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襲来




 一方でレリアは二つ分の足跡をたどり家へ駆け足で戻っていた。小さいほうの窪みに合わせ、レリアはステップを踏むように楽し気に帰っていた。


 レリアは一人っ子で兄妹というものが何かを漠然としてしか知らなかったが、まるで本当の兄のようにトシュテンを慕っていた。たとえ出会ってから日が浅くとも、自分を救ってくれた彼を信頼せずにはいられなかった。


 白い息が絶えずレリアの口から零れ、冷たい空気をレリアの体がかき乱す。段々とトシュテンの家が迫り来てそれに合わせるようにレリアはどんどんと加速していった。


 家の前に誰かが佇んでいるのが見えた。


 レリアは思わず減速して足を止めた。そしてその人もレリアに気が付いたようでレリアのいる方を振り返った――その人は女だった。


 レリアは首を傾げ、何も疑うことなくその彼女のもとへ近づいて行った。顔のかたちが分かるくらいの距離で、声をかけられた。しかしレリアにはわからない言葉だった。彼女の様子からするに、どうもレリアに対して怒っているようだった。年若い彼女の怒りの理由をレリアは考えていた。


 そういえばトシュテンも彼女と同じくらいの年齢に見える。


 ピンときたレリアは目を見開き、「あ」と声を出した。そして彼女に向けて満面の笑みを浮かべた。


 もしかして、トシュテンの恋人なんじゃないだろうか。


 一度そう思い始めると、レリアはそうとしか思えなくなっていた。レリアは満面の笑みを浮かべると、唖然とする彼女の手を引き無理矢理家の中へ連れて行った。


 レリアの意図をくみ取ることのできない彼女は手慣れた様子でもてなそうとしてくるレリアにいら立ちを募らせていた。今にもレリアにとびかかりそうな様子の彼女に気が付くことなく、レリアは彼女をもてなし始めた。


 トシュテンと協力し合って暮らし始めてからいろいろなことを教えてもらっていたレリアは迷うことなくしまってあったミルクを取り出し、慣れた手つきで鍋に注ぎそれを温め始めた。お気に入りのものを彼女に分け与えることは何も持たないレリアにとって精一杯の歓迎の表現だった。


 レリアはちらちらと彼女の様子を窺いながら早くミルクが温まらないかとそわそわしていた。


 ようやくミルクから湯気が立ち上り始めると、レリアはすぐさまコップに注いだ。慌てていたせいか熱いミルクが飛び跳ね顔に当たった。



「熱いっ!」



 それでもレリアは鍋とコップを手放さず、注ぎ切った。鍋をもとあった場所に置くと、レリアはミルクが飛んだ箇所を擦って痛みをごまかした。



「お待たせしました!」



 レリアは屈託のない笑顔で彼女にコップを差し出した。

 彼女は受け取るとすぐにコップの口をレリアに向けた。中のミルクは綺麗な弧を描いてレリアに降り注いだ。


 先ほどの小さな痛みなど比ではないほどの――そうはいっても灼けた鉄を押し付けられた時よりはましであるが――衝撃だった。



「トシュテン様に色目を使ったあばずれめ!」



 コップの取っ手を持ったまま怒りに震える彼女に、レリアは恐怖を覚えた。射貫くような鋭い眼光にレリアは背筋が凍った。いまにも襲い掛かってきそうな彼女からゆっくりと距離を取るため後退る。それに合わせて彼女も一歩、また一歩と着実に近付いてくる。



「な、何か勘違いがあるようです……私は、ただ彼に助けられただけで、そんな関係では……」



「じゃあどうして私を蔑ろにするの!?」



 彼女は顔を覆って泣き出してしまった。彼女が可哀想になってきたレリアはどうしたらいいかわからず、彼女に向かって前進したり後退したりを繰り返していた。するとレリアは覚悟を決めたような、深刻な面持ちで再びミルクを新しい鍋に注いで温めた。そして彼女の方を向いて言った。「お話を聞かせてください」と。


 彼女が言うには、トシュテンとは婚約者らしい。ここ最近会ってくれないと思って跡を付けて来たら、トシュテンとともにいるレリアを見つけたのだという。彼女は見つけた時は衝撃で何もできなかったが、今日になって今度こそ彼を問い詰めようとやってきたそうだ。そこで、レリアと鉢合わせその後は先ほどの通り理性を失ってしまったのだと嗚咽を漏らしながら語った。


 レリアは首を傾げていた。トシュテンに婚約者はいないはずだからだ。


 どうしてか、母の顔を思い出した。忠告してくれていた母の言うことを聞かずにこんな事態を招いたことを、思い出した。涙を流す彼女に同情して背中をさすろうと近付きかけていたレリアは、すぐさま彼女と距離を取った。



「……不思議です。彼は、婚約は事情があって白紙になったと言っていました」



「だから、あんたを気に入って嘘でもついたんじゃないの?」



彼女は苛立ちを隠さなかった。



「嘘……?あなたがではなくて?」



「……は?あたしのこと、疑ってるの?」



 レリアは彼女の気味が悪いほど真っ青できれいな目をしっかりと見つめ、力強く頷いた。


 そしてすぐさま家を飛び出した。トシュテンがどこへ行ってしまったのか見当もつかなかった。しかしそれでも逃げ出さなければならなかった。


 小さな白い息が何度も宙に現れては消えてを繰り返している。冬の静寂の中、レリアの耳には自分の鼓動と息遣いしか届かなかった。


 無我夢中で走っていると、二人は林の中に入った。未だ林の中にいるはずのトシュテンの名を、レリアは大声で叫んだ。寒い空気に彼女の声はよく響いた。


 呼ぶことに夢中になっていると、レリアは自分の体力の限界を迎えた。足がもつれて、レリアはバランスを崩して前に倒れ込んだ。


 後ろからはゆっくりと彼女が迫ってきていた。彼女は手負いの獣を追い詰め、愉悦に浸る狩人のようだった。しかし焦って逃げようにも腰が抜けてしまってなめくじのように這うことしかできない。


 ああ、今度こそ終わりだ。


 レリアは目をぎゅっと瞑って恐ろしい現実から目を逸らした。



「レリア!!」



 彼の声が聞こえた。


 すぐそばで衣擦れの音がした。レリアは恐る恐る目を開いた。あの日、寒空の日、初めて出会ったときのように、彼はレリアに上着をかけた。大きな上着から少しだけ見える彼の姿に、レリアは泣きそうになってしまった。


 目の前の二人は何か言い争っていて、彼女はずっとヒステリックに叫んでいた。レリアには何を話しているのかわからなかった。


 しばらくすると、トシュテンがレリアを横抱きにして立ち上がった。その時に顔まで上着を掛けられて何も見えなくなってしまった。抗えるような気力はとっくのとうに使い果たしていた。レリアはおとなしくトシュテンに身を預けてそのまま眠ってしまった。





 目が覚めるとすべてが解決していたようで、トシュテンは申し訳なさそうに自分の事情をすべてレリアに説明してくれた。



「多分君も気づいていただろうけど、俺はここの領主の息子なんだ。君の国の言葉を喋れるのも、俺が貴族だからなんだ。酒に溺れた父さんは横暴だった。だから、逃れるためにひっそりとここで暮らしていた。……そんな訝しむような目をむけないでよ。


彼女の話?ああ、彼女は……ウリカと言うんだ。婚約者だったけど、彼女と馬が合わなくて。俺は彼女のことをあまり好きになれなかったけれど、彼女は俺を気に入ってしまった。彼女は思い込みが激しくてヒステリックだった。付き纏われたり、女性と少し話したりしただけで責められた。


先方もそんな状況をよく思わなかったのかすぐに婚約はなかったことになった。前のことだったからもうすっかり忘れていたけど、彼女はそうじゃなかったみたいだ」



 トシュテンは困ったように笑った。


 ウリカ……彼女の困った性質でひどい目にあったものの、レリアには彼女の気持ちが少しわかるような気がした。大好きな相手に好かれていないとわかると、より執着したくなるものだ。その相手が女と一緒に暮らしているのを見たら、無理にでも排除したくもなると思う。


 それにしても見事な演技だと思った。彼女の涙には説得力があった。愛した相手を思って流す涙はあんなにも心を打つものなのだなと、レリアは目の前のトシュテンから意識を逸らして考えていた。


 少しだけ嘘をついてレリアを油断させようとしたとは思うが、それでもあの涙は本物なのだろうという気がした。



「――レリア?」



「なんでもないです」



 レリアは屈託なく笑ってみせた。





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