39:平和の崩壊は突然に② 〜sideパレクシア〜
「うまく逃げられたと思ってたのに、なんで今になってやって来るっていうのよ……!?」
今日はご主人様――元伯爵令息のあの男が騎士になるのを祝う日だった。
いつも祝われる側ばかりで祝う側になったことがなかったから、準備するのはとっても楽しかった。屋敷の飾り付けをして、あの男に渡す花を選んで……。
なのにそれが全部台無しじゃない。
どうしてここが見つかったの? 隣国だったら無事だって言っていたじゃないの。パットの嘘つき。
アタクシ、今は見た目だってずいぶん変わってるはずよ。現に今まで誰もアタクシの正体に気づかなかったわ。
アタクシの本当の名は、エトペチカ帝国女帝パレラ・エトペチカ。
アタクシはかつてそう呼ばれていた。かつて、と言ってもそう古い昔のことじゃないわ。あの男と出会う数日前までは少なくとも女帝パレラとして名を馳せていたはずなのよ。
なのにどうしてこんなところで給仕の真似事なんかやっているのかしらね、アタクシは。
ある日突然、冤罪によって帝座を奪われ、処刑されそうになって逃げ出した。
弟のパットに協力してもらって転移魔法を使い、このレシーア王国までやって来て、あの男と出会った。それからずっと彼の屋敷でメイドとして住まわせてもらっている。
もちろん帝座を追い出した妹……パミラへの恨みはある。でも帝座を守り切れなかったのはアタクシの責任なんだもの、わざわざ復讐するつもりはなかった。
それにアタクシ、お堅い喋り方をしなくちゃいけない女帝の仕事には少し疲れていたところだったから、今の方が気楽でいいのかも知れないなんて思い始めていたわ。
そりゃあまぁ、色々と不満がないと言ったら嘘になるわよ? ドレスの一着もないし、掃除をさせられたり洗濯でアタクシの綺麗な手が汚れていくのは屈辱でしかないわ。
それでも女帝に戻るかと言われれば、断じて拒否する。だって……アタクシはあの男のことが好きになってしまったんだもの。
どうしてかしらね。
あの男を好きになった理由はわからない。ただ、出会った瞬間に雷に打たれたような衝撃が走って。気づけばあの男のことばかりを考えていた。
これが恋なんだと思う。アタクシは間違いなく恋をしていた。
いつまでも一緒にいたい。
永遠にこんな日々が続けばいい。
そんな風に思っていたの。
だけど。
「パレラ・エトペチカ。ここにいるのはわかっている。出て来い」
帝国の私服兵が屋敷に押し寄せて来て、あっという間に制圧されてしまった。
帝国はアタクシのことを諦めているんじゃないかと思っていた。でも違ったのね。きっと目を血走らせてアタクシを探し続けていたに違いない。
そしてアタクシはとうとう追いつかれてしまった。
「セルナラータ公爵令嬢、他の子たちを避難させてちょうだい! あいつらの狙いはアタクシ、いいえ、アタシだから!」
「それくらいのことは高貴なるワタクシには既にわかっておりますわよ、パレラ・エトペチカ。せいぜい無様な死を晒さないようになさい」
吐き捨てるように言って、アリサたちのいる厨房へ向かって走り出すトーニャ・セルナラータ。
その後ろ姿を見ながらアタクシは思った。何が隠せていた、なのよ。全部見抜かれていただなんて。
でも今はそんなことはどうでもいいわ。
どうにか兵たちを始末してしまわないと。でもアタクシは所詮ただの無力な女。権力を振りかざさなければ人の一人も殺せない。
どうすればいい? わからない。でもアタクシのせいで皆を死なせるわけにはいかないもの。
だから声を張り上げた。
「エトペチカの者ども、よく聞け。妾こそがパレラ・エトペチカだ。帝国の血の流るる妾を捕らえ、空の民に見捨てられる覚悟のある者は妾を捕らえるなり何なりするがいい」
エトペチカ皇族は、空の民の子孫だと言われている。
そんな皇族を処刑するなんて命知らずにも程があるわ。たとえそれが女帝――パミラの命令だったとしても。
だけどもちろん、こんなことで兵たちが怯むとはアタクシだって思っていない。
あれほど大きくて立派だった屋敷を躊躇いもなく崩した連中だもの、それなりに覚悟は決まっているでしょう。でも時間稼ぎはきっとできるはず。
ボロボロ、ボロボロと屋敷が崩れていく。
アタクシが手に入れた平和が。幸せが。幻想が、全て全て失われていく。
そう。そうよ。今までの日々は幻想。アタクシの夢に過ぎなかったんだわ。
どれほど逃れようとしてもアタクシはエトペチカ皇族。信頼していた妹に蹴落とされた情けない女帝。
故にこうした末路を辿るのは当然のことで。なのに目から涙が溢れ出して、止まらない。
「妾がいかほどの罪を犯したというのか。妾が……アタクシが一体何したって言うのよ?」
「確かにキミは何もしていない。まあ、弱いことは罪とも言えるかも知れないし、何もしなかったことが災いしたのだろうけど、ボクのように強大な力をもたいないキミにそれを言うのはちょっとばかり酷だから――」
その時、アタクシの目の前に魔女が現れた。
魔女だった。黒髪に黒瞳、いつものメイド服。それはこの屋敷で働く怪しげなメイド。なのに、前髪を上げ、顔を晒した美貌の少女を見た瞬間、アタクシは理解した。
「ボクが力になってあげてもいいよ?」
そう言って悪戯っぽく笑うのは、アタクシを帝座から蹴落とした一人である女、魔女ルクルーレだった。
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