変わらず、運命-トシュテン
トシュテンは自分でもなぜ外交官に指名されたのか不思議だった。特に政界に口を出すこともなく、社交界に顔を出しているわけでもない。政界に関わりがないというのが選考理由の一つであろうが、これでトシュテンに対人能力がなかったらどうするつもりだったのだろうか?
ソフィアに聞くと「無駄にあっちの言葉が上手いからでしょう」と言われた。確かに一理ある。
トシュテンは不満そうな顔をしたソフィアの隣で不思議そうに首を傾げるヨーランに合わせて屈んだ。そして申し訳なさそうな顔をして頭を撫でた。
「とうさま、とうさま、どこ行くの?」
「……南の国へ行ってくる。何か欲しいものはあるか?」
「とうさま!」
トシュテンは困ったように笑ってソフィアへと視線をやった。助けてほしいという合図のつもりであったが、ソフィアは自業自得だと言わんばかりに鼻を鳴らした。
「……すぐに帰ってくる」
ヨーランがソフィアのお腹にいた頃、全くもって自分の子だと思えなかった。しかし生まれてきたヨーランが成長していくにつれて、さすがに我が子だと認識出来るようになった。それでも優しく接するのが精一杯で遊んでやることはあまりしてこなかった。
――無事に帰ってきたら、一緒に遊んでやろう。
トシュテンは確実に未来へと目を向けていた。
「私の欲しいものはこちらですわ。よろしくお願いしますね」
そう言って渡されたのは、文字がびっしりと書かれた紙だった。トシュテンは思わず笑みを零した。
「できるだけ買ってくるよ」
そうしてトシュテンは馬車に乗り込み、外交先の国へ向かった。
相手方は随分威圧的な態度でトシュテン一行を出迎えた。しかし、トシュテンが母国語をネイティブレベルに話せるとわかると途端に態度を変えた。
「そちらの国では我が国の文化が気に入られていると聞いてはおりましたが、まさか貴殿のようにこんなにも話せる方がいらっしゃるとは!」
特に何か条約や同盟を結ぶわけでもなく、国王が相手方に気に入られたいからと理由でトシュテンは送られた。
こんなに下手に出ていてはいつか足元をすくわれるぞ、とトシュテンは心の中で悪態をついた。しかし将来のため、愚かな国を救ってやらねばと思った。
トシュテンは二国間の同盟を結ぶ提案をした。勿論相手方は良い反応を見せた。少しこちら側が不利になるだろうが、結ばれれば攻められることはないし、他国に対して圧をかけられるだろうと踏んだのだ。
気付いていないだけで、意外と才能があったのかもしれないなとトシュテンは密かに思った。
今の段階でできることの全てを成し遂げると、妻子のための土産の吟味に街へ赴いた。もちろん、ソフィアから預けられたメモを持って。
発展した王都でヨーランへのおもちゃやお菓子、それからソフィアに頼まれていた物を買うことが出来た。しかし王都になくて、他の街にあるという物だけが揃わなかった。
気が進まなかったが、機嫌が悪いソフィアのせいでヨーランがかまってもらえないのは可哀想に思えた。
だから、珍しくソフィアのために自らの意思でその街へと向かった。
そこは商売が盛んな街だった。活気に溢れ、人々は忙しいながらも楽しそうに働いていた。
「すまない、この……人魚の雫?というものはどこで買える?」
「ああ、それなら……すこし中心街から離れますが、人魚の尾ひれの看板がある店で売ってますよ」
そうフランクに言うと、右の方面を指さした。
住民たちは貴族に慣れているのか、どう見ても貴族の格好をしているトシュテンに対して快闊な態度で接した。トシュテンは言われた通り、指さされた方向へ向かってお供を数人連れて歩き出した。
人魚の雫という物が何かは分からないが、ソフィアがわざわざ頼むほどなのだから人気なものなのだろう。そう思いながら、トシュテンはだんだんと喧騒から離れていった。
赤子の泣き声が聞こえた。丁度進行方向と同じだったため、トシュテンは何があったのかと興味本位で向かった。
泣き止まない赤子に困っているようで「いつもはすぐ泣きやむのに」と涙声であやしていた。
普段ならば気にかける必要も無い些末な事だったのに。
トシュテンはまるで泣き声に導かれるようにして歩き続けた。
角を曲がったところに、身を潜めるようにして母親が体を揺らしながら子供をあやしていた。
「よしよし、可愛いトマトちゃん……泣かないで」
トマト?と疑問に思ったが、布にくるまれた赤子の顔を見ると確かに真っ赤でトシュテンは思わず口元が緩んだ。ヨーランのおかげで子供が可愛いと思えるようになってきたのだ。
大ぶりのショールを羽織った母親は、腕に食材の入ったバスケットをぶら下げ大変そうにモゾモゾと体を動かした。重い食材を腕で支えるのは大変だろうと思って、トシュテンは彼女に近付いた。
いつもなら構うことすらないのに。
「持とうか?」
「えっ?」
彼女がこちらを見た。見覚えのある空色の目だった。
レリアだった。
彼女は目を見開いた。
「い、いや……大丈夫で、す……」
懸命に知らないふりをしようとしているが、体は震えていた。子供は母親の恐怖を感じとったのかより一層激しく泣き出した。
「うぅ……泣かないで、泣かないで……」
レリアはトシュテンと子供の板挟みになって、逆に泣き出してしまった。
静寂のなか、燃えている木が割れる音とレリアの泣き声だけが聞こえる二人だけの家。トシュテンはあの日のことを思い出した。揺れる瞳が静かに涙を流す現在のレリアと重なる。
やはり彼女が欲しい。
トシュテンはレリアに近付いた。
「あ、あの……どなたか存じ上げませんが、助けは……」
レリアは赤子を隠すように抱きしめ、トシュテンから距離を取った。
しかし後ろに下がれば下がるほど、レリアは追い詰められる一方だった。トシュテンはゆったりとした足取りで歩き続けた。
じりじりと追いつめていると、レリアは辛抱ならないというように走り出した。
トシュテンはにやけ顔のままお供の者に言った。
「あっちの門の方に馬車を用意して、いつでも出発できるようにしておけ」
そしてレリアの後を追って歩き出した。