彼女はうたう朗々と
彼女は歌う朗々と、芝居のワンシーンのナレーションのように自分の思いを歌うのだ。登場人物や状況、出来事などはすべて架空です。とりとめもなく浮かんだふんいき。「彼女」の真実は彼女にもわからない。ましてや、別の存在である筆者にもわかるはずもなく。だから、筆者の憶測でしかなく、それも、いま、この瞬間浮かんで・・・次の瞬間には別の解釈をしているかもしれない・・・そういう、つぶやきです<(_ _)>(*^-^*)いつもお付き合いいただきありがとうございます<(_ _)>(*^-^*)現実の生活は普通に元気にやっております!
彼女が
なにか
うたうように
語尾を上げてとなえるとき
それは
事実というよりは
彼女の中の真実
ある種の
願望
作り話
である
可能性がある
彼女が
自分にとって
つらい話をするとき
主語とか
シチュエーションとか
いろんなものをすり替えて
その
つらい感覚だけ
表出するような
不思議な話を
唐突にすることがある
まるで
傍観者のように
とおい
物語の中の
出来事のように
幼かった私は
それらすべてを
文字通り
真摯に受け止めた
ほんとうに
文字通りの
事実だったかもしれないけど
ひょっとすると
そのことばや
物語の裏に
彼女の
知られたくないけど
一人で抱えているにはつらい
そういう
真実が
隠れているのではないかと
その仮説に思い至ったのは
その
リアルタイムから
はっきり言って
半世紀前後も
過ぎようとしたころだ
いまごろ
考古学や
古生物学の
発掘調査のごとく
記憶の
水底に沈む
それでも
今も色鮮やかな
あのころの
空の色
道端
家の情景
見聞きした風物
ありありと
思い浮かべて
あれから
ほんとうに
半世紀もたったのだろうかって
わたしは
きつねにつままれているのだろうかって
その
半世紀前の
リアルタイムから
ものすごく賢くなったか?
進歩したか?といえば
大して変わらない
すべて
つい
きのうのこと
わたしのこころは
かわらない
ただ
たしょう
すれて
おばさんになって
とぼけることが
できるようになった
ひきょうに
なっただけってとこかな
そして
その狡さの分だけ
嫌われたり
攻撃されたりすることが
ようやっと減った?
ただ
直面を避けているだけともいう
しかし
いのちには
かけどきがあるから
だいじに
つかうことも
だいじなのだ
・・・・・
彼女はうたう
朗々と
あるべき自分を
演じる
かろやかに
それいがいの
自分は
見せたくない
どんなに
一人で抱えていることが
しんどくても
そのみにくい・・・と彼女が思い込んでいる
自分の
真実の姿を
自分以外の他人になど見せられない
自分だって
そんな自分は
好きになれないんだから
許せないんだから
そして
そうやって
いっしょけんめい
理想の自分を
紡いで
演じて
ぬりかためて
それで
どうにかこうにか
なんとか
バランスをとって
やってきた
そのこと自体は
もうそれでいいのだし
ここまでやり切れば
それがすでに真実
それ以外のやり方を
いまさら
模索する
必要性もない
守るべき
自分の虚像
自分の真実だと
彼女が信じている
虚像
でもそれは
すでに真実である
必要な虚像
その虚像が
美しく
輝いていて
彼女にとって
真実であるならば
彼女はそれで
何とかやっていけるのだ
その
努力を
否定して
なんになる
歌うように朗々と
芝居のワンシーンの
ナレーションのように
王子は王子らしく
シンデレラはシンデレラらしく
真実のしあわせに
たどり着いたのだと
すべての苦労は
この大団円にこそ
むくわれたのだと
彼女は歌う
朗々と
歌い続ける
いつもお付き合いいただきありがとうございます<(_ _)>(*^-^*)内容は架空です。筆者の現実の生活は普通に楽しくやっております。とくに落ち込んだり、だれかともめたりしているわけではないです<(_ _)>(*^-^*)ご心配おかけしてすみません・・・<(_ _)>(*^-^*)