32:メイド選手権④トーニャ
「我が雄犬は相変わらずの鈍間のようですわね。食事は用意してやりましたわ。呆けていないでさっさと食らい尽くしなさい、この愚物が」
朝一番に顔を合わせてかけられたのがこの言葉だった。
おはようの挨拶も何もなく、まず罵倒である。トーニャらしいな、と思った。
メイド選手権四日目。
早速何のためにやっているかよくわからない告白合戦と化しているこの催しは、今日はトーニャの担当である。
今日一日中罵倒されるのかと思うと少し気分が暗くなったが、でも幼い頃からの付き合いだ。これくらい慣れている。
「トーニャと二人きりなんて久しぶりだもんな」
「さっさとなさいと、そう言ったのが聞こえませんでしたの? その耳が不要なら切り取って差し上げてもよろしくてよ?」
「ああ、食べます食べます」
感慨に浸る間もなく朝食の席に着かされる。
そこにはなぜか誰もいなかった。俺が首を傾げていると、「これ以上面倒ごとが増えればワタクシの職務が侵害される危険性がありましたので寝かせておりますわ」とのこと。乱暴なことをしていないといいが、確かめる勇気がない。
ちなみに料理はエメルダよりも美味かった。ギョッとするくらいだ。一流の料理人でもこんな味はなかなかない。
驚いているとトーニャが「ワタクシの高貴なる力のおかげですわ。せいぜい感涙しひれ伏すが良いですわ」とすました顔で言う。
高貴なる力とやらのことはよくわからないが、とにかくすごい。
「どうして毎日料理してくれないんだ?」
「面倒だからですわ。ワタクシの担当はこの養豚場を清掃すること。それ以外の仕事を受け持つつもりはございませんわよ。今日は特別、我が雄犬にワタクシの素晴らしさを教え、他の雌豚たちを泣かせるために作って差し上げたまでですわ」
「そうか……」
なんと言っていいのかわからず、俺は黙り込んだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
トーニャはさすがセルナラータ公爵家の次女だけあって、何でもできた。
家事も習えばすぐできたのは見ていた。彼女は一度教えられたことは決して忘れない。見事にこなし、周囲を圧倒させるのだ。それは昔からずっとそうだった。
毒舌がなければ、きっとどの国の王子も求むようなそんな才女。それがどうして俺の元でメイドなどしているかが不思議でしかない。
「なぁ、トーニャはなんでこんなところにいるんだ?」
「なんとも愚かな質問ですわね。雄犬が動物小屋に篭っているからですわ。ワタクシはそれを躾ける義務がありますもの」
「俺のことなんて放っておいて、好きなことしていいんだぞ? 俺だってもう子供じゃない。――エトペチカ帝国の皇子との婚約、受けるんじゃなかったのかよ」
「何の話かしら。あの子豚皇子との婚約はきちんと破談にしてやりましたけれど?」
実は俺が伯爵家を追放された頃、彼女には婚約者がいた。
エトペチカ帝国皇子、パット殿下。十三歳にして超優秀だと有名だが、体型がいささかぽっちゃりしているので子豚皇子とトーニャが呼んでいたのは知っている。
知っているが、まさか隣国の皇子との婚約を破談にするなど。
「あり得ないだろ……それも、俺を追って来るためか?」
「飼い犬を連れ戻すのはついでに過ぎませんでしたわ。ワタクシ、子豚皇子のことが嫌いでしたの。それにそもそも内戦をするような愚かな国に嫁ぐつもりはさらさらなくってよ」
「内戦?」
「あら、そんなことも知りませんでしたの? 馬鹿ですわね」
ふっ、と鼻で笑い、俺を見下してからトーニャは語り始める。
「数ヶ月前、エトペチカ帝国の女帝が行方をくらましましたのよ。
三年前に皇帝が放却し、第一皇女が国を継ぎましたわ。それはさすがの雄犬でも噂くらいは聞いているでしょう。
最近になって裏切り者の皇女が謀反を起こし、女帝の命を奪ったのではないかという話ですわ。現在はその皇女が新たな女帝の座に君臨していますの。
そして子豚皇子は元女帝派。当然命すら危うい状況であり、そんな男の元に嫁ぐことはできないと言えば婚約はすぐさま解消されましたわ。もちろん向こうの有責で。
何でもないことのようにトーニャは言ったが、エトペチカ帝国のことは一大事だ。
帝国は大陸最大の国であり、なんならこの国まで揺るがしかねない大事件が起きているらしい。貴族社会を離れてしまった俺はまるで知らなかった。
「今は子豚王子が生存しているか否かも怪しいですけれど正直どうでもいいことですわ。ワタクシにとっては、この戦いで勝ち、飼い犬を手懐けられるということの方が大切ですもの。
さあ、無駄話を聞いている暇があるなら仕事にでも何でも行きなさい。働かない無能は殺されても文句は言えませんわよ」
バタン、と音を立て背後の扉が閉まり、俺は屋敷を閉め出された。
先ほどトーニャに聞かされた国の情勢だとか、トーニャの本心だとか色々気になることはあるが後回しだ。考えても仕方ないことは考えない、それが一番なのだ。
そう思い込んでそれ以上深いことは考えないようにした。
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