宮廷にて-トシュテン
トシュテンは苛立っていた。爵位と財産の継承のために来たはずの宮廷で、無駄に引き止められているからだった。
あろう事か、王家の末娘をトシュテンに嫁がせようと画策しているらしい。ウリカとの婚約が無かったことになってから虎視眈々と機会を窺っていたようだが、ウリカといい王女といいどうしてこうも女難に見舞われるのだろうか。
手続きを終えたらすぐに帰ろうと思っていたのに、なんやかんやと理由をつけられて未だにここにいるのだ。
トシュテンはとびきり豪華な部屋の中でため息をついた。
外交のため、立て続けに送り出された王女たちは三人にものぼる。半年後には、五番目の王女が小国へ嫁ぐ。六人の王女の中で、除外されたのは二番目と末の姫だけだった。二番目の姫は持病で儚くなってしまわれたが、末娘の方は随分と甘やかされているようで、臣下に下賜しようということになったようだ。
そして領地と王都でそこそこの距離はあるものの、ある程度の資産と高い爵位を持ち、その王女との歳もさほど離れていないトシュテンに白羽の矢が立ったのだった。
そして王宮に閉じ込められた。二、三日ならまだしも、五日目となるとさすがに限界を迎えていた。
毎日のようにまとわりついてくる王女を無下にすることもできず、かといって王に迷惑だと直訴するのも角が立つ。爵位を継承して間もないというのにとんでもない面倒事に巻き込まれてしまった。
「ヒュランデル公!今日は一緒に出かけようと言ったではございませんか!」
今も王女が断りもなく部屋の中へ押しかけてトシュテンを無理矢理連れ出そうとしている。しかしトシュテンは断ることも出来ずにされるがまま、王女の言いなりになっている。
「……あの、ソフィア殿下、こういうことは困るのです。それに、領地に帰らねばなりませんし、実は……」
トシュテンは口ごもった。とどめの一言を言ってしまって良いのかと躊躇っていた。
「実は……?どうかしたの?仰ってくださいませ」
トシュテンは純粋で、何も知らない愚かしい目の前の少女を申し訳なさそうに少しだけ見た。
彼女はどこかレリアに似ている。顔立ちから髪色まで何から何まで異なっているが、純粋さという点においてはレリアとよく似ていた。無知であるという点も。
だから、酷い態度をとって無理矢理突き放すことができなかった。しかしそろそろレリアの顔を見に行かなければならない。
トシュテンは覚悟して口を開いた。
「……はあ、恋人がいるのです。結婚も約束していますので、どうかお父上に縁談をなかったことにして欲しいと頼んでいただけませんか?私からは……とても言えなくて」
そこまで言うと、トシュテンはようやく王女を真っ直ぐに見た。
彼女はさめざめと泣いているでもなく、怒りで顔を真っ赤にしているようなこともなかった。ただ、平気な顔をして不思議そうにトシュテンを見上げていた。まるで、だから何だと言うように。
「私は……ヒュランデル公に恋人がいようがいまいが嫁ぎとうございます。しかし……そうですね、確かにそろそろ領地に帰るべきだと思いますわ」
トシュテンは困惑しながらも感謝しようと口を開きかけた。しかし王女は続けて言った。
「貴方のお父上は平民と結婚なさったのですから、その子供である貴方は貴族と結婚するべきですわ。その方を愛人にするのでしたら、構いませんけれど。どうか、考えておいてくださいませ」
トシュテンは呆然として、何を言ったらいいか分からなかった。笑顔を見せて部屋を去る彼女の後ろ姿を見て、ようやく思考が働き始めた。
「どうして平民以下だとわかったんだ……?いや、貴族だったら既に婚約しているからか……」
思っていたよりも狡猾な少女だったのかもしれないと、トシュテンはソフィアはの評価を改めたのだった。
その後、トシュテンは無事に王都を出ることが出来た。そして順調に領地へ迎っている途中、休憩のためにある村へ立ち寄った。
そこでトシュテンは偶然、例の奴隷商人に出会った。
「おい!お前っ!彼女をどこへやった!?」
ふらふらと歩いていた彼はトシュテンの顔を見るなり胸ぐらを掴まんと飛びかかってきた。しかし今のトシュテンはヒュランデル公である。そのため側仕えがすぐさま奴隷商人をひっ捕らえた。
「貴様!この御方をどなたと存じ上げる!!」
「はっ、はあ!?」
みしみしと悲鳴をあげる骨に、奴隷商人は叫び声を上げた。トシュテンはそれがみっともなく思えて、側仕えに命じて拘束するのをやめさせた。
しかし奴隷商人は縄で身体を簀巻きにされて身動きが取れない状態のままトシュテンの前へと放り出された。
「お前、何のつもりで……!」
「お前は平民で、俺は貴族だ。あまり騒ぎ立てない方がいいぞ」
トシュテンはわざわざ屈んで、奴隷商人と目を合わせてやった。すると彼は恨みがましくトシュテンを睨んだ。
「あの子は……!」
「レリアの事か?お前が売り飛ばしたんだろ?」
「違っ……いや、そうだけどっ!」
もどかしく、何を言いたいのかよく分からなかったトシュテンは深いため息をついた。
「それで俺にどうしろと言うんだ?まさか返せなんて言わないだろうな」
「お前の元にいるより故郷に戻った方がいい……お前もわかってるんだろ?」
暫し二人が睨み合っていると、トシュテンは諦めたように笑って立ち上がった。そして何の躊躇いもなく奴隷商人を蹴り飛ばし、極めつけには地面をけって雪をかけた。
「お前に心配される筋合いはない。彼女はここで幸せに暮らしているから、お前はさっさと国へ帰れ」
「クソッ……!このロリコン野郎!」
トシュテンは一度も振り向くことなく、その場を後にした。
しかし、奴隷商人のひと言はトシュテンの確固たる意思に揺らぎをもたらした。