帰らせないよ
「――ワタシ帰る! 車を呼んで!」
日が落ち、研究所の地下五階にある居住区に声が響き渡った。
夜の居住区は妙な静けさを保っていたため、ジョナの声だとすぐに分かった。自分の部屋に入ろうとした俺は、ソファーやテレビが置かれた「リラックスルーム」へと足を運んだ。
「どうしたんだよ急に、一体何があったんだ?」
泣きじゃくりながらジョナが片手に握る写真立て。それは……、ガッポが妻と子供達と仲良く肩を並べた――家族写真だった――。
「なによこの写真! あなたのベッドの枕元にあったわ!」
「オーマイガ―、そ、そ、それは……」
黙るガッポ。
つーか、そんな写真をベッドの枕元に置いたまま何やってんだバカ!
何やろうとしてんだ、バカガッポー!
……ひょっとして、極限のスリルと高揚感を味わいたいってやつか? クレージー極まりないぜ。理解に苦しむ。頭が痛い……。
「その写真は……、えーっと……、ラ、ラリーが俺達の仲に嫉妬して、合成ハメ込み写真を作って君と俺を陥れようとしたのさ……」
ジョナがキッと俺を睨みつける――勘弁してほしい。
「えーっと……そうなのさあ~。その写真は俺が昨日、こっそり作って置いといたのさあ~……」
本当にそれで騙されてくれれば、いいんだけどなあ……。それくらいの悪者にならいくらでもなってやるさ。頭を掻く。
「嘘つき! 男なんて、いつの時代も女を騙していいように利用する――」
――顔を真っ赤にして怒るジョナに、なぜだか身の危機を覚える。
「――イカレポンチよ!」
なんだろう、こんなに怒る女性を今までに一度も見たことがない。それに、イカレポンチって、なんだ?
「もういいわ――月を落としてやる! わたしの力で――」
ほらきた! 最悪のパターンだ。
だがその時、大きな音が地下施設内に響き渡った――!
――パッシーン!
「黙れ! 俺のワイフの悪口を言うんじゃねー!」
赤く腫れた頬を片手で押さえながら、何が起こったのか分からない表情のジョナ。というか、俺もなにが起きたのかよく分からない。
ガッポがジョナの頬を平手打ちしたのだった……。
「い、痛~い。ひ、ひどおい!」
「そうだぞ、ガッポ! ジョナはお前の妻の悪口なんか一言も言ってないじゃねーか」
どう考えても立場が逆だろーが! いったい何をトチ狂っていやがる――。
それに――自分の口から「俺のワイフ」って言うなよ――嘘がバレバレじゃねーかバカガッポ!
……やれやれだぜ。
ガッポは一瞬だけ俺に目配りをした。――?
それに気が付いて振り返るとそこには……ライフル銃を構え迷彩柄の軍服を着込んだ大きな男が数人立っていた――。
――しっかり銃を構えて……いつでも俺達を狙撃できる状態だ。
深緑色のヘルメットには「FBI」だとか、「SWAT」だとか、白色で書かれていた……。視線をゆっくりとガッポへと戻す……。俺は、何も見なかったフリだ……。
「ああ……。ええっと……?」
頭の中を一気にたくさんの思考が駆け巡る――。
一、この人達は、いったい何者だ?
二、なぜ喧嘩の仲裁に、ライフル銃なんかが必要なのか。ハンドガンでも十分だろう。
三、どこまで研究の秘密を知っているのか。ただの傭兵……てな訳でもなさそうだ。
四、だからあえてガッポは意味不明なことを言って、誤魔化していたのか。
五、だったら、これから俺達三人が助かる方法は……。
七、じゃなくて、六、恐らく……ないのかもしれない……。
俺達はやり過ぎたのか……。
ガクガク顎が震える。顎が震えるなんて生まれて初めての感覚だが、カコカコと情けない音を立てながら震える。
……カコカコ……実験なんかで……月が地球に近付いたら……そりゃあ、やばいよな……ハハハ……カコカコ……。
こんな時、映画の主人公なら、胸ポケットにベレッタとか、デザートイーグルだとか、ハンドガンの一丁でも持っていて、ピンチを切り抜けるのだろうが……。
なにやらガッポが自分の白衣下に着ている背広を少し開き、何かを俺にチラッと見せる。
――ハンドガンがガッポの背広の内ポケットに納まっているではないか――!
――血の気が引くとは……こういう局面に立たされることなのだろう――。まさかお前、そのハンドガンでライフル銃を持ち構え武装したFBIと戦う気なのか?
バッキャロー!
ニヤニヤしてるんじゃねークレイジーガッポ! ぶっ殺されたいのか――!
ナイアガラの滝のように冷や汗をダラダラ垂らしながら俺は、ガッポに生きるための提案をした。
「い、いや、よそうガッポ……」
戦うだけ無駄だ。死んでしまっては生きられない……うん。俺はまだ死にたくない。女を知らないまま死ぬなんて、まっぴらごめんだ。
それにだ――、まだ平和的解決方法がある。死ぬくらいなら奴隷でも、一生牢獄生活でも、鳩の餌やり当番でもまだマシだ。
「落ち着いてよく聞けガッポ。……俺達は別に悪いことをした訳じゃないんだ。実験だって、上層部からの指示に従ってやっていたにすぎない。今は大人しく言うとこを聞こうじゃないか」
ゆっくりと両手を頭の上にまで上げ、俺達に戦う意思が無いのを証明しようとしたとき、無情にも一発の銃声が俺の耳をつんざいた――!
パーン!
俺のシャツには、脇汗の染みがクッキリ浮かび上がっていた――。