呪いの系譜
「ヨーラン!」
ヨーランは後ろからかけられた可憐な声にすぐさま振り向いた。
季節は夏、冬の厳しいこの国にも青葉が繁り、日差しが強くなってくる頃。
甘い匂いのするくるくるの巻き髪、不思議な色合いをした目、愛くるしい笑顔、長袖の下に隠れた滑らかな肌……そしてヨーランの大好きな真っ白の翼。
ミュリエルは幼い頃からそばに居た。自分よりも一つ年下の彼女は、寒がりで、怖がりで、それでいていつでもヨーランの守るべき人だった。ずっと一緒にいたせいで、彼女のことを妹だと八歳の頃まで勘違いしていた。
どこから来たのか分からないけれど、ミュリエルは父の子でも母の子でもないらしい。一度、本当に妹かと思って母に聞いたが、違うと言ったのだ。
その日から、ヨーランにとって彼女は大切な妹から好きな人に変わった。
それから二人ももう成人して、ヨーランはいつ彼女に思いを告白しようか悩んでいるところだった。
「お母様がお茶にしようって!行こう!」
ミュリエルはヨーランの母のことをお母様と呼ぶ。ミュリエルも母が本当の母ではなく、時折ミュリエルを遠くから眺めている女の人が母なのだと分かっている。しかし、小さい頃からのくせでミュリエルはお母様と呼び続けるのだ。
もし、本当の母親が戻ってきたら彼女はなんと呼ぶのだろう。
ミュリエルの母親のことで思い出したが、ヨーランの父は、母であるソフィアが呼び出した時以外は近くの別荘で暮らしているらしい。ミュリエルの母親と一緒に。どういう事情があるのかヨーランにはよく分からないが、ミュリエルを産んでくれてありがとうという気持ちならある。
こんなに天真爛漫で可愛らしい天使がそばに居てくれるなんて幸せを授けてくれたのだから。
「ヨーラン、貴方従弟の侍従として王都に行きなさい」
「えっ?」
母からのまさかの話に、ヨーランは手に持っていたカップを大きな音を立てて落としてしまった。
「ど、どうしてですか?なんで、僕が……」
「……貴方のお父様が仰ったの」
「な、なぜ……」
従弟というのは、もちろん王子のことである。ヨーランは父が引退するまでずっと領地で経験を積み続けるものだと思ていた。それに、王家に仕えるためにいる貴族は他にもいる。領地の与えられた貴族の子供が奉公にでることなど、跡継ぎ以外しかしないのに…………。
そこまで考えたところで、ヨーランは気が付いた。自分は跡継ぎではなくなったのだと。
「私には、何も出来なかった……ごめんなさい、ヨーラン」
ヨーランは向かいに座るミュリエルを見た。
もし、そいつがヒュランデル公の座についたら、ミュリエルはどうなってしまうのだろう。
「ミュリエルは、ミュリエルはどうなるのですか……」
「あ、安心しなさい!貴方の婚約者のままだから……はあ」
ヨーランはほっとした。ミュリエルさえいれば、どんな扱いをされたって構わない。
ヨーランはミュリエルを守るために生まれてきたのだから、守るべきミュリエルが手元にいなければ意味がないのだ。
ソフィアは身勝手な夫のせいでしなくていい気苦労に悩まされていた。
レリアが突然姿を消してしまったと思ったら、トシュテンが羽を切り落として林の中にある小屋に連れ去ったらしい。
たまにミュリエルを見に来る彼女は日が経つにつれやつれていった。
そしてある日、お腹を抱えてソフィアに泣きついてきたのだ。レリアを連れてきたトシュテンは薄ら笑いを浮かべていたのが気味悪かった。
レリアのために本邸に来る頻度をあげるよう進言したのは自分でも良い選択だったと思う。そうでなければ、彼女はもっと早くに死んでしまっていただろうから。
心配なのはそれだけではなかった。ヨーランがトシュテンのようにミュリエルに執着し始めたのだ。
トシュテンのようになられては困ると婚約させはしたが、いつ暴走するかわからない。
なんという地獄だろうか。
それに、レリアは二週間前に死んでしまった。やはり気候が合わず、風邪を拗らせて亡くなってしまったらしい。使用人から聞いた話によれば、アレクサンデル公の妻も同じようにして死んだとか……。
呪われた家に関わってしまったと、ソフィアはすっかり左手の薬指に馴染んだ豪華な指輪を見て思った
しかし、後悔するには遅かった。
これからも同じようなことを繰り返し続けるのだろう。
しかしある地方で有翼人のグループが人間と手を取り合うことを選んだと聞く。その主導者は消えた妻子を探す手段として選んだようだ。
今後の展開が気になるところだが、少なくともソフィアが健康でいられるうちに現状はそう変わらないだろう。
いつか、愚かな男どもの犠牲になる可哀想な有翼人の女の子がいなくなりますようにと、ソフィアは心から願った。