怖くなんかないさ
それにしても……エレベーターを待っている列が長過ぎる。まるでUSJの人気アトラクションのようだ。まだ昼前だというのに、最後尾は乗れなくなってしまうような強迫観念に囚われる。
「……列に並ばなくても割り込めるような社員優遇みたいなものってないの」
他の人よりも得をしたいって気持ちは誰にでもあるはずだ。ズルやチートとは違うぞと言っておきたい。
「ないわよ。裏に貨物専用のエレベーターがあるけど、社員でも用事がない時には乗っちゃいけないの」
「そうなのか」
「仕事の時にはこっそり乗って上がるんだけどね」
小さく舌を出す。
……エレベーター代を支払う僕の横で。瑠奈はニコニコ笑っているだけで財布を出そうともしない。僕が誘ったのだから、僕の奢りで当然だ。
別に僕はケチってわけではない。付き合っている彼女にお金なんて一切払わせたりはしない。割り勘も嫌いだ。女子に奢られるなんて、男として恥ずかしいとすら思っている。
財布から千円札を出そうとしたとき、札と札の間からこっそりコンドームの端が姿を現してしまった――!
やっべ!
――ドキッとしてしまう――。瑠奈には……見えてないと思う。もし見えていたとしても、これが何だか知らないかもしれない。――だが、レジを打つ店員には――しっかり見られてしまった~! 耳まで赤くなってしまう――僕の。
冷や汗をかきながら支払いを終え、少し深呼吸してからエレベーターのチケットを瑠奈に渡した。
「ありがとう……。どうしたの? 汗、凄いよ」
「なんでもないよ、ハハハ」
チケットを持ってエレベーターを待つ列の最後尾に並び数十分を浪費したが、瑠奈と一緒にいればそんな時間も楽しい時間だった。
エレベーターに乗っていた時間は、――ほんの数分だった。僕が住んでいる独身寮のエレベーターとはスピードが違う。揺れも少なかった……。落書きもされていない。……なぜ男子寮のエレベーターには、◎(にじゅうまる)に線と点々が描かれたマークが落書きされているのか……僕には理解できない。
雲の中かと錯覚させるような光景……。
エレベーターの扉が開くと、しばらく僕は立ち尽くしてしまった。目の前に広がる風景は、もはや建物から見るそれではなかった。
エレベータから一歩だけ歩くと、足を止めた。……止まった。
「どうしたの?」
「あ、いやあ。ちょっとなんだろうなあ。足が……」
ガラス張りの近くへ行きたくなかった。高いなんてもんじゃない。高過ぎる。
「ひょっとして、文昭君って高所恐怖症?」
「……初めて名前で呼んでくれたね。嬉しいよ。でも瑠奈、僕のことも文昭君じゃなくて文昭って呼び捨てにしてくれたらいいよ、ハハハ」
一生懸命に話を誤魔化そうとする。――僕の秘密を悟られてしまわないように……。
すると瑠奈がすっと顔を近づけてきて、耳元で小さく囁いてくれた。
「下りよっか」
「……ごめん」
エレベーターからぞろぞろと人が出てくるなか、重い足を引きずるように僕と瑠奈はエレベーターへと戻った。
情けないなんて思わなかった。人はそれぞれ怖いものが異なるのだ――。
ただ、楽しみにしていた瑠奈を残念な気持ちにしてしまったのは、申し訳なかった。
でも無理はしない。それが長く付き合う秘けつなのだと……自分に言い訳ばかりしていた。
……情けないか? いいや、そんなことはない。ちょっとも……。
「お昼はどうする? なんでもご馳走するよ」
エレベーターを降りたところでそう聞くと、クスクス笑われた。
「文昭、まるで水を得た魚みたいね。生き生きしている」
少し照れてしまう。
「ああ、高い所以外なら大丈夫さ。汚名返上しなくちゃ。ちょっと「お高い」レストランでも、「お高い」ビュッフェでも、なんでもこいさ!」
初デートなんだから、それなりにお金は持ってきている。お泊りになっても平気なくらい……。
普段の僕は、寮と会社の往復運動のような生活をしている。飲み会だって、野神先輩に誘われない限りは行かない。だから自然にお金が貯まっていた。野神先輩は、「もらった給料は使わないと意味がない」だとか、「お金は使わないと価値を発揮しない紙切れ」なんて言っているけれど、「いざ必要な時の為にしっかり貯金しておかないといけない」っていうのが、僕のもっとうなのだ。
そうしなければ、両親のように好き勝手なことにお金を使い果たしてしまうダメな大人になってしまう……。
「じゃあ行ってみたいお店があるの。レストランにあるハンバーガーのお店」
「ハンバーガー? ああ、いいよ」
ファーストフードなら少し拍子抜けかと思ったが、瑠奈が行きたがっていたのはビルの中にあるレストランの有名なハンバーガー屋さんだった。




