月夜に舞う女
ゆっくりとそのピラミッドへと向かった。
夜は見張りの大男達はいない。王族がすむ宮殿へと帰っていくからだ。
奴隷にも夜の行動には規制がなく、逃げようと思えばいつだって逃げられるのだが……、脱走しても王都から隣の部族が住む集落まで、とても逃げられる距離ではない。
距離が遠いのもあるが、王都から逃げてきた奴隷を受け入れる余裕など……どこの部族にもないだろう。
身体の大きさぐらいあるピラミッドの一段一段。これを一番上まで登るのにはかなりの体力がいるのだろうが、あの葉っぱを食べ終えた今なら、簡単に登れそうだ。
身体に残った力でよじ登り始めた。
両手で一段、また一段。月夜のピラミッドをただやみくもに登り続けた……。
吹き抜ける風の温度が急に下がり、寒気すら感じる。ピラミッドは空に近付ける神聖なる場所なのか……。月明かりに照らされる砂漠や、点々と明かりが灯る美しい王都が一望できる。
この辺りでは一番高い場所。一番高いピラミッドの最上段でユラユラ動いていたもの……。それは久々に目にする女の姿だった。
美しい歌声と舞に思わず見とれてしまい、ひょっとすると俺は天に昇ってしまったのかと思ってしまう。
女とは……こうも美しい生き物だったのか……。
両手には麻で編まれた大きな扇子が持たれ、ヘソの少し下まで見える腰巻きから目が離せない。
「ホワニタマニタ〜マーレータ~。ファ~レーターミイナ・レ~ター。ミ・ンナオエーロ・ジーカアーラ~。オニ―イタン・ハ・エーテル~。キャアーキヤアーミインタニイ・テ~。ミンナ・デ・カーマリータラ~。イエイ!」
文字の読み書きはできないが、言葉の意味は分かる――。その歌の意味が分かると、ドキッと心臓が鼓動を高めた――。
――呪いの歌だ――!
美しく舞う女性は、その姿とは裏腹に恐怖の呪いの歌を唱え続けていたのだ――。
脳裏が呼び覚ます怖ろしい記憶――。古の呪いの歌を唱える部族の言葉は、俺達の部族が使っている言葉の語源にもなっていた。
ホワニタマニタ〜マーレータ~。……月よ飛ぶのをやめ……。
ファ~レーターミイナ・レ~ター。……我が地に降りてくるがいい……。
ミ・ンナオエーロ・ジーカアーラ~。……すべての文明……。
オニ―イタン・ハ・エーテル~。……街を潰して……。
キャアーキヤアーミインタニイ・テ~。……今から新しき文明を……。
ミンナ・デ・カーマリータラ~。……築きあげるのだ……。
イエイ! ――掛け声!
カシャカシャと女の装飾品が揺れて擦れ合い、奇怪な音を立てる。もう踊り始めてからどれだけの時が経っているのか分からない――。
「やめろ!」
俺の声に女は歌と舞いを止め、即座に腰に指していた装飾品が施された銀色の短刀を構えた――。
「なにものじゃ!」
月夜に光る短刀の延長線が、俺の顔の眉間からブレない。身動きすれば躊躇なく刺すのだろう……俺、ここじゃ奴隷だから……。
「俺は……ハマン。お前達の隣の部族から連れてこられた奴隷だ」
「奴隷がなんの用だ。わらわの邪魔をするでない! うせろ」
両手で握る短刀は俺の眉間を狙ったままピクリとも動かない。
月の光で照らされる切れ長の瞳に睨まれ、ゴクリと喉を鳴らした。
「今、お前が歌っていた歌と舞いは呪いの歌だろ。村で耳にしたことがある。「隣の部族が呪いの歌を歌い続けた暁には災いばかりが起こる」と――」
ククッと喉を鳴らして女は笑ったかと思うと、
「アーハッハッハ!」
大きく高笑いをした。ピラミッドの下にいる奴隷達にも聞こえてしまいそうな声だ。
「そうさ、そうとも。聞いていたのなら仕方がない。教えてやろう――。
――月落としをするのさ――。
この王都に月を落とし、すべてを破壊するのだ」
月落としだと――。
「バカな! そんなことをしたって、宮殿の屋根に当たってコロコロ転がり落ちるだけだぞ」
些細な災いだ。夜空に月が昇らなくなるのは寂しい気もするが。
「……バカはどっちだ。そっちだ」
腕を伸ばしてさらにナイフを突きつけて威嚇してくる。
「月までの距離は、はかり知れないほど遠いのだ。あの小さな月はこの地に落ちて来れば何倍もの大きさになるのだ」
両手を広げて月を大きくイメージするのだが……想像できない。どう見ても豆粒ぐらいの大きさなのだ。
「その大きさゆえ、王都は全土が火の海となりエーロ川は乾き果て、すべての人間は灰になり、……やがては土に戻るのだ」
またしても舞いを踊り始める。
女の言っていることは、とても信じられないが……、呪いの部族による「呪いの舞い」の恐ろしさは昔から言い伝えられていた。
程度はどうあれ、大きな災いを起こそうとしているのは事実だ。昨今の日照りや、井戸の水が枯れるのは、呪いの舞いをどこかで踊り続けているからなのかもしれない。
生き残った呪いの部族が、人目に付かない高い所で舞いを踊り続けているのかもしれない――。
「やめろ! すべての人間が灰になるのであれば、お前も死んでしまうんだぞ」
「覚悟の上だ。自分が滅びれば、世界が滅ぶのも同じであろう」
――なんて身勝手な考えだ――!
「いずれは滅びる定め。誰かが滅ぼす文明。ならば、その最後を見届けるのは、自分だとは考えぬのか? 最後を見たいとは思わぬのか?」
「――見たいわけないだろ! お前は一番偉い存在にでもなったつもりか」
――この世の王にでもなったつもりか!
「黙れ! 三日三晩踊り続け、月を落とし――すべてと共に滅ぶのじゃ――」
近づこうとすると、またナイフを構える。
「最後にいいことを教えてやろう……。今日がその三日目の夜だ。もう私を誰も止められはせぬ――。見よ! 月が少し大きく見えるだろう」
「なんだと――」
振り向いて見る月は……真っ赤だ。だが、大きさ的にはそれほど大きくなったようには見えない。いや、大きいのかもしれない。ピラミッドに上った分だけ大きく見えるのかもしれない……。
また女の方を振り向くと、――必死に踊っていやがる~。
チッ――。時間稼ぎだったか――!
「力づくでも止めさせる――。この命に代えてでも――!」
ピラミッドの最上段に上がると、女は直ぐにナイフを構え直す。
「愚かな! まずは貴様から死ぬがいいわ――」
シュッ――!
最初の一撃を咄嗟にかわしたが、少し触れた頬から血が流れ出た。
マジで殺意に満ちている一突きだった。……だが、女が踊り疲れているのが幸いした。思いっ切りぶつかれば、ここから転落させることも容易いだろう……。
次々と襲い掛かるナイフの動きを辛うじて避け続ける。
「――いったい、なぜお前は月を落とそうと企む! 奴隷とは違い、宮殿では不自由なく暮らせているのだろ――」
水だって飲めるのだろう。
「あんなところにいるのなら、奴隷の方がよほどましだ! あんな奴ら……王族などとは名ばかりの、イカレポンチどもだ――!」
――イカレポンチ――?