『順応の第一歩』
「いいですよ。協力しましょう。」
一宿一飯の恩がある。それに文明レベルが元の世界とあまり変わらないのだから帰還する手段もなさそうだ。なんて理屈で自分を納得させる。
本音は目の前の麗人の訴えをつい承諾してしまっているだけだけど。
「ありがとうございます、現人神様。」
南屋さんはニコニコしながら私の手を引き……
「スオとお呼びください。さあ、深雨森を案内しますよ!」
森へ駆け出した。
一転、とても元気な声だった。
スオさんについて森を見回るのだが、まあこれが大変に広い。広いだけならまだしも複雑怪奇。あやうく彼女の姿を見失いかけたときの不安感は半端ではなかった。
「身体が森を覚えているはずですが、まだこちらに慣れておられないご様子なのでしょう。」
そう言って逐一道のりを口に出して案内してくれた。
「見ていてください。」
私を立ち止まらせて小石を目の前に投げるスオさん。土の上に転がるだけだと思ったけれど、その石は積もった落ち葉を一息に突き抜けて見えなくなった。
土に当たる音ではなく、何層も落ち葉や小枝を突き抜け続けるガサガサとした音が鳴る。
「危険ですから道に慣れるまで私の案内は守ってください。」
はい。
それから1週間ほど。
教えてもらった道はなんとか覚えた。
生活の中心地である拠点の家の前の比較的開けた場所から進んでどのあたりで森に入っていけばそれが道で、その後どのくらい進めば各種の目的に沿った物資が手に入るところへ通じる分岐が現れるかといったことである。
一人で歩く森は最初、どこが道か正直わからなかった。
覚えた場所は多岐にわたる。
食べ物になる草木や果実、きのこ類、日常生活に有用な土や岩石、薬草などのある場所だったり小動物に対する罠を仕掛けるに適切な場所であったり建屋、倉庫等の簡易的な修復に用いたり罠を構築するために必要な材料となる細い樹木や薄い樹皮のとれる大木、蔦などが生えている場所だったりした。
もう一度言うが、道といってもかつての道であり、注意深く見ないとそこにあるとは思えないようなものだ。現在では彼女一人が通るのみとなっている。
ここがその分岐路であるという説明を聞いて一度目的地までの案内に同行してみれば、そうか、ここに通じるのか、と実感も出来ようが、そうでなければ行く気も湧かないような道筋である。
また、この森はスタート地点の開けた場所から森のより深い方へと入ると周囲がぐんと暗くなり、加えて上から差してくる少し強めの木漏れ日の向きが場所場所によってばらばらとなる。
さらに微妙に似た場所が何箇所もあるだけでなく、進むごとに景観は高低差の大きな地面を巻き込んで壮大に変化しているようで、身の回りにあった森林にないスケールが自分の中にある距離や方位の尺度を混乱させてくるのだ。
そういうわけで最初の学びはただただ道を覚えるという幼稚園〜小学校で身に着けるレベルの技術だったが現代っ子の自分にとっては相当の難易度で、長い間スオさんに同行する日々が続いた。
文字通り一歩間違えれば不意の転落の危機があるのだから仕方がないが……。
運べる荷物の量が二倍になって助かると彼女は言っていたが、個人的にはより生活に余裕を出したい。双方のいる場所に関わらず同時に別の作業を進行できるようになった方が遥かにいいだろう?
そして一ヶ月が経った。
日常的に野山を渡り歩いて周辺の町村の市場に赴いていたという曽祖父の代なら難なく適応できたのだろうか。