第一話『六兆年と一夜物語』
「随分と、悲しい歌を聴いているんだね」
部屋に入って来た男が言った。
「嫌な歌よね。昔の自分の事みたいだわ」
そういう彼女はどこか嬉しそうで。
「でも、この歌を聴いて、過去の自分に泣いてあげるのも、悪くないなって思ったのよ」
『名もない時代の集落の、名もない幼い少年の、誰も知らないお伽噺』
そう、あれは千年前ーー
非科学的な存在が、まだまだ信じられていた頃。
村の長老が予言した。
「この胎児は凄まじい力を持っている。それが善となるか悪となるかは分からぬが……。子に名は付けんことじゃ。名は存在証明となり、更なる力をもたらす事となる。もしこの子が悪だった場合……わかるであろう?」
そうして名無しの私が生まれた十三日の金曜日。それは不吉を意味するもので。
「やっぱりあの子は悪魔の申し子なのよ」
「どうしてそんな子がこの村に生まれてきたのかしら。怖いわ」
『生まれついた時から忌み子、鬼の子として、その身に余る罰を受けた』
人々から隠れるように暮らし、名もない私は存在しないも同義で。
思い出すのは、夕暮れに、母がこっそり外に連れ出してくれたことでーー
『悲しいことは、何もないけど、夕焼け小焼け、手を引かれてさ』
だけどそれも束の間ーー
「何………してるの……?」
食事中に母が見せた悲愴な顔。
「この手は!使っちゃいけません!!」
わけがわからなかった。あの日までは。
『知らない、知らない、僕は何も知らない。叱られた後の優しさも、雨上がりの手のぬくもりも』
突然の豪雨と水害。神様がお怒りになっていると、村人達が押し寄せる。
「こんな水害、今まで一度だってなかった。行方不明者も大勢だ……!おまえのせいじゃないだろうな!?」
「あなたたちのせいに決まってるわ!私達何も悪いことしてないもの!」
「どちらにせよ、神への生け贄が必要だ。忌み子は連れて行く!来い!」
忌み子?何、それ……
目を見開いている私の前に、男の手が迫る。
「やめて!こないで!」
子どもながらに危機を感じ取り、咄嗟に掴んだ花瓶を振り回す。その時掴んだ方の手は……
「おまえーー」
「左、利き……!?」
周りのざわめきと共に、母の顔が紙のように白くなっていった。
「何故、黙っていた……!」
男が震える声で絞り出すように呟く。
「左利きには悪魔が宿ると……知らないわけじゃないだろう!!」
「それは……」
ああ、だから母はあの時咎めたのだ、と妙に冷静に思いながら。
「もう、いい。本当に悪魔だと確定した以上、我々は『それ』に手出しは出来ぬ。何をされるかわからんからな。ゆえに………」
先程私を引きずって行こうとした男か、キッと母を睨む。
「生け贄にはおまえがなってもらう。悪魔の子を産んだ罪に対する罰として」
「!!」
「連れて行け!!」
男達に囲まれ、母は家の外に連れ出された。
「待って!」
精一杯叫ぶけれども、母は振り向きもせず言った。
「どうしてこんなことになってしまったのかしら。どうしてあなたみたいな子が生まれてしまったのかしら。どうして………」
空虚な声で。
「もう、疲れちゃった……。でも、これでもう終わり」
母は未だ増水し氾濫している川に向かって身を投げた。
そんな様子になんの感慨も見せず、男達は忌々しげに私を見た。
「これでおまえに帰るところはない……。この村から出ていけ。そして二度と帰ってくるな」
そうして私は一人ぼっちで、村を追われる羽目になった。
男が実の父親だったと、知るのはずっと後のこと。
『でも本当は、本当は、本当は、本当に寒いんだ』
村を出て、走って走って走って逃げて。
どこをどう歩いたのかもわからなくなって、木の下でひっそりと泣いた。
足は痛いし腹は減った。もうどうしたらいいのかわからない。
せり上がってくる嗚咽を抑えるのがやっとで。
そんな時だった。
「どうしたの?」
少女が声を掛けてきた。
見るからにいいトコのお嬢様という出で立ちで。明らかに、自分とは住む世界が違っていて。
だから、何も言えなかった。