『南屋スオの執心』
「何だったんでしょう、今の。」
顔を窓の方に向けたまま尋ねる。
これから尋ねようとしていたことは全て頭の中から飛んだ。CGの進歩がいかに著しいかはゲームを遊んでいる自分もよく知るところだ。だけど、質感を含めてあの龍は本物だと思った。
少ししか記憶に残らなかったが……絶妙にバランスの崩れた姿勢、オリジナリティ強めのデザイン、無駄な汚れの多さ。この部屋の金属について考察した時と同じで、必要ないのだ。そんなものは。
サプライズを企画するにしても、新進気鋭のVR機器のテストを行うにしても、何らかの違法行為を行うにしても。費用は絶対にどこかでケチる。
あの龍は現実だ。
「森龍の一種でしょう。そういえば巣立ちの時期ですし……。そうだ、きっと現人神様の御帰還を感じ取って挨拶に参ったのでしょうね。」
またこのとき同時に、全く普通のこととして受け入れていて、なおかつ解説と耳に心地の良い言葉まで添えてくれる南屋スオという人物に。私は奇異なものを改めて感じたのだった。
汁物のお椀に口をつけて、つーっと麗しく喉へものを運びながら眼を閉じている南屋さんを密かに見つめて次なる質問を練り直す。
「あの、」
「はい……?」
ずっとにこやかな笑顔の南屋さん。本当に美人だ。思えばこちらにお邪魔させていただいてからずっと明るい表情が絶えない。しかし
「この森ってどこにあるんですか?」
そう言うと彼女はやや残念そうな顔をして食事を止めた。なぜそんな表情になったのか、この時は分からなかった。
「ここ、深雨森は。」
「大聖王中枢国家体の最南部地域に位置します。」
何処……?
朝食のあと、南屋さんは笑顔こそ変わらないものの、前よりかは落ち着いた雰囲気を纏っていた。
現人神としてこの世界に来た人物は私が最初ではないらしい。
「先代も、二代前の現人神様もそのようなことをおっしゃっていました。自分は別の世界から来た、と。」
聞いてもいないのに一つ一つ彼女の生活周りのことから話し始め、大陸全土、惑星全体にまで話が広がった後に再度身近な話へ戻ってきて。
現人神の説明をしてくれた。
「現人神様はこの深雨森の主です。」
「左様ですか。」
椅子に座って真面目に向かい合った姿勢。
これまで聞いた内容も信じがたいのではあるが、こと自分に関して讃えるような内容については受け取り難い。
大体、自分は一刻も早く帰りたいのだ。
とはいえ。
話し方こそ穏やかなものの、目の前の彼女が熱心に入れ込んでいることを知っているので俄かに否定するのも忍びない。
「その、現人神様って言われても自分のこととはなかなか思えないです。」
正直、様付けで呼ばれるのはとても気分がいい。それも相手が美人のお姉さんとも来れば喜ばぬものはいないだろう。
だけどなんのことやらわからないまま神様呼ばわりされるのは気色が悪いものだ。
その旨を伝えると今度は南屋スオさんと現人神の関係について語ってくれた。
「お許しください。貴方様のことを『現人神様』と呼びたくて仕方がないのです。」
「私が現人神様に初めてお目にかかったのは……おそらく生まれてすぐの頃でした。」
「先代の現人神様?」
「あの方は先々代にあたります。」
天井を見上げて遠い目の南屋さん。
「私が成人するまでの間、あの御方は私たちを庇護してくださいました。先ほど説明しました通り、まだ深雨森に八十人程度の規模の村が存在した時代です。」
「庇護するって……具体的には?」
ドラゴンを始めとして様々な動物や種族が存在する世界だ。現人神と言われるなら特殊な能力を持っているに違いない。
「ええ。具体的な例を挙げると、作物の実りが増すように水脈を操ったり、土地開発の障害となる大岩を地中へ戻したりなど正に神通力でした。」
すげえな、こっちの現人神。
霊験あらたか過ぎる。
「申し上げましたように、現人神様はこの森の主。全てを司っておられるのです。」
「ところが……っ」
声がくぐもった直後、スンっと無表情になった南屋さん。
あまりに急な雰囲気の変化をうっすらと感じとる。
彼女の心中の変化を読み取るくらいなら容易い。さっきまでの話の流れだと次に話すのは私以前の現人神がどこへ行ったかだ。それに詰まるということはつまり──
きっと……。
その現人神が死んだか。なんらかの理由でいなくなってしまったのだ。
「ご明察ですね。」
翳った笑顔を向けてくる彼女を見て、少し辛いことを思い出した。それは誰にでもある別離、身内や知人の死──
「待ってください。私が三代目ということは前に二人いるということじゃないですか。」
疑問点に声を挙げたらすぐさま返事が帰ってきた。けれど、途中で思いに迷いがあったのか、語気が伸びていく。そして調子はずっと弱くなって。
「ええ、ええ……そうです。」
「私にとって最初の現人神様は或る日その行方がわからなくなったっきり。そして次の現人神様は……、……」
がたり。
音を立てて椅子が持ち主を離した。
動きは緩慢だが何故か目が追わず、自分は彼女が背後に回る様子をほぼ確認できなかった。
「現人神様。」
後ろから椅子ごと抱きしめられる。
その腕は柔らかかった。私次第ですぐにでも抜けられるよう、加減がされたように。
「どうか……私を一人にしないでくださいませんか。」
声の響きは強く、私の意思を静かに打ち砕いた。
この時だと思う。
帰ろうという気持ちがなくなったのは。