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中編

 婚約破棄となった数日後。

 ソフィーの目の前に現れたのは、幼馴染のハロルド・アシュクロフト伯爵令息だった。


 彼はソフィーの一歳上だ。


 父とアシュクロフト伯爵が学友で以前から家族ぐるみの付き合いをしていたのだ。

 そのためか、母親同士も非常に仲が良い。


 幼い頃からルド兄、と言って本を読んでもらったり、彼の勉強について教えてもらったり、庭で遊んでもらったり……とハロルドが学園に入る数年前まで構ってもらった記憶がある。

 ハロルドは非常に頭脳明晰、優秀で、現在学園に籍を置きながらも、彼の父である伯爵と共に王宮魔導士として活動している。

 

 彼の驚くべきところは、学園に在籍しながらも競争率の高い王宮魔導士試験に合格したところである。

 最年少魔導士として脚光を浴びている彼が何故ソフィーの元へ来るのかが分からず、首を傾げた。



「ル――ハロルド様、今日はどうしてこちらへ?」

「ソフィーに会いに来た」



 ソフィーの言葉に不満げな表情をしたハロルド。

 彼が父の言っていた婚約者候補なのだろう。

 だが当の本人は嫌がっているように見える。彼女は当惑しながら答えた。

 

 

「ハロルド様でしたら、引く手あまたではありませんか。傷物の私の元へなど来なくて良いと思いますが」

「いや、そもそもお前……婚約は相手が有責なんだから、傷物ではないだろう?」

「そうではありますが、周囲からは傷物と見られても仕方ありませんわ」

「そんな事はない。まあ、お前からしたら不本意かもしれないが……」

「不満などありません。ハロルド様も了承されているのでしたら、特に私から言う事はございません。……私にとってはこれ以上ない程ですわ」

「なら良いだろう? それより、その他人行儀な呼び方をなんとかしてくれ」



 余所余所しい喋り方が嫌らしい。

 確かに幼い頃に顔を合わせている間柄としては、他人行儀だったかもしれない。

 


「では、ルド兄様、でよろしいですか?」

「お前。俺をおちょくってないか? ルド、で良い」

「バレてしまいましたか。ごめんなさい、ルド様」



 そう朗らかに笑えば、ハロルドは目を見開いた後脱力する。



「……傷付いてはなさそうだな」



 薄らと彼女の耳に入ったその言葉は、ソフィーを案じる思いに溢れているように思えて。

 彼女は胸の内が温かくなった。

 

 令嬢として傷のついたソフィーだ。

 父も考えがあるようだったので、きっと今だけの候補なのだろう。

 

 期限付きの婚約であっても、また以前のように会話できるのはとても嬉しい。

 

 

「ルド様、よろしくお願いします」

「ああ、こちらこそ」



 そう言って彼から差し出された手を、ソフィーも握り返したのだった。



 ハロルドとの話し合いで、学園では行きと帰りは共にする事、昼食を共にする事の二点が決まった。

 

 だが彼は王宮魔導士の一人である。

 

 現在学園生活も終盤に差し掛かっている時期だ。

 上級生であるハロルドは講義なども取り終わって、王宮に篭って研究を重ねているのではなかろうか。

 そうであれば、学園に通う事もないだろうと思っていたのだが、どうやらその考えは違っていたらしい。


 

「あっちでの研究は一区切りしているから問題ない。それにちょうど学園の恩師に声をかけられて、其方に協力しているから案ずるには及ばない」

「そうですか。安心しました」

「帰りは其方へ迎えに行く予定ではあるが、あまりにも遅いようであれば魔導学の研究室に足を運んでくれると助かる。元婚約者とは顔を合わせたくないだろうからな」

「以前は残念に思っていましたが……元婚約者様と学級が別で良かったです」



 その言葉に目を丸くするハロルド。

 ソフィーが首を傾げれば、彼はプッと吹き出した。



「婚約破棄後に顔は合わせ辛いだろうからな。……だが向こうはそう思っていないと思うがな」

「ルド様? どうしました?」

「いや、なんでもない」



 その言葉にソフィーは首を傾げたのだった。

 

 

 

 婚約破棄した後にハロルドと共に学園に向かえば周囲はどう思うか。


 大多数の生徒は、ソフィーがジュリアンを見限ったための婚約破棄だろう、と判断した。

 その後彼女の隣にいたのがハロルドと知って、納得した者もいれば、地団駄を踏んで悔しがっている者、落胆している者、ごく一部はニヤニヤと笑っている者がいた。


 そして憎悪を募らせる者たちも――。


 多種多様な視線に晒されるソフィーだったが、王宮魔導士として一目置かれているハロルドの婚約者となったであろうソフィーに直接物を言う者はいない。

 

 ……はずなのだが、例外がいた。


 その筆頭が婚約破棄を告げたジュリアンだったのだ。



「ソフィー、何故僕と婚約破棄したの? 僕、その事で両親から叱られたんだよ。僕が可哀想だと思わないの?」

「フォールズ伯爵令息様。私はもう貴方様の婚約者ではありませんわ。ヘイリング伯爵令嬢とお呼びくださいませ」

「なんでそんなに他人行儀なの? 僕、ソフィーの気持ちは分かっているよ?」

「ですから名前で呼ぶのはやめていただけます? それに私、既に婚約者もおりますの」

「……きっと伯爵に無理矢理別れさせられたんだろう? 大丈夫、僕と君が協力すれば、また元に戻るはずだ! 僕の事まだ愛しているんでしょう?」


 

 ソフィーはため息をついた。

 

 もう本日三度目である。

 彼は授業が終わる度に彼女の元へ訪れ、全く生産性のない話……と言うよりも一方的に話して彼女を困惑させていた。


 完全に会話が成り立たないのである。

 

「貴方とは婚約者ではありません」と言っても、「愛想がつきました」と言っても、彼はソフィーが自分を愛してやまない、と思い込んでいるらしい。


 もう既に昼休憩のため、教室には人はまばらだ。


 だからか、ジュリアンは無遠慮に彼女の教室へと押し入り、目の前に腰を下ろしている。

 この男の奇行に教室に残っていた彼女の級友たちは、同情の視線を送る。


 

 もう幾度と繰り返される問答に、辟易していた頃。

 一人の令嬢がジュリアンとソフィーの中へと割って入った。



「ソフィーさん、ハロルド様が来たよ」

「パッツィーさん、ありがとう」

「いえいえ」



 彼女の言葉をこれ幸にと、ソフィーは「失礼します」と立ち上がり歩き出そうとしたが、彼に腕を掴まれてしまう。



「ソフィー、自分の心に向き合って? 素直になって?」



 ――素直になった結果、こうなりましたが何か?

 

 と口から言葉が出そうになって慌てて唇を結ぶ。

 その行動に何を思ったのか、ジュリアンは「やっぱり僕の事好きなんだよね」と目を輝かせた。


 周囲で会話を聞いていた者たちは、ジュリアンの言い分に眉を顰めた。

 そんな周りの空気など気づかないのか、彼はまるで未だにソフィーの婚約者であるかのように振る舞う。


 それを止めたのは、ハロルドだ。


 

「俺の婚約者に何をしている」



 ソフィーが声に釣られて振り向けば、眉間に皺を寄せて立っているハロルドの姿。

 その後ろには何人か級友たちが気遣わしげにこちらを見ている。


 どうやらハロルドに状況を伝え、教室に入るよう促してくれたらしい。

 彼らと目が合ったので声を出さずに「ありがとう」と伝えれば、彼らは安堵したのか手を振って去っていく。


 その間もハロルドの追及は止まない。



「何故婚約者でもないお前が、俺の婚約者の手を掴んでいる?」

「ですから、ソフィーは僕の婚約者――」

「元、だろう? 今は俺の婚約者だが?」


 

 ハロルドが期間限定であっても婚約者として扱ってくれる事にソフィーは感動していた。

 それと同時に、胸の痛みも感じる。


 これは今だけ。舞い上がってはいけない、と。

 

 元婚約者は去れ――言外にそう告げたハロルドの意図を理解したのだろう。

 蛇に睨まれた蛙のように震えるジュリアンは、次の言葉を紡ぐ事なく肩を丸めて教室から出ていった。


 

「ソフィー、腕は大丈夫か?」

「ええ、大丈夫ですわ。ルド様、助けていただきありがとうございました」

有象無象(うぞうむぞう)から婚約者を守るのは、俺の仕事だ」

 


 彼女は目を見開いてハロルドを見る。

 その表情には驚きと嬉しさを滲ませて。


 同時に頬が赤く染まった事に気づいたソフィーは、慌てて言葉を紡いだ。


 本気にしてはいけない、と思いながら。



「本当に助かりました。休憩の度に顔を合わせていたので……少々参っていたところでした」

彼奴(あやつ)はソフィーを蔑ろにしていたのだろう? 今更縋り付いてくる意味が理解できん」

「……以前の私はフォールズ伯爵令息の事を好いていましたから、急に婚約解消を告げられて現実が呑み込めていないのではありませんか?」

「成程な。だからお前に『僕の事が好きなんだろう』と迫るわけか……この後何も起こらないと良いのだが」

「仰る通りですわ」



 二人は顔を見合わせて、同時にため息をつく。

 同時にこの休憩時間は平穏な時間を過ごしたい、と願う。

 

 だが残念ながら、二人の想いとは裏腹に気の滅入る事件が勃発するのである。



「……」

 


 ハロルドと共に昼食を摂っていたソフィーだったが、どうも居心地が悪かった。

 何故か、招かれざる客たちがいるからである。


 食堂のテーブルで向かい合いながら食事を摂っていた二人の元に、さも当然かのようにハロルドの左隣にはカーラが、ソフィーの右隣にはジュリアンが座った。

 あまりにも自然な行動だったため、周囲も二度見するほど。

 ジュリアンに至っては、先程ハロルドに負かされたにもかかわらず、懲りていないようだ。


 そしてさも当然と言わんばかりに、カーラはハロルドに、ジュリアンはソフィーに話しかけてくる。

 

 

「ハロルド様、聞いておりますぅ?」

「ソフィー、それでさ、今度の休日に出かけようよ!」


 

 ここが学園の庭園で誰もいない場所なら、百歩譲って理解する。

 と言ってもソフィーからすればそもそも婚約者がいる人に媚びを売るその神経が理解できないのだが。


 だが、今彼女たちがいる場所は片隅に座っているとは言え、食堂だ。


 不特定多数の人々が行き交う公の場である。

 婚約者がいる相手に対して眼前に迫る程の距離で話しかける行動は、ソフィーの理解の範疇を超えていた。


 ……気づいていないのか、気づいていて敢えてそう動いているのか。

 

 二人の真意は理解しかねるが、いけしゃあしゃあとしている二人の言動に周囲は引き気味だ。


 ハロルドは無言を貫く中、ソフィーは冷淡な対応をとった。

 

 

「……あまりこのような言葉を使いたくはありませんでしたが……フォールズ伯爵令息様」

「なーに? ソフィー。僕のことはジュリアンと――」



 彼女が返答してくれた事に浮かれたのか、はしゃいだ口調で話すジュリアンの言葉をソフィーは手で遮る。

 無礼ではあるが、こうでもしないと聞く耳を持たないのだ。仕方ない。

 

 

「私はもう、貴方様と同じ空気を吸うのが嫌なのです」

 


 目に角を立てた彼女は言い捨てる。


 ソフィーの言葉に成り行きを見ていた野次馬たちは度肝を抜かれたのか静まり返り、物音ひとつしない。

 この言葉ひとつで、彼女はジュリアンに対してうんざりしており、業を煮やしているのだと理解した。


 周辺の者たちだけでなく、言われた本人も硬直している間に、ソフィーはのんびりと紅茶を嗜む。

 

 もうジュリアンの顔を見る事もない。

 完全なる決別である。


 すると静寂な食堂に突如、高笑いが響く。ハロルドだ。

 

 

「流石ソフィーだ。なあ、フォールズ伯爵令息。お前はいつまで元婚約者に縋っているつもりだ?」


 

 蔑んだ視線でジュリアンを見るハロルドに、彼は(すく)み上がる。

 助けを求めようとソフィーへ視線を送るが、彼女は見て見ぬふり。

 カーラですらハロルドに夢中でこちらを見る事もない。

 

 ならば、と周囲を見渡すが、野次馬全員が彼から顔を背けている。


 ここでジュリアンはやっと悟ったのだ。

 ――自分の味方はいない、と。


 彼は頭が真っ白になったのか、呆然としながらも立ち上がり、フラフラと食堂を立ち去っていく。


 背に侮蔑、憐憫、落胆などの視線を感じながら。



 彼が去った後、食堂は何事も無かったかのように動き出す。

 ひとつ変わった事と言えば、ソフィーに対する視線の中に好意的なものが増えた事だろうか。


 ジュリアンの背を追っていたお花畑令嬢はもういない、と示せたためだ。

 

 

 だが、そんな平穏な空気をぶち壊す存在は、もう一人いた事を皆は忘れていた。

 間延びした、媚びるような声が食堂に響いた。

 

 

「ソフィーさん。ちょっと、ジュリアンに対して酷くないですかぁ〜? 元婚約者なのにぃ」



 カーラの言葉にまた空気が一変する。

 再び静寂が訪れた食堂に、彼女の甲高い声だけが耳をつんざく。



「ねえ、ハロルド様ぁ〜、ソフィーさん、酷いと思いません? こんな酷い方が婚約者なんて可哀想ぉ〜」



 相変わらずハロルドは彼女に目もくれない。

 きっといないもののように扱っているのだろう。


 それよりもソフィーは、先程から「酷い」という言葉しか使わないカーラの語彙力に感心した。

 まるで幼子のようだ。


 誰も止める者がいないからか、カーラの愚行は続く。

 いつまで続くのか、周囲が息を潜めて食事をしながらも行く末を見守っていると、痺れを切らした彼女が行動を起こした。


 

「もう、ハロルド様! 聞いてますぅ〜? 私を見てくださいってばぁ!」



 カーラはそう言って、ハロルドの左腕に抱きついたのだ。

 その行為にソフィーだけでなく、周囲も唖然とする。

 

 無表情だった彼女の口角が動いた事に気づいたカーラは、勝ち誇った表情で下品な笑みを溢す。


 ――あのソフィーに勝った、そう彼女が思った瞬間。

 

 カーラの身体に衝撃が走った。


 

 気づけば彼女は床に尻餅をついていた。

 何が起きたのか分からないカーラは呆然とハロルドを見つめる。

 

 当のハロルドは、カーラに触れられたところが不快だ、という事を示すかのように何度も右手で払っていた。



「虫唾が走る」


 

 その一言でカーラは悟る。

 今まで彼が無言だったのは、受け入れてくれていたからではなく……いないものとして扱われていたからだと。


 ハロルドと視線が交わる。

 その視線はカーラの思考が全て見透かされているようで……彼女は生きた心地がしなかった。


 血も凍るほどの恐ろしさを感じて怯えているカーラに、ハロルドは冷淡な視線を送る。

 そして「落とし前は自分でつけろよ」と吐き捨てた。

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