白の肌。亜麻色の艶やかな髪を後ろで一つに束ね、先を三つ編みにしている少女ーー藤崎和花藤崎和花の表情は真剣そのもの。
額や筆を握る手にはうっすら汗をかき、けれどそれも気にならないほど集中していた。
(できた……)
最後のひと塗りを終えた和花は、大きく息を吐きながら、ことりと筆を置く。
そして、眼下に広がる華やかな模様に頬を緩めた。
淡い桜色の生地に、菊や梅,桜、椿など華やかな色をした花たちが円を描くように配された花丸紋の打掛。
花々は袖や裾など着物全体に散りばめられ、光に当たるときらめいた。暖色の染料をふんだんに使った色合いは、まるで幸福を呼び込むようにあたたかく、優美であった。
結婚式のために注文されたこの打掛は、きっと花嫁の門出を盛大に祝い、明るい未来を予感させるものになるはずだ。
我ながら良い出来だと思う。
ここ二週間、ひたすらこの打掛と向き合っていた和花は、言い表せないような達成感と嬉しさを噛み締めていた。
「和花、大丈夫かい?」
音を立てずに襖が開き、父と母が顔を覗かせる。母の手には湯気が湧く湯呑みが握られていた。
「お父さま、お母さま、斉藤様からのご注文の打掛できあがりました」
はしゃぎたい気持ちをぐっと堪え、和花はにっこりと微笑んだ。それでも、隠しきれない喜びが、声色に滲み出ている。
「なんて美しい打掛なの」
母が頬に手を当て、目を蕩けさせる。父も打掛の隅々を見ながら、大きく一つ頷いた。
「和花よく頑張ったね。とても美しいよ」
大好きな両親に褒められ、和花の口元の緩みっぱなしだ。
和花の右手の爪は相変わらず、五色に光っている。和花は、この特別な手の力を使いながら、父が立ち上げた呉服屋「藤崎屋」で着物に柄を描く手描き職人として父と共に働いていた。
優しい両親と、和花が仕立てた着物を喜んでくれるお客様。
まだまだ学ぶことは多いけれど、それすらも楽しい。それに何より、着物に模様を描き、命を吹き込むことにやりがいを感じていた。
父にはまだ及ばないが、与えられた力を大いに使い、たくさんの人を幸せにしていく。これが和花の夢で幸せだった。
「和花、その嬉しい、楽しい、幸せな気持ちを忘れないで着物を仕立てるんだよ。和花の気持ちが着物に伝わって、それは美しい思いの詰まった素敵なものになるのだから」
「はい、お父さま。私これからももっともっと着物を仕立てていくわ」
三人の朗らかな笑い声が部屋に広がっていく。
桜色の打掛は三人の柔らかな雰囲気を温かく優しく見守っているようだった。




