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もぬけの殻-トシュテン




 トシュテンは実に気分が良かった。ようやくレリアに会うことが出来る。ここまで長かったと、トシュテンは月に照らされた屋敷を眺めながらしみじみと感じ入った。


 二、三度深呼吸をし、逸る気持ちを抑えて屋敷へ入った。

 中は驚くほど静かだった。緩和してきた寒さを助長させるような静寂だった。執事が一人顔を出して、もう遅いから先にお休みになってくださいと言った。


 しかしトシュテンはその前にレリアの顔を見なければならないと、困った顔をする執事を無視してレリアが眠っているはずの部屋へと向かった。


 レリアに与えた部屋は、母が使っていた部屋である。母が使っていたということは、当主の妻が使うべき部屋である。眺めが良いが少し寒い部屋。そのため、常に暖炉を焚いている。


 やけに冷える廊下を早足で歩いた。窓から差し込む月明かりだけが頼りだった。


 一歩、また一歩とレリアの部屋が近付いてくる。先程まで浮かれていた気持ちはどこへやら、トシュテンはなぜか不安になっていた。


 早まる鼓動は昂りよりも緊張だった。


 ゆっくりと扉を開けた。音が鳴って、レリアを起こしてしまわないようにそっと。



 扉の隙間から部屋の中を見た。



 平らなベッド、水差しのないサイドテーブル、開かれたカーテン。


 全ては、レリアが消えたことを示唆していた。



「レリアは……」



 トシュテンは呟いた。しじまの中でも聞こえないほど小さな呟きだった。



 そして次には涙が零れた。


 彼女は居なくなってしまった。運命は、跡形もなく消えてしまったのだ。



 トシュテンはふらふらと父の部屋へ向かった。


 確信していた。犯人は父だと。妙にレリアに向ける目が慈愛に満ちているような気がすると思っていたら、まさか逃がすとは。



「父さん」



 深夜であるにもかかわらず、トシュテンは遠慮などせず堂々と父の部屋へ入りこんだ。


 眠ったままの父の肩を強く揺らして無理矢理起こすと「帰ったのか」と父は白々しく言った。



「レリアを逃がしたの?」



 アレクサンデルはすこし視線を彷徨わせ、なんの釈明もなく肯定した。



「俺のっ……ああ!どうして逃がしたんだ!」



 トシュテンが取り乱すと、アレクサンデルは目をかっと見開いて怒鳴った。



「母さんのことを忘れたのか!!」



 電撃が走ったように衝撃が走る。トシュテンは驚愕のあまり動きを止めた。アレクサンデルはゆっくりとベッドから起き上がると、トシュテンに詰め寄った。



「それに、お前はあの子の心を繋ぎ止められなかった。だからあの子は逃げることに同意した、わかるか?」



 藍色の目と同じ己の目線がぶつかった。



「……そもそも、父さんがレリアを買わなきゃこんなことにならなかった」



「ああ、だからあの子を故郷へ帰した」



「レリアはっ……本当に、逃げたいと……」



「言った」



 トシュテンはその場に膝から崩れ落ち、涙を流した。頭を抱え、何も残してくれなかった彼女を思った。


 今すぐに後を追ってしまいたかったが、やはり奴隷商人にも父にも言われた通り、逃がした方がレリアのためになるのだと分かっていた。


 アレクサンデルは何も言わず、しゃくりあげるトシュテンの背中を優しくさすりつづけた。




 一年後、トシュテンとソフィアの縁談は無事にまとまった。トシュテンがなんの抵抗もなく受け入れたためである。


 運命の人を失ってしまったトシュテンはまるで魂が抜けてしまったようだった。


 父に対しても、ソフィアに対しても感情を見せることはなくなってしまった。


 レリアという彩りを失ってしまった人生はつまらない。トシュテンは、何をしていても無意識にレリアの面影を探している。


 茶器、花瓶、シーツ、紅茶、そしてミルク。


 思い出深い品々は、いつしかトシュテンの身の回りから離れていき、その代替品に情が移ることは決してなかった。


 グラス、インク、ソファ、コーヒー……夢心地なのは今の方だと、トシュテンは思った。


 そして現在、トシュテンとソフィアが結婚してから三年ほど経った。



「トシュテン様お話が……って、またソファで寝てらっしゃるの?」



 お腹を抱えたソフィアが手紙を手に持って部屋へやって来た。トシュテンは体を起こすことも億劫で、入口の方へ目をやったきり再び瞼を閉じた。



「……お父様が、貴方を外交官に指名するそうですわ。全く、お父様もどういうつもりなのでしょう、こんな木偶の坊に外交の役を与えるなんて……」



 ソフィアと結婚して、トシュテンにその気はなかったが「一人だけにしましょう」とソフィアに言われ、萎えた己を薬やらなんやらを使って奮い立たせたのだ。


 大きくなったお腹でも、ソフィアはいきいきとしていた。かつてよりやつれてはいるが、母の顔をしていた。



「君の子が生まれて、成長してからだろう?」



「当たり前ですわ」



 ソフィアは持っていた手紙をトシュテンに投げつけると、息を切らしつつ部屋を後にした。


 子供も生まれることだし、そろそろ過去と別れを告げるべきなのかもしれないと、トシュテンは一人涙を零して思った。




 子供は無事生まれ、ヨーランと名付けられた。嫡男として大切にかしづかれて育ったヨーランも、今年で二歳になった。


 それと同時にトシュテンは王に呼ばれ、予告通りに外交官としての命を授かった。




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