非常事態?
ジョナが少し離れて後ろをついてきているのを確認しながら、地下三階への非常階段を静かに身を屈めて上がる。
「おいガッポ。さっきの話は反則だぞ」
小さな声でガッポの耳元で囁いた。ジョナには聞こえないように。
「なんだと?」
「どこで覚えたか分からないが、あれは俺のセリフだ。綺麗ごとをジョナの前で言って、これ以上、ジョナの気持ちを弄ぶのはやめてくれ」
「ヘイ、ラリー。また嫉妬か?」
……やっぱり腹が立つ。
「ふん、なんとでも言え。俺が言いたいのは、これ以上ジョナを傷つけるなってことだ。 ジョナはこれまでも辛い経験をしている。家も裕福ではなかったようだ」
近くの高校まで通うのに、自転車で十キロもの道のりを走っていたらしい。自転車がパンクした日には、その自転車をずっと押して帰ったらしい――。
「つまりだ、お前がロボットだと分かった以上、俺はもう、お前に遠慮をする必要はないわけだ。だが、お前は俺に遠慮しろ。さっきみたいな格好いいセリフがあったら、お前が言わずに俺にコッソリ教えろ。分かるか?」
「分らない」
「バカガッポ! つまりだなあ、ジョナが俺のことを好きになるように、もっとこう――持ち上げろって言っているんだ」
「持ち上げる? ワッショイか!」
「ああ、それだ! ワッショイ、ワッショイだ! 俺も「見せ場」が欲しいんだよ! この研究所の所長なんだぞよ? もっとゴマを擦れよ」
「……」
ハア~っとため息が聞こえ振り向くと、ジョナが俺のすぐ後ろで腕を組んで立っていた――。
――全部、聞かれていた――!
「男同士でバカな話をしていないで、無事に逃げ出す方法を考えなさいよ。この非常階段だって、待ち伏せされていたらお仕舞いなんだから」
「あ、ああ」
「それと、私はチキン野郎って、大っ嫌いよ」
「な、なんだと!」
確かに俺はチキン野郎かもしれない。だが、この若さで研究所の所長だし……。マサチュ~セツ出てるし。なにより、これまで女性経験どころか、付き合ったこともない純な男なんだぞ――。
……隣で大笑いしているガッポが――やっぱり腹が立つ!
「研究所の所長なら、こんな時にどう対応したらいいかくらい、分かるハズでしょ?」
「――! そ、そうか」
突然の出来事で我を忘れ、ただやみくもにガッポについて逃げてきたが、この研究所内の空調ダクト、ダストシュート、排煙用非常通気口、電源系統は全て頭の中に入っている!
地上に通じているのはその中のどれかを考えれば、慌てて的確な判断が出来ないでいた自分に……思わず苦笑してしまった。
「フッ。排煙用非常通気口なら、誰にも気付かれずに地上へ抜け出せる――」
そんな簡単なことに、なぜ今まで気が付かなかったのだろう。
「え、本当に? 私達、助かるの?」
ジョナが先程までの険しい顔立ちから急にパッと明るい表情になると、ずっと強がっていたことに気付き、女性らしくて可愛いところがあると改めて感じさせられる。
「――ああ。エレベーターや非常階段よりも絶対に安全だ」
「やるじゃない。さすが所長」
軽く握った拳で胸のところをコンッとされると、思わず俺の胸はキュンッとなる~!
へ、へへへ。
こ、これこそが――、長年俺が求めてきた――モテ期。
一生に誰でも三回は訪れると信じてやまなかった――モテ期!
そもそも、女性は「ピンチに救ってくれる男性を無条件で好きになる――」と多くの文献に書いてあった。だから有名な映画やアニメは、すべてヒーローがヒロインを救う物語なのだ。
この研究所から俺がジョナを無事に救い出すことができれば――と考えた直後のことだった。
「ヘイ、ラリー。それは名案だが、排煙用非常通気口の直径は10インチ。ハムスターかフェレットくらいに小さくならなければ不可能だぞ」
こちらを振り返りもせずにガッポが解説する。
「え? 10インチ……」
「……」
「ああ。俺の頭の中にはこの研究所の設計図が全て入っている。非常事態を想定したシミュレーションもバッチリ記憶されている。黙って俺についてくるのがベストだ」
「ええ、分かったわ」
「……」
なんだろう……。
この、ガッカリ感とイラっと感……。
ガッポのアキレス健を後ろから革靴で蹴ってやったのだが、逆に俺の爪先が痛くなっただけだった……。




