27:ウィルド様のいない間のお屋敷で 〜sideアリサ〜
「行ってらっしゃいませ、ウィルド様! 絶対のぜーったい、ご無事で帰って来てくださいね!」
「毎度毎度そんな死地に送り出す時みたいな涙目でのお別れしなくていいって言ってるだろ、はぁ。……行ってきます」
なんだか困ったような顔をしながらウィルド様がお仕事に行くためにお屋敷を出て行かれました。
ウィルド様はアリサのご主人様であり、命の恩人であり、アリサが大大大好きな人です。これがお母さんの言ってた恋なんだな〜と実感する度、なんだか嬉しくなります。
アリサはずっと、お母さんと二人で泥水を啜りながら生きていました。
アリサのお母さんは娼婦でした。毎日汚い男の人たちに囲まれて苦しむお母さんを見るのが辛くて、それでもアリサは何もしてあげられなかった。お母さんは元々男爵令嬢だったらしいですけど、王子様――今の国王の兄だった人と恋に落ちた挙句、王子様の婚約者とかいう人に嵌められて娼婦にされたそうです。
いくら男の人に乱暴されるのを耐えても、もらえるお金はほんの少し。結局毎日食べられるものをゴミ捨て場から探して来ては口にする、そんな毎日でした。
こんなのひどい。ひど過ぎます。
だってお母さんは恋をしただけなのに。いつも王子様のことを話してくれる目はキラキラして綺麗なのに。
……そして王子様の話を聞く度に、どこの馬の骨とも知れない男から生まれてきた自分のことをアリサは恨めしく思いました。
それでも優しくしてくれるお母さんは素敵な人です。本当の本当に、優しい人でした。
「いつかあなたも恋をするようになるわ。そしたらあなたは、幸せになりなさい。どんなことがあっても」
悲しそうに笑うお母さんの顔が今でも頭から離れません。
恋をしたい、とは思ったことがありませんでした。お母さんみたいに苦しい思いをするのは嫌だったから。
でもお母さんが死んで、お母さんのお客さんだった悪い男の人に襲われて……それをウィルド様に助けていただいた瞬間、恋は始まっていて。
どうしようもなくアリサは、ウィルド様のことを好きになっていたんです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「いつまで突っ立っていますの、ピンク頭。そんなに不用心ならいつ殺されても文句は言えませんわね」
初恋の思い出――と言ってもまだ初恋中ですけど――を思い返していると、後から不機嫌そうな声が聞こえてきました。
紫髪をお団子に纏めた背の高い女の人。アリサと一緒にこのお屋敷で働くメイドの一人、トーニャおねーさんです。
この人、ひどいことばかり言うのでアリサは嫌いです。ウィルド様を箒で叩いたこともあります。本当の本当に許せません!
「なんですか、トーニャおねーさん。アリサとウィルド様の愛の時間を覗き見して、恥ずかしくないんですか? ウィルド様に行ってらっしゃいを言うのはアリサの特権です。これだけは絶対に譲れませんよ!」
「盗み見なんてしていませんわ。はしたないことを言わないでちょうだい」
「ふーん? アリサはずーっと見てたんですからね? トーニャおねーさんが棚の隙間に潜んでじっと見つめてたのを! バレバレですよ!」
「思い込みで物事を語るとは低俗の極みですわね。そんなくだらないことを言っていないでろくでなしはろくでなしとしての仕事を果たしなさい」
「なんで命令されなきゃダメなんですか! アリサのご主人様はウィルド様ですよ! それに、アリサはトーニャおねーさんのことが嫌いなので聞きません」
ぷぅ、と頬を膨らませて怒鳴ると、トーニャおねーさんはあからさまに嫌な顔をします。
そしてこんな怖いことを言い出しました。
「ワタクシは公爵令嬢ですわよ? あなたのような雑魚一人消すことなど容易ですの。この意味が鳥頭のあなたにもおわかりになって?」
「そんなことしたら、ウィルド様が黙っていませんよ? アリサはウィルド様にとっても大事にされてるんですっ! 少なくともトーニャおねーさんには負けませんから!」
「羽虫がやかましいですわね。殺処分した方がよろしいかしら」
「……お二人とも、何を騒いでいるんですか」
アリサたちが玄関前で言い争っていると、突然呆れたような声が割り込んで来ました。
青い髪をおさげ髪にしたメイドさん、エメルダおねーさんです。この人はアリサの最大のライバル。なんと、ウィルド様の胃袋を掴もうとしている……というかもう掴んでしまっているのです!
「エメルダおねーさん、トーニャおねーさんがひどいんです。自分がウィルド様とくっつきたいからって、邪魔者のアリサを消そうとしてるんです! アリサの初恋の人はウィルド様なのに! アリサが最初にメイドになったのに!」
「ふざけたことを言うのも大概になさい。ワタクシがあの雄犬とどれだけの時間戯れていたと思っていますの? ピンク頭はまるでわかっていないようですわね」
「そんなことで争わないでください。私たちの誰が女として魅力的か、それを決めるのは旦那様なのですから。……もちろん私は、可哀想な旦那様を遠目から愛でるだけでも構わないのですが」
「そう言いながら負ける気なんてないでしょう! 横取りなんてずるいですよ!!」
でもアリサがいくら叫んでも、おねーさんたちはふふっと笑うだけでした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
実はこのお屋敷で働く五人のメイドは、全員ウィルド様のことが好きらしいのです。
パレクシアおねーさんも、エメルダおねーさんも、口にも態度にも決して出さないけれどトーニャおねーさんも、そして新しくやって来たルルおねーさんも。
みんなみんな、ウィルド様を狙ってるんです。
ウィルド様のお嫁さんになるのはアリサなのに。
胸が大きい、料理が美味しい、身分が高い、恐ろしい魔法が使える。これが一体何だって言うんですか。
恋する乙女の必勝法。それは可愛さと健気さ! どちらもアリサに当てはまっています。つまりアリサが一番なのは間違いないことなんです。
……だってそうじゃなくちゃ、お母さんの言葉を裏切ることになってしまう。それだけは嫌でした。
「何を騒いでいるんだい? 面白いことならボクも混ぜてもらおうかな?」
「ならアタシに妙案があるわ!」
その時、現れた人物が二人。
一人は黒髪で顔を隠している、とても不気味なルルおねーさん。
そしてもう一人は、輝くような金髪に豊かなお胸とお尻の女性。アリサがこのお屋敷でウィルド様の次に信用している人、パレクシアおねーさんでした。
まあ、パレクシアおねーさんも恋のライバルですけど。
またしても嫌そうな顔をするトーニャおねーさんと肩をすくめるエメルダおねーさん。
そんな二人を全く気にすることなく、パレクシアおねーさんが提案したのは。
「お役立ちメイド選手権なんてどうかしら?」
さっぱりわけのわからない話でした。
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