即決
「名前を聞いてもいいですか」
「え? ええ。俺はハマンと申します」
「ハマン……さん。私は……メンフィスと申します。メンフィス・……エーロ」
小さくなる可愛い声。素敵な名前だ。
だが、最後の「エーロ」を聞き逃さなかった。エーロ、エーロ? ……つまりは王族の血筋だ――。
軽々しく話などをしては、――処刑されてもおかしくはない。
鼻水がついて、汚してしまったハンカチを見て、驚愕してしまう。
これを返していいものだろうか……。いや、駄目だろう。手が小刻みに震えだす。
「メンフィスよ、こんなところで何をしているのだ?」
なんか……聞き覚えのある男の声が聞こえ、まだドキッとしてしまう。さっきからドキドキの連発だ。
振り向くと、まさかの王様が、冷たい笑いを浮かべて俺の目と汚れたハンカチを交互に見ているではないか~――!
見ないで――。
お願いだから、殺さないで――。
思わず土下座した。
「おおおお、おっ、おっ、王族の方と知りもせず、軽率に話しをしてしまい申し訳ございませんでした――。このハンカチーフは必ず洗濯してお返しいたしますので、どうか命だけはお助け下さい」
お命だけは――!
「ならぬ」
ひえー、――あまりにも、御無体――!
「お父様、私が貸したのですよ。そんな酷いことを言うのなら、私はこの者と王都を出ますわ」
――?
なんて言っているのか、意味が分からない……。
「ハハハ、冗談だ冗談。わしの可愛い一人娘に悪い虫が付かないか、そっと隠れて見守っていただけだ」
「お父様ったら、ひょっとして出歯亀……?」
「ハッハッハ。あ、そうだ。この者ハマンには褒美を取らせると言ったのであった。予の一人娘をやろうか?」
えー? 顔に青い線をたくさん書かれた気分だ。
「メンフィスよ。お前も「そろそろ結婚したい~」とか、「婚期に遅れる~」とか、言っていただろ。このハマンでどうだ。こう見えても、実は凄い男なんだぞ」
「めめめっめめ、滅相もございません――!」
王様の一人娘を褒美に?
いや、いやいや、夢なら覚めないで欲しいところだが……。
「俺は何も凄い男なんかじゃありません――」
「へ? 王都の危機を救ったのに? 謙遜しおって。ハマンがおらねば今頃は予も娘も月の下敷きになっているところだ」
……今の俺こそ、プレッシャーに押し潰されそうだっ。
「ちょっと、お父様ったら勝手に決めないでよ。私にだって旦那を選ぶ権利があるはずよ」
「ああ。そうだったな。じゃあ……ハマンはどうだ? 王位継承にこれっぽっちも欲のない純な男じゃぞよ」
メンフィスは美しい顎に手を当てて悩んだ顔を見せる。まるで……お出掛けはどのバッグにしようかしらと迷う……若い女子のようだ。
「うーん」
神妙な顔で考えてくれるのは嬉しいが……。いや、俺なんて奴隷だし、昨日まで他人だし……。
腰巻き一枚だし……。
「友達からなら……いいわ」
「プッ」
凄く微妙な娘の反応に、エーロ王が思わず吹き出した。
「ハッハッハ、じゃあお前の好きにしなさい。ハマンよ、他の褒美が欲しければいつでも申すがいい。他の女がいいのなら率直に申せ」
「――お父様!」
「は、ははー。……は?」
頭の中が真っ白になっていた。
友達関係から二人の交際が始り……数日後、エーロ王は正式に褒美として、二番目に大きな宮殿と、大切な美しい一人娘を俺にくれた。マジでくれた……俺なんかに……。
身分差甚だしい。それなのに、宮殿内に住む王族達は大歓声で二人の結婚を祝福してくれた。
どうかしているのかもしれない。この王族達は……。
他の部族の犠牲による幸せなど……決して長く続くはずがない。……だが、だからこそ今だけの幸せを存分に楽しんでいるのか……。不幸が続いたからといって――いつか幸せがくるなんてことは……ない。だとすれば、幸せな時には、思う存分幸せを満喫しておかなくてはいけないのか……。
メンフィスと俺は幸せに暮らし、子供もたくさん授かった。奴隷の俺には縁がないと諦めていた家族を持てた。そして、王族としてエーロ文明を発展させるのに末永く貢献したのだ。
これからも多くの子供達が不自由なく生きていける安全な世の中を目指した。
奴隷もハーレムも、そして「月落とし」を企てるような恐ろしい者たちも……この世には……いらない……。
幸せを感じる度に、あの女、メテオ・ロゼットの言葉が思い起こされる。「フフフ……。我が一族の血を引くものが……、いずれは月を落とす。その時までせいぜい夢を見ているがいい」呪いの部族は一斉に処刑され、村は焼かれて一夜にして姿を消したのだが……。呪いの部族の血筋は……本当にすべて絶たれたのだろうか……。
月落としの呪いを誰も戯言とは疑わなかった。なぜならあの日、一夜にして月は不気味なぐらい大きくなったのだ。小さな豆粒のようだった月が、今ではクルミぐらいの大きさにまで膨れ上がって見える。月の小さな模様や満ち欠けは、天文学者達を混乱させた。
月落としを企むほどの……恨みが……この地からなくなることはあるのだろうか……。
それから数千年の年月が流れた――。
繁栄の極みを見せたエーロ文明は、一夜にしてその姿を廃墟へと化したのだ。
観測史上初、類を見ないゲリラ豪雨により、エーロ川の堤防が決壊し氾濫した。それと同時に起こった大地震はピラミッドをも崩し地盤をゲル状化させ、大きな岩山ですら濁流が下流へと押し流した。
その後、さらに千年にわたる地盤の歪みでエーロ文明の廃墟もエーロ川へと飲み込まれ、……やがてはエーロ川も度重なる地震で塞がり、大河が山脈にその姿を変えると、周辺の水はすべてナイル川へと移り変わった……。
ナイル川流域に数千年にわたりエジプト文明が栄えることとなり、エーロ文明は地表にその存在すら残すことはなかった――。
読んでいただきありがとうございます!
この物語は「現代編」へと続く予定です。今のうちにブックマークをよろしくお願いしま~す!
感想、ポイント評価、レビューなどもお待ちしております!